「日本語発音」の英語は恥ずかしい?!「豪」に入っては「豪」に従って良かった話【ちーや:連載】

オーストラリアの大学院で開発学を学んだ「ちーや」さんが、英語とポジティブに向き合うコツを紹介します。第4回は「オーストラリアで気付いた日本との違い」です。

体験したからこそ分かること

海外に出ると、いろいろな気付きや発見があります。僕が留学したオーストラリアでも、生活面や勉強面など、さまざまな点で日本とは異なる部分がたくさんありました。

今回は、オーストラリアで気付いた日本との違いについて、僕の経験を基にお伝えしていきます!

英語のアクセント(癖、なまり)は個性

恥ずかしい話ですが、僕は留学前、「完璧な英語」を話さなければならないと思っていました。

正しい文法で、「きれい」な発音で英語を話さなければ、恥ずかしい、という気持ちがすごく強かったのです。高校生のとき、英語の授業で日本語発音を笑われたことがすごくトラウマで、人前で英語を話すことに抵抗感がありました。僕と同じような理由で、人前で英語を話せない人はたくさんいるのではないかと思います。

しかし、多民族国家のオーストラリアでは、いろいろなアクセントが飛び交います。それぞれの人が各自のアクセントで英語を積極的に話すのです。アクセントを自分の個性として話す人が多いことに、留学当初はすごくびっくりしました。

しかし、英語を話す上で大切なのは、発音の「きれいさ」よりも内容です。英語は自分の考えや気持ちや伝えるツールなので、内容が「伝わる」ことが何よりも大切なのです。

メルボルンはオーストラリアの中でシドニーに次いで2番目に大きな街で、著名人が世界各国から講演をしに来ます。『21世紀の資本』で日本でも話題となったフランスの経済学者トマ・ピケティもメルボルンで講演したことがあります。

僕は彼の講演を聞いて、正直に言うと、フランス語のアクセントがとても強い英語で、聞き慣れるまで少し時間がかかりました(最初はフランス語にしか聞こえなかった・・・)。しかし、僕を含め聴衆は、ピケティの英語を聞きに来ているわけではなく、彼の話そのものに興味があるわけです。彼の話が終わるころには、スタンディングオベーション。フランス語のアクセントで堂々と話す姿に、僕は感銘を受けました。

きれいな発音ができるに越したことはないし、ネイティブのような発音を目指すのは素晴らしいことです。でも、「日本語アクセントが強いからといって、自分を卑下する必要はないんだな」と、このとき初めて実感しました。

大学では大半の学生がITを活用して勉強

僕が海外の大学に留学して最も驚いたことは、大半の学生がパソコンを使いながら授業を聞き、勉強していることでした。

日本では、学校の授業中にスマートフォンを触ることは禁止されている場合も多く、パソコンに関しては持ち込みできないか、できても実際に使っている人はまだ少ないと思います。でも、オーストラリアの学校教育では、授業で使用されることが多くなってきています。

教科書だけだと、狭いスペースに限定された情報しか勉強できませんが、スマホやパソコンを使うことで、触れられる情報量が一気に多くなります。授業のノートを取るにも、手書きよりパソコンでタイピングする方が圧倒的に早く、先生の話により集中できるので、すごく便利でした。

また、取ったノートや授業で使用したデータは学生同士で共有することができるので、パソコンで勉強した方が、効率が上がります。もちろん、手書きでノートを取った方が頭に入るという人もいますが、そういう人もiPadを駆使してノートを取っていたので、ほとんどの学生が勉強をIT化していました。

僕が日本の高校に通っていたときは、携帯電話を学校に持ち込むだけで没収されていたので、留学当初はかなりカルチャーショックでした。

僕の周りの学生はMacBookを使っている人が多かったです。理由は、英語の文献を読むときに、英単語の意味を検索しやすいこと。知りたい単語にカーソルを合わせて、トラックパッドをグッと押し込むと瞬時に意味が表示されるので、英語を読むスピードが飛躍的に上がりました。

