『鬼滅の刃』の「生殺与奪の権」はどう英訳する?人気マンガの翻訳技術

マンガ翻訳の世界

連載「マンガ翻訳の世界」では、翻訳学校フェロー・アカデミーで「マンガ英訳」の講座を担当されている翻訳家の木村智子さんが、日本のマンガを英訳する難しさと奥深さを紹介します。今回は、マンガ『鬼滅の刃』『思い、思われ、ふり、ふられ』のせりふをどう訳すか、実例を基に解説します。

人気マンガの英訳版で見る、せりふ翻訳の技術

前回は、私の担当作品である『黒執事』をもとに、せりふの翻訳について解説しましたが、今回は、ほかのマンガ翻訳家の方が翻訳された作品を基に、せりふの翻訳について解説していきます。

取り上げる作品は、集英社の『週刊少年ジャンプ』 に連載されていた吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)さん作の『鬼滅の刃』と、同じく集英社の『別冊マーガレット』に連載されていた咲坂伊緒(さきさかいお)さん作の『思い、思われ、ふり、ふられ』です。

鬼滅の刃

この作品の英語版は、Demon Slayer: Kimetsu no Yaibaという英題で、VIZ Media社から17巻まで発売されています(2020年10月27日現在)。大正時代を舞台に、主人公である竈門炭治郎(かまどたんじろう)が、鬼に殺された家族の仇を討つため、そして鬼と化した妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻すために戦うストーリーです。

『鬼滅の刃』では「鬼」は“demon”、主人公が入隊する、鬼を狩る為に作られた組織「鬼殺隊」は“Demon Slayer Corps”と訳されています。

Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba, Vol. 1 (1)

Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba, Vol. 1 (1)

 

生殺与奪の権を他人に握らせるな!!

物語の序盤で、ある日炭治郎が家に戻ると、家族は鬼に惨殺され、唯一生き残った禰󠄀豆子も鬼と化していました。禰󠄀豆子は炭治郎を襲いますが、鬼殺隊の隊士である冨岡義勇が現れて炭治郎を救います。

下記のコマは、禰󠄀豆子を「退治」しようとする義勇に、炭治郎が土下座して禰豆子の命乞いをするのを見て、義勇が言い放ったせりふです。

鬼滅の刃

KIMETSU NO YAIBA © 2016 by Koyoharu Gotouge/SHUEISHA Inc.

鬼滅の刃

三省堂『新明解四字熟語辞典』によると、「生殺与奪」とは、「生かすも殺すも、与えることも奪うことも自分の思うままになること。絶対的な権力を握っていることをいう」とあります。

生殺与奪はpower of life and deathと訳せますが、義勇のせりふは“Never leave yourself so defenseless in front of an enemy!”と訳されていて、英語として意味が通るせりふに訳すために、かなりの言い換えがされています。

敵の前で無防備(defenseless)でいることは、確実に死を意味するので、「敵の前では絶対にそんな無防備ではいるな!(さもないと、敵に生殺与奪を握られるぞ!)」と訳されています。

そして、「他人」を“enemy”と訳しているのは、炭治郎たちを襲っているのが、人間の「敵」である鬼だからです。

このコマでは、defenselessのみが太字斜字になっています。英訳マンガでは、せりふやナレーションで特に強調したい単語やフレーズを太字斜字表示する場合があります。

進む以外の道などない!!

下記のコマは、鬼殺隊の最終選別に行くために修行中の炭治郎が、突然現れた錆兎(さびと)という狐面の男の子に襲いかかられるシーンです。師匠に教わった極意を骨の髄まで叩き込めと言いながら切りかかってくる錆兎に対し、炭治郎は「やってる 毎日やってる 必死で!!」と答え、次のように続けます。

鬼滅の刃

鬼滅の刃

炭治郎の「でも全然駄目なんだ 前に・・・っ 進めない これ以上」というせりふは、「どんなに頑張っていても」「自分はこれ以上前には進めない」という意味なので、“But no matter how hard I try ... I can’t progress any further.”と訳されています。

炭治郎のこのせりふに対する錆兎の下記の反応も、英訳するにあたってかなりの言い換えがされています。

鬼滅の刃

鬼滅の刃

まず、「進め!!」は、炭治郎が言ったtryに合わせて、“Don't ‘try’ just do it! ”、つまり頑張る(try) んじゃなくて、やる(do)んだよ!と訳されています。「男なら」は、ストレートに“If you’re a man!”となっています。

そして、最後の「進む以外の道などない!」。

まず、これ以上修行しても駄目なのであれば、炭治郎には敵に勝つことを諦める選択肢しか残されていません。そこで、「諦める」という意味の“lie down and die”を使って、“Your only other choice is to lie down and die!”と訳されています。

