シンガーソングライターで、米津玄師さんの「パプリカ」の英訳も手掛けた、アメリカ出身のネルソン・バビンコイさんの連載「作詞・訳詞家のココロ――歌詞がリリックになるとき」。第1回では、日本に興味を持って日本語を学んだ経緯や、その体験からの発見、来日当初の仕事などについて語ります。
シンガーソングライターで「パプリカ」の英訳も担当
皆さん、こんにちは。ネルソン・バビンコイです。
日本に来て12年、 シンガーソングライター、翻訳者、ナレーター、俳優にコメンテーター と、いろいろな活動をしています。
最近では、 米津玄師 さん作詞作曲の「パプリカ」の英語バージョン、“Paprika”の英訳を担当 しました。「パプリカ」はNHKの2020公式応援ソングなので(開催が延期となりましたが)、英語版もこれからきっと、多くの皆さんにお聞きいただけることと思います。
米津さんの作品をはじめ、 SEKAI NO OWARI や THE BAWDIES の楽曲についても、英訳や英語の作詞 をたくさんしています。これから6回の連載の中で、そのエピソードもたっぷり紹介します!
15歳での日本短期留学が人生の転機に
この第1回では、僕自身のことをお話ししましょう。
僕の故郷は、ハリウッドに程近い、カリフォルニア州のバーバンク市です。映画産業で有名な町で、映画やテレビのスタジオで働く職人さんたちが大勢住んでいます。
僕のおじいさんもこの町で、映画のセットやカメラワークの仕事をしていました。あのクリント・イーストウッドとも一緒に仕事をしたことがあると、幼かった僕に得意そうに話してくれました。
バーバンク市で生まれ育った僕が、 初めて日本と出合ったのは15歳のとき です。バーバンク市とその姉妹都市の群馬県太田市との間で、 夏休みに高校生の短期交換留学プログラム が行われていたのが きっかけ でした。
ある日、「日本に行きたい人は申し込んでください」と学校で告知があり、なんとなく楽しそうだなと思って面接を受けたら、見事に合格。12人の交換留学生の一人として、その夏に2週間、日本に滞在しました。
今思うと、それが人生の大きな転機になりました。
僕はずっと母と2人暮らしだったので、日本でのホームステイを通して、お父さんとお母さんがいて、兄弟姉妹がいて、近所にはおじいちゃん、おばあちゃんも住んでいて、という家庭を初めて経験したのです。英語がわかるのはホストファザーだけでしたが、みんないい人たちで、忘れられない滞在になりました。
すごく悔しかったのは、そんな すてきなホストファミリーと別れるときに、下手くそな「アリガトウ」しか言えなかった ことです。歯がゆい思いをかみしめながら、きっとまた日本に来よう、そして今度は日本語でちゃんと気持ちを話そうと思いました。
こうしてアメリカに戻った僕は、 日本語を独学 し始めたのです。
言葉の壁を取り払うと同じ人間同士になる
僕は独学が得意です。幼いころから、パソコンやインターネットがある環境で育った世代なので、新しいことを学ぶときは、どこかへ習いに行ったり、本を買ったりする代わりに、まずパソコンを開きます。
ネットに接続したパソコンがあれば、たいていのことは自分で調べ、学ぶことができる のですから、まったくよい時代に生まれたものです。これからの子どもたちは、みんなそうやって勉強するのでしょうね。
帰国してから1年後、バイトでお金をためて、再び日本に遊びに来たときは、日本語で「今日はいい天気ですね」くらいの会話はできるようになっていました。
そんな簡単なことでも、日本語で日本人と会話ができたときは本当にうれしくて、「もう日本人とアメリカ人ではなく、人間同士だな」と思いました。
言葉の壁を取り払うと、同じ人間同士になる。そう気付かせてくれたのが、僕の場合は日本であり、日本語だったのです。 その瞬間から、あらゆる偏見や差別は別世界のことになりました。
高校卒業後はカリフォルニア大学バークレー校に進学し、コンピューターサイエンスを勉強しましたが、1年で専攻を日本語に変えました。 将来は日本に住むと、もう決めていた からです。その気持ちは、慶應義塾大学に1年間留学して、より強くなりました。
たぶん、 日本的な価値観が自分に合っていた のでしょう。僕はちょっとシャイなところがあるから、日本の穏やかな社会は居心地がいいのです。
アメリカで暮らしていると、もっと男らしく、もっと強く、もっと挑戦的に、というふうにずっと追い立てられているようで落ち着きません。むしろ日本的な控えめさが性に合います。僕と同じように、静かにじっくり考えるのが好きな外国人には、きっと日本の水が合うと思います。
英語の先生はなぜ日本語を話してはいけないの?
そういうわけで、大学を卒業すると、僕はまっしぐらに日本に来ました。2007年の秋のことです。
客観的に考えても、自分と同じくらい日本語が話せる外国人は 少ない から、日本で働いた方が自分の強みを生かせます。僕が住む場所はやっぱり日本しかあり得ないと、張り切って日本での生活を始めました。
まず東京の英会話スクールで、講師として働き始めました。ところがそのスクールでは、いくら 日本語がペラペラでも、先生は一切、日本語禁止 だというではありませんか。
こっそり日本語を交えてレッスンをすると、部屋の様子がモニターされていて、「ネルソン、日本語しゃべったでしょ!」と、後で上司に怒られるのです。
僕自身、アメリカで英語を使いながら日本語を覚えたので、 日本人に英語を教えるときに必要に応じて日本語で説明することがなぜ駄目なのか、理解できませんでした 。だったら自分がここにいる意味はない。あんなに頑張って勉強し、日本語能力試験のN1(1級)も取ったのに、その日本語が使えないなんて!