パソコンを使って英語を勉強すると、学習効率をグッと高めることができるので、おすすめです!具体的な話は動画でも解説しているので、ぜひ参考にしてみてください。

隣の人に気軽に話し掛ける文化

オーストラリアでは、近くにいる人に気軽に話し掛ける文化があります。日本の感覚では、見知らぬ人と会話するのは少し抵抗があるかもしれません。しかしオーストラリアでは、カフェで隣の席に座った人と話す、なんてこともよくあります。電車で目の前に座っている人と仲良くなることも、割とあります。

僕がお気に入りの、ひげマークのシャツを着ているときは、「どこで買ったの?」と声を掛けられました。偶然にも同じブーツを履いている人がいたときは、意気投合してそのままコーヒーを飲みに行ったこともあります。人との距離が良い意味で近く、友達ゼロ、英語力ゼロだった留学当初の僕にとって、すごくありがたかったものです。

英語習得の面からも、外に出れば何かしら英語を使う機会があるので、僕はモチベーションが上がらないときほど、カフェなどに出掛けるようにしていました。カフェに行けば、少なくとも店員さんと会話できて、幸運なら隣の人と話す機会もあるからです。

僕はもともとアウトドア派なので、「留学先で引きこもるわけがない」と思っていました。「留学で引きこもるなんて、もったいなさ過ぎる」と、留学前は本気で考えていたのです。でも、いざ留学して、英語の間違いや日常生活での失敗が積み重なるにつれ、僕の中にあった自信が徐々に消えていきました。

海外生活が長くなると、「外に出たくない」ときがきっと来ます。しかし、家にいては学習を妨げる誘惑が多く、僕の場合は惰眠をむさぼってしまっていました。気持ちが引きこもりそうになったときほど外に出て、積極的に人と関わるようにしてください!

▼「留学先で引きこもらないことの重要性」について詳しくはこちら↓

gotcha.alc.co.jp

「自分」を軸に生きていて、他者にも優しくできる

日本とオーストラリアとの違いで最も衝撃を受けたのが、人との関係性です。

僕が日本にいるときは、周りにどう見られるのかを気にしていました。一方、オーストラリアでは、「好きな自分」でいられる努力をする人がすごく多いように思います。
間違っていると思うことに対して徹底的にNoと言える土壌が社会にあり、誰もが自分の考えを主張できる文化が、オーストラリアにはあります。大学でも、年齢に関係なくフラットな関係性で人の意見を聞く人が多かったので、対等な立場で自分の意見を伝えることができました。

ファッションでも、年齢に関係なく、好きな自分でいられるものを着ています。それをすてきだと言い合える文化も、僕にとっては衝撃的でした。

また、オーストラリアは多民族国家であることはお伝えした通りですが、多文化理解や他者への気遣いが生活の中で垣間見えるところも、またすてきです。

この動画はトラム(路面電車)に乗っていたときのものですが、ベビーカーや重たい荷物を持っている人がいたら、必ず誰かが手を貸します。トラムで赤ちゃんが泣いている場合は、周りのみんながあやす光景を、この5年間、何度も目にしてきました。

日常の中でこのような心の余裕を持てるのは、自分の軸を持ち、正しいと思うことに素直だからなのだろうと思います。日本と比べてどちらが良い、悪いではなく、そういう考え方や生き方もあるんだということを、僕はオーストラリアで学びました。

「豪」に入っては「豪」に従え

僕は日本で生まれ育って、常識だと思っていたことがたくさんありました。しかし、オーストラリアに来て、そういったある種「固定観念」のようなものは剥がれ落ちました。前述のように、どちらにも良さがあり、それぞれに文化的背景があります。

「こんな価値観、考え方もあるんだ」と考えられるようになっただけでも、少しは成長できたのかな、と思います。

海外に出た際は、日本で身に付けた枠組みをいったん外し、新たに出合った国のありのままを見ると、今まで気付かなかった発見があります。その中で、日本のすてきな部分もたくさん見えてきます。

そういった意味で、僕は、郷(豪)に入っては郷(豪)に従って良かったと思います!

ちーや
ちーや

メルボルン大学開発学修士号卒。留学英語モチベーター。「留学をよりPOPに」をコンセプトに、英語力ゼロから留学を目指す人のための英語学習法やオーストラリア留学のリアルをメルボルンより発信中。Twitterフォロワー1万9千人。 Twitter= https://twitter.com/ChiyaMelbourne @ChiyaMelbourne/英語学習サイト「ゼロ英語」:https://chiya-eng.com/

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