そして、諦めずに修行を続けるのであれば、(自分の力で)前に進んで行く必要があるので、炭治郎が言った “can’t progress any further”に合わせて、So make yourself progress!”となっています。「自分の力で、自分を前に進ませるんだ!」ということです。

英訳せりふのポイントが「自分の力で」なので、makeが太字斜字表示されています。make yourself progressすべてではなく、makeだけ強調されているのは、「太字斜字表示する単語の数は最小に抑える」という、マンガ翻訳の基本ルールがあるためです。太字斜字表示が続くとせりふが読みにくい、というのも理由の一つだと考えられます。

ここではmakeのみ太字斜字表示することでせりふのどの部分を強調したいのかが
伝わるので、yourself progressは基本表示でOKなのです。

『思い、思われ、ふり、ふられ』

この作品の英語版は、Love Me, Love Me Notという英題で、VIZ Media社から4巻まで発売されています(2020年10月27日現在)。love me, love me notとは、英語で花占いするときの「好き、嫌い」です。

正反対の恋愛観を持つ、山本朱里(あかり)と市原由奈の2人の主人公が繰り広げる青春ストーリーです。

Love Me, Love Me Not, Vol. 1 (English Edition)

Love Me, Love Me Not, Vol. 1 (English Edition)

  • 作者:Sakisaka, Io
  • 発売日: 2020/03/03
  • メディア: Kindle版
 

距離つめてから告白するってだけだよ

下記のコマは、朱里(あかり)が友人の市原由奈に「告白してふられた事ある?」と聞かれて、自分が一度もふられた事がない理由について話すシーンです。

思い、思われ、ふり、ふられ

OMOI, OMOWARE, FURI, FURARE © 2015 by Io Sakisaka/SHUEISHA Inc.

思い、思われ、ふり、ふられ

「(相手との)距離つめて」の部分の英訳を見ると、相手と「距離をつめる」のは「親しくなる」ことなので、「近づく」という意味のget closeが使われています。

恋愛モノでは定番の「(恋の)告白」はlove confessionと訳します。「告白する」と動詞で言いたいときはmake a love confessionあるいはconfess one's love、また「告白されたい」はwant to be confessed toと訳します。

ちゃんと下心があって意図的にしかけてくるような人

下記の朱里のモノローグには、普段自分が好きになるタイプとは全然違う、乾という男の子を好きになってしまった彼女のとまどいが伺えます。

思い、思われ、ふり、ふられ

思い、思われ、ふり、ふられ

「下心があって」が“knows exactly what he wants”と訳されています。これは、下心がある人は、「相手に告白したい」「相手と付き合いたい」など、なんらかの目的があって相手に近づいている、つまり「自分が何を欲しいのかがはっきり(exactly)わかっている」ということです。

「意図的にしかけてくる」は、「(人に)言い寄る・口説く」という意味のput the moves on (人)と、「みえみえ」という意味のobviousを使って、“it’s obvious when he puts the moves on me”と訳されています。

私的にない

思い、思われ、ふり、ふられ

思い、思われ、ふり、ふられ

「女子に対して何も意識してないような人」が“who has no interest in girls”と訳されています。女子を「意識していない」人は女子に「興味がない」人ということで、「関心がない」という意味のhave no interest inが使われています。

そして、「(そういう男子は)私的にない」は、「自分のタイプでは絶対にない」ということなので、「タイプではない」という意味のnot my typeを使って、“It’s impossible ...(中略)could be my type.”と訳されています。

登場人物の感情を乗せた自然な英語に翻訳することが重要

マンガのせりふは、キャラクターが最初から英語で会話しているような自然な英語のせりふになるように訳す必要があります。翻訳家はせりふの行間の情報を拾い上げながら、英語として意味が通ることに加えて、原作のせりふに込められているキャラクターの感情も乗せた英訳を組み立てています。

今回は、ほかのマンガ翻訳家の方が翻訳された作品を基に、せりふの翻訳について解説しました。

最終回は、私が2017-19年に文化庁の「マンガ翻訳コンテスト」の審査員を務めて感じたことや、マンガ翻訳家を目指す人へのメッセージを書きたいと思います。

木村智子

木村智子(きむら ともこ)2004年に『Full Moon o Sagashite(満月をさがして)』(VIZ Media)で翻訳家デビュー。フリーのマンガ翻訳家(日→英)として16年のキャリアを持ち、これまでに出版された英訳書は250冊を超える。2016年より翻訳学校フェロー・アカデミーで「マンガ英訳」の講座を担当。
Official Website:https://tkimura.net/