ドラマ『シャーロック』のセリフ“marriage”はどんな結婚?「訳し過ぎ」に注意!思い込みによる翻訳の落とし穴

文学&カルチャー英語

英語は、文学、映画やドラマ、コメディーや歌などに楽しく触れながら学ぶと、習得しやすくなります。連載「文学&カルチャー英語」では、シェイクスピア研究者で大学准教授、自称「不真面目な批評家」の北村紗衣さんが、英語の日常表現や奥深さを紹介します。今回のテーマは、ドラマ『シャーロック』と映画『オーシャンズ8』のセリフに出てくる“marriage”と“person”を翻訳する際の意外な注意点です。

性別や性的指向に関わる英語の言葉

今回は、第7回で扱った「単数のthey」などに少し関係がある話題を取り上げたいと思います。

性別や性的指向に関わることでは、自分でも気付かない思い込みが出てきてしまうことがあります。よく見掛ける単語でも、訳すときに普段の思い込みが出てしまうとあまりよくない場合がある、という例を2つ紹介します。

『シャーロック』で人気のアイリーン・アドラー

BBCで2010年から2017年まで放送された現代版シャーロック・ホームズ、『シャーロック』(原題:SHERLOCK)には、2010年代のロンドンらしい生き生きした英語がたくさん出てきます。

シャーロック(ベネディクト・カンバーバッチ)が早口であまり聞き取りやすくないのが玉にきずですが、英語の勉強になるところもたくさんある作品です。

シーズン2、エピソード1の「ベルグレービアの醜聞」(原題:A Scandal in Belgravia)は、アーサー・コナン・ドイルの短編「ボヘミアの醜聞」(原題:A Scandal in Bohemia)を下敷きにした作品です。

このエピソードには、人気キャラクターであるアイリーン・アドラー(ララ・パルヴァー)がヒロインとして出てきます。原作ではオペラ歌手だったアイリーンは、翻案ではお金持ちの顧客向けにサービスを提供するドミナトリックス(dominatrix)、つまりSMの女王様になっています。

アイリーンが破綻させた「結婚」とは?

エピソード序盤で、シャーロックとジョン(マーティン・フリーマン)はバッキンガム宮殿に呼び出され、イギリス王室からアイリーン・アドラーに関する捜査を依頼されます。

ここで、イギリス政府内の地位にいるという、シャーロックの兄マイクロフト(マーク・ゲイティス)が、アイリーンがこれまでに起こしてきた華麗なスキャンダルを、次のように説明します。

She’s been at the centre of two political scandals in the last year and recently ended the marriage of a prominent novelist, by having an affair with both participants separately.

マイクロフトはお役人らしい持って回った言い方をしていますが、英語としてはそんなに難しいところはありません。

最初のShe’sはShe hasの省略で、Sheはアイリーンを指します。ここの省略は聞き落としやすいかもしれませんが、それ以外はわりとゆっくり話しているので、特に聞き取りづらいところもないでしょう。

by以下の主語はShe、つまりアイリーンです。重要な情報を先に出して、それに説明を付け加えていく話し方なので、訳すときは小さいまとまりに分けて、前から順番に訳していくのがいいかもしれません。

私が作った訳例は次のとおりです。

この女性は去年、2つの政治スキャンダルの中心にいたんだよ。最近、ある有名な小説家の結婚を終わらせたんだが、結婚当事者の双方と別個に関係を持ったのが原因だった。

ここは、Netflixの字幕では次のようになっています。

2件の政治スキャンダルの中心人物だ。最近は有名作家の離婚の原因に。彼女が夫と妻両方と関係を持ったせいだ。

この字幕は、意味を取るという点ではまったくおかしいところはありません。

しかし、ここで考えないといけないのは、アイリーン自身はレズビアンで、王室からの依頼内容を見ても顧客は女性が多いらしいこと、またマイクロフトが慎重に言葉を選んでいて、日本語字幕に登場する「夫」と「妻」に相当するhusbandとwifeという言葉を用いておらず、both participants(結婚当事者双方)という言葉を使っていることです。

つまり、マイクロフトは結婚当事者の性別を明確にしていません。このセリフを見る限りでは、アイリーンが破局させたカップルが男女の夫婦かどうかは、実はわからないのです。

“marriage”は「合法的な結婚」のみを指すとは限らない

イングランドとウェールズ、およびスコットランドで同性婚が合法化されたのは2014年なので(北アイルランドでは2019年に合法化)、このドラマが放送された2012年にはまだ正式な同性婚は認められていませんでした。

