「ハマー」こと濱崎潤之輔さんのインタビュー連載、第1回。講義や執筆などを通じて「英語を教える」プロとして活躍するハマーさんに、これまでのキャリアやその仕事観について伺います。2018年1月公開記事。
濱崎潤之輔さんってどんな人?
ENGLISH JOURNAL編集部:濱崎潤之輔さんは英語講師。明海大学、獨協大学などで大学講師を務めるかたわら、楽天銀行、SCSK(住友商事グループ)、エーザイなどの大手企業でもTOEICテスト対策の講師を務めています。
2006年からTOEICテストを受け始め、TOEIC満点の990点を70回以上獲得しており、『中学校3年間の英語が1冊でしっかりわかる問題集』『TOEIC L&Rテスト990点攻略』など著書も多数(累計70万部超!)。無類のプロレス好きでもあります。
「TOEICのハマー」誕生までの道のり
編集部:昨年出版された本だけで、著書や監修をしたのが7冊もあります(取材当時)。どうしたら、こんなにたくさん本を書くことができるのでしょうか?
濵﨑潤之輔:書くのは大変ですが、チャンスをたくさん頂けるのはありがたいですね。実は、僕は「本を出したい」とは一言も言っていないんですよ。全て出版社さんからのご依頼によるものです。
編集部:それは素晴らしいです。なぜ、そんなに多くの依頼がやってくるようになったのでしょう。
濵﨑:うーん。TOEICに対して、他の誰にも負けないレベルで、一意専心向き合ってきた結果でしょうか。まあ、収入の面では、塾の経営をしていた時代にやっと追いついた、という感じですけれど。
編集部:ハマーさんは塾の経営もされていたんですね。書籍編集者だったとは伺っていましたが。
濵﨑:塾を経営していたんですよ。確かに、書籍の編集をしていたこともあります。スーパーの品出しをしていたこともあります。
英語との縁はなかった20代
編集部:20代の頃は何していらっしゃったのですか?
濵﨑:新卒で大手の証券会社に入ったのですが、1年たたずに辞めました。体力的にも精神的にもかなりキツかった。
仕事というよりは研修だったのですが。1年目だからスキルがまだ全くないので、株を売ったりすることはなく、まずは「証券マンが過ごすべき1日」を体感する、みたいな生活でした。
朝5時とか5時半に起きてまず新聞を読むのですが、毎日7紙を読むルールで、それくらいの時間から読まないと読みきれない。朝ごはんを食べる頃にようやく一通り読み終わって「今日はこんなニュースがあったよな」という話をみんなでするんです。
編集部:証券マンの仕事をよく知らないのですが、とてもそれらしい1日の始まりのように聞こえます。
濵﨑:で、「今日はどんな仕事をするんだろう」と同期たちと話していると「今日は本社へ行きなさい」と指示があって八重洲の本社へ行くんです。本社に行くと、プラカードを持った人たちが本社の周りを取り囲んでいて・・・。
その人たちに「すみませんが・・・」と言ってどいてもらうのが仕事、というような日も結構ありました。
編集部:それは証券マンらしく聞こえない・・・。
濵﨑:でしょ? 私の退社後、しばらくしてその会社は倒産してしまいました。
どこかで働きながらじっくり考えようと思ってたので、その後、取りあえずスーパーで働き始めたんです。
当時住んでいた相模原(神奈川県)から原付で20分くらいの、府中駅の近くのスーパーで1年間働きました。司法試験にも興味があったので、バイトをしながら司法試験の勉強もしていました。
編集部:法律にも興味があったんですか?
濵﨑:法学部ではなかったんですが、周りには法律が好きな人や、弁護士を目指している人も多かったので、影響を受けたんでしょうね。
でも、司法試験は受験できるレベルに達することなく挫折してしまいました。司法試験予備校のテキストを買って勉強を始めたものの、「全然覚えられない。これは無理だな」と思いました。
スーパーの品出し係から塾講師に
濵﨑:当時のスーパーの給料ってそんなに高くなくて。毎日働いてもたかが知れているんです。ある日、タウンワークで見かけた塾講師のアルバイトは少し給料が良かった。「塾講師は、なんとかやれるんじゃないかな?」と思って、始めてみたんです。
場所は横浜のとある緑園都市。小さいフロアに小学生から高校生までいるような、インディーズな塾で働き始めました。
編集部:そこで英語を教え始めた、と。
濵﨑:いえ、小さな塾なのでなんでも教えるんですが、メインは国語でした。数学も社会も、もちろん、英語も教えていましたが。
大学時代にも一対一の家庭教師の経験はありましたが、それは自分に向いていないと思っていました。でも、塾でみんなの前で教えてみたら本当に楽しくて。自分に合っている感じがしたんです。
そしてあるとき、務めていたインディーズな塾の隣に、神奈川では3本の指に入るようなメジャーな塾ができたんです。僕がいた塾は地下のフロアを借りていましたが、そっちはビルまるごとで、大きな看板もちゃんとある。
「なんだか、本格的な塾ができたな」と思って、気軽な気持ちで応募してみたんです。そうしたら合格して、社員として入社することになりました。そこには8年ほど在籍していました。
学習塾の経営も経験
編集部:そして塾の経営にも関わるようになったわけですが、それはどんなきっかけがあったのでしょうか。
濵﨑:予備校や塾は、いつもアンケートを取って先生ランキングや人気ランキングのようなものを作っているんです。人気が下の方だったら指導が入って、いたたまれなくて辞めていく人も多い、という世界です。
いつの間にか、僕のランキングがすごく上になってしまって、「これは自分でやれるんじゃないか?」と思ったんです。勤め先の塾と同じ駅の反対側に、後輩2人と僕の3人で会社を作りました。
当時は資本金300万円ないと会社が作れなかったんで、100万円ずつ出して会社を作り、自分たちの塾を立ち上げた2004年でした。
編集部:「人気があるから独立しました」というところに、当時の勢いを感じます。
濵﨑:「どう考えても、自分でやったほうがいいだろう」と思ったんです。サラリーマンの塾講師は、いくら多くの生徒を集客しても、成績を上げて結果を出しても、給料に結び付かなかったんです。年に1回表彰されるぐらいでした。
ただ、塾の立ち上げ当初はかなりきつかったですね。1年目は生徒が7、8人しか集まらなくて。
それだと食べていけないので、昼間は個別指導の塾でアルバイトをして、夜は自分の塾で働く、という具合でした。道路工事現場での赤灯振りのバイトも、けっこうな頻度でやっていました。自分の塾よりバイトの方が稼ぎは多かったぐらいです。
バイトの学生たちから教わったTOEICの存在
濵﨑:そうやって自分の塾とアルバイトを掛け持ちして、2年ほど生活していました。ただ、実績はきちんと出てきたので、経営状態は徐々に上向きになっていきました。うちの生徒が、公立のトップ校や私立の名門校に合格するようになったんです。
塾は口コミが命ですから、卒業者の弟や妹が来たり「あそこの子はあの塾へ行って成績が上がったらしい」と地域でうわさになったりして、生徒が急増しました。
編集部:上向きな話になってきてほっとしました(笑)。
濵﨑:1階に大手携帯キャリアのショップが入っている大きなビルの2階で、家賃が50万円くらいの所を借りられるまでに成長しました。それまでは人を雇う余裕がなくて創業メンバーの3人だけでやっていましたが、そこでようやく人を雇う余裕が出てきて。
そんなとき、アルバイトの大学生がみんなTOEICを受けていることに気付いたんです。当時のバイトたちはみんなけっこう優秀で、TOEICも600点、700点くらいを取っていました。その一人に「塾長、これからはTOEICをやっておかないとマズイっすよ」と言われたんです。
初受験の目標はTOEIC 700点
編集部:でも、当時、ハマーさんのメインは国語だったから、TOEICは関係なかったのでは?
濵﨑:まあ、そうです。でも、例えば中学生の英検対策の指導で、面接練習などがあって、英語担当の講師だけでは手が足りなくなることもあって。そんなときに私が手伝うんですが、僕自身は当時、英検を受けたこともなかったので、自分の英語力の指標すらなかったわけです。
「塾長は英検とか持っているんですか?何もないのはマズイですよ」とも言われて。確かに「何も持っていないのはよくない」と思いました。
編集部:別に資格がなくても経営としては問題ない気もします・・・。
濵﨑:あと、僕はじつは検定モノが好きで。その年の7月に歴史能力検定というのを受けたんですが、その後は何も予定がなかったので、だったらTOEICを受けたらちょうどいいかな、とも。そこから3カ月くらい猛勉強してTOEICを受けました。
編集部:軽いきっかけでも勉強はものすごくやった、というところに濵﨑さんらしさを感じます。
濵﨑:あまりにひどい点を取ったら、塾長という立場の手前、まずいじゃないですか。「あそこの塾長TOEIC 200点だぜ」とかうわさになったらいけない。
だから、せめて良い点を取ろうと思って、700点を目標にしたんです。500点とか600点だとバイトの学生と一緒で、700点だったら、取りあえずは「どや!」って感じになりそうじゃないですか。
張り切って近所の書店に行って、参考書を買ったんです。ところが、練習問題を解こうと思っても全然できない。簡単だと聞いていたPart 1ですら、何を言ってるのか全く聞き取れない。「そんなにどんどん進むなよ!」という感じでした。
編集部:塾長、それはピンチですね。
濵﨑:いやもう、そこから猛勉強モードした。
塾の仕事は午後からだったので、塾のある日の午前中に家で勉強しました。週2日は休みもあったので、休日は図書館で朝から晩まで勉強しました。
それで、自分としてはけっこう頑張って、3カ月の勉強を経て、初受験で790点取れました。
編集部:それは「どや!」ですね。でも、そこで一段落したわけではなかったんですね。
濵﨑:当時、TOEICで900点を取れたら「神」という扱いだったんです。杉村太郎さんの『TOEICテスト900点・TOEFLテスト250点への王道』という本があって、「900点取ったらすごいんだ」というイメージでしたね。
最初のスコアが790点で、900点まであと少しという感じがしたので、さらに勉強することにしたんです。
最初に取った点数が600点だったら「そんなものだろう」と思って、なかったことにして、それ以上受験していなかったかも。「600点だったら普通でしょ?英検3級くらい教えてもいいよね」という感じで開き直って(笑)。でも、そこで790点を取ったから、さらに続ける気になりました。
編集部:790点から900点はすぐだった?
濵﨑:790点を取った半年後に受けた2回目が860点でした。
2回目でそれだけ点数が上がったので「もうリーチだ」と思って勉強を続けていたのですが、そこからが厳しかったです。
時期によっては土日も塾が忙しく、TOEICを受けるチャンスがなかったこともありますが。その年にあと2回ほど受けて、スコアは845点とか855点とかでした。
結局、860点から点数が伸びない。勉強量は変わらないのに、点数が止まった。これが独学でできる限界かもしれない思いました。
編集部:でもその後、諦めずに満点に到達しました。
濵﨑:インターネットで調べても、当時はTOEICの情報はほとんどなくて。ただ、ヒロ前田さんが発行していたTOEICのメルマガを読む機会があって、すごくTOEICを研究している人がいると知ったのです。「これはすごい」と思って、前田さんの「ダッシュフォーラム」という無料セミナーに行きました。
まだ前田先生も有名ではなかったから、参加者は4人くらい。セミナーを2時間ぐらい受けて、懇親会に参加して、その時にたくさん質問して、色々なことを教えてもらいました。
編集部:例えばどんなことが参考になりました?
濵﨑:当時の僕の勉強法は、すごく時間を割いて勉強をしているんだけれども、本を買って、問題を解いて、復習して終わり。そしてまた次の本を買う、というもの。これを繰り返してたんです。とにかくめぼしい本を片っぱしからやったんです。
TOEICの勉強を開始したときからずっとそのスタイルで、860点前後で頭打ちになっていました。自分では勉強しているつもりだったし、持っている本も多かったけれど、逆に「それがダメ」と前田さんに言われました。
「やり残しがあるのに、新しい本をどんどんやっているからいけない」「1冊の本を完璧にやりきって、全てを知り尽くしたと言えるぐらい勉強してみてください」と。
そのセミナーの後の半年間は、本当に1冊か2冊しか勉強に使いませんでした。模試が3セット分入っている本を、半年間、何回も繰り返しました。そうしたら970点になったんです。
目標だった900点を軽く超えて、一気に満点に近くなった。これはうれしかったです。
TOEIC勉強ブログの縁で編集者に
編集部:高スコアを取ったら、今度は自分の塾でTOEICを教えて・・・、とならずに、なぜそこから編集者に?
濵﨑:その当時、毎日の勉強をずっとブログに書いていたんです。と言っても、当時は教える側ではなく単なる学習者ですから、「今日は何を勉強した」というような単なる記録でした。
自分のモチベーション維持のためのブログで、毎日毎日、飽きずに更新していたら、ある日、出版社の方から「うちで働きませんか?TOEICの本を作りましょう」という誘いのメールが来たんです。
2月か3月で、ちょうど受験が終わった時期でした。普段は、受験生を抱えているのでやめるわけにいかないんですが、やめてもいいタイミングに誘いが来たんです