納得ができないまま仕事を続けても、ストレスがたまるだけ です。僕は3カ月で英会話スクールを辞めました。
少しずつ音楽に関わる仕事が舞い込み始めた
ありがたいことに、新しい道は すぐに 開けました。
アメリカにいる間に日本のテレビ局によるロサンゼルスでのロケを手伝ったご縁で、そのとき知り合ったプロデューサーから、 番組用に英語交じりの主題歌の制作や、英語のナレーションを頼まれたりする ようになったのです。
日本のテレビ業界に入ろうなどとは考えたこともなかったのですが、気が付くと音楽番組に出演させてもらう機会も出てきて、「本当に僕でいいのかな」と思いながら、少しずつ仕事の基盤が出来てきました。
そして今、日本で暮らし、仕事をする僕がいます。 夢の実現を可能にしてくれたのは、やはり日本語 でした。
皆さんも英語を勉強していると思いますが、 外国語を覚えるには、強い動機を持つことがいちばん だと、自分の経験から断言できます。
僕の場合は、日本へ行きたい、もっと日本を知りたいという気持ちが原動力でした。もしそれが、自分の中から湧き上がる強い思いではなく、誰かから「ネルソン、日本語を勉強しなさい!」と命令されてやっていたのなら、とても続かなかったでしょう。
皆さんも、英語を学び続ける理由、英語を使ってやりたいことを大切にしてください。
次回は、音楽との関わりについてお話ししようと思います。どうぞお楽しみに!
『J-POPを英語で届ける「文化通訳家」のしごと』発売中!
▼この連載のすべての回の記事と書き下ろしを収録!
- 作者: ネルソン・バビンコイ
- 発売日: 2020/08/11
- メディア: Kindle版
ビジネス文書や実用書、小説などとは異なる歌詞の翻訳は、どのように行われるのでしょうか?また、自身もミュージシャンであるバビンコイさんが、歌のコンセプトや日本語詞を基にした英語詞作りを依頼された際の創作過程とは?
単に言葉を訳すのではなく、異文化の懸け橋となる「文化通訳家」を名乗る著者が、日本の有名ミュージシャンたちとの英語詞の創作における苦労や楽しさ、歌詞の英訳ならではの工夫、「文化通訳家」の仕事、翻訳のコツや大切なことなどを語ります。
音楽が好き、翻訳に興味がある、英語を学習中など、すべての方におすすめの本です。
本書出版に寄せていただいたメッセージ
NO OWARI/Fukaseさん">SEKAI NO OWARI/Fukaseさん
ネルソンは翻訳家として、シンガーソングライターとして、アメリカで生まれ育ったアメリカ人として、そしてネルソン・バビンコイという個として、様々な視点を持っていた。
だから、単純に英詞を作るだけではなく時代背景や習慣、文化といったものを聞いた上で作詞に臨めた。それはマルチに活動する彼だからこそ出来る事だと思う。
ゲスの極み乙女。/川谷絵音さん
ネルソンさんはただ英訳するだけじゃなく、ちゃんと洒落た意味に解釈して訳してくれます。この絶妙な塩梅が最高なんです。自分の曲なのに僕は新しい世界を見せられました。そんなネルソンさんのセンスに脱帽です。
ネルソン・バビンコイ(Nelson Babin-Coy)
15歳のときに2週間の交換留学を きっかけ に日本が好きになり、日本語を独学する。名門カリフォルニア大学バークレー校の東アジア言語・日本語学科を卒業。在学中に慶応義塾大学に1年間留学し、日本語能力試験N1(1級)を 取得 。2007年10月に再来日し、音楽、芸能活動を始める。2018年に永住権を 取得 。現在はSEKAI NO OWARIやTHE BAWDIESなど、日本のメジャーミュージシャンの英語歌詞の提供や英語プロデュースを行い、NHK WORLD番組に出演しながら番組全体の英語監修も担当。『二階堂家物語』で映画俳優デビューし、バイリンガル俳優としても話題に。ほかに日本の海外向け番組やアーティストのプロデューサー、テレビパーソナリティー、YouTubeのクリエイターなど、さまざまな業界で活躍中。
公式サイト: https://www.nellybc.com/
Twitter: https://twitter.com/babin_coy
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCCVXvioNdjRJsuCrwkbnUMw
Instagram: https://www.instagram.com/babincoy/
【トーキングマラソン】話したいなら、話すトレーニング。
語学一筋55年 アルクのキクタン英会話をベースに開発
- スマホ相手に恥ずかしさゼロの英会話
- 制限時間は6秒!瞬間発話力が鍛えられる!
- 英会話教室の【20倍】の発話量で学べる!
SERIES連載
思わず笑っちゃうような英会話フレーズを、気取らず、ぬるく楽しくお届けする連載。講師は藤代あゆみさん。国際唎酒師として日本酒の魅力を広めたり、日本の漫画の海外への翻訳出版に携わったり。シンガポールでの勤務経験もある国際派の藤代さんと学びましょう!
現役の高校英語教師で、書籍『子どもに聞かれて困らない 英文法のキソ』の著者、大竹保幹さんが、「英文法が苦手!」という方を、英語が楽しくてしょうがなくなるパラダイスに案内します。
英語学習を1000時間も続けるのは大変!でも工夫をすれば無理だと思っていたことも楽しみに変わります。そのための秘訣を、「1000時間ヒアリングマラソン」の主任コーチ、松岡昇さんに教えていただきます。