しかし、シビルパートナーシップ(civil partnership、つまり同性カップルに一定の保障を与えるシステムはかなり普及していました。日常語では、こうした同性カップルや、法的に結婚していないものの事実婚状態にある異性のカップルも、marriage(結婚)の状態にあると説明するのは、ロンドン辺りの英語ではわりと普通でした。

『シャーロック』のシーズン1、エピソード1では、ハドソン夫人が、近所に同性でmarried ones(結婚している人たち)が住んでいると説明しています。

また、同じエピソードに出てくるジョンの話によると、ジョンの姉妹であるハリーは長いことクララという女性と暮らしていたのですが、最近divorce(離婚)をしたということです。

このドラマは放送当時のロンドンで使われていた英語をそのまま反映しているので、marriageは、必ずしも男女の法的結婚だけを意味するのではなく、同性間の事実婚なども表せる単語として使われています。

こうした単語の使い方とアイリーンの顧客層を考えると、マイクロフトのセリフに対する日本語字幕は「訳し過ぎ」の恐れがあります。

もちろん、設定ではアイリーンが破局させたのは男女なのかもしれませんし、この訳で完全に正しいのかもしれません。しかし、マイクロフトが性別を特定しない言葉を選んでいる以上、視聴者の解釈を狭めないような字幕を作った方がよいとは言えると思います。

アイリーンの性的指向と顧客層からして、結婚をメチャクチャにされたのは女性同士のカップルである可能性も結構あります。可能性はもっと低いですが、男性同士もあり得るでしょう。こうした点は、翻訳をするときには日本語の思い込みを捨てた方がよい場合があります。

『オーシャンズ8』のデビーが好きになった“person”とは?

『シャーロック』に比べるとそこまで「解釈を狭める」とは言えないかもしれませんが、私が最近、そんなに詳しく訳さなくていいのでは?と思ったシーンが、映画『オーシャンズ8』(原題:Ocean’s Eight、2018年)冒頭にあります。

それは、デビー(サンドラ・ブロック)の仮釈放面談の場面です。犯罪一家オーシャン一族の娘であるデビーが、自分が犯罪に手を染めた理由について、次のように述べています。

I fell for the wrong person. It was a mistake.

fellはfallの過去形で、fall for ~は「~を好きになる」という意味です。wrongは「悪い」「間違った」という形容詞です。

このセリフのNetflixの日本語字幕は、次のようになっています。

悪い男を選んだだけ。失敗でした。

ここでポイントなのは、英語ではperson(人)という性別を明示しない単語になっているところを、日本語字幕は「男」と訳しているところです。

映画を見ていると、おそらくこのthe wrong personというのは、表面的にはデビーが刑務所に入るきっかけになったかつての恋人クロード(リチャード・アーミティッジ)を指していて、昔ひどい男に引っ掛かった話をして悔やんでいる、ように思えます。

しかし実は、デビーにはクロードよりはるかに大切な存在である女性がいます。それは親友で、犯罪のパートナーでもあるルー(ケイト・ブランシェット)です。

ジェンダーニュートラルに訳して含みを持たせる

ここから先は何が正しいとかいう話ではなく、解釈の問題になります。

デビーはこのセリフを言った後に、面接官を感動させるため、うそ泣きをします。私は、ここでデビーがpersonという性別が特定できない言葉を選んで話しているのは、ひょっとしたら表面的にはクロードの話をしていると思わせておいて、頭の中で無意識にルーのことを考えているからなのでは?と思っています。

デビーにとって、クロードは大した男ではないので、思い出して泣けるような存在ではありませんが、ルーは泣けてくるくらい苦楽を共にした友人です。私であれば、このセリフは次のようにジェンダーニュートラルに訳して、デビーが何を考えているのかに含みを持たせられるようにします。

まずい相手にほれ込んで・・・。間違いでした。

今回取り上げたように、映画やドラマを見るときなどには、視聴者は無意識に自分の思い込みや解釈を反映して外国語を解釈してしまうことがあります。

ここで紹介した字幕は間違いとは言い切れませんし、文法的におかしいところなどはまったくありません。しかし、原語がわかると、もう少し解釈が広がることがあるのです。

ドラマ『シャーロック』と映画『オーシャンズ8』

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北村紗衣

文:北村紗衣(きたむらさえ)

武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち──近世の観劇と読書』(白水社、2018年)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か──不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書誌侃侃房、2019年)など。

ブログ:https://saebou.hatenablog.com/

編集:ENGLISH JOURNAL ONLINE編集部/トップ写真:山本高裕(編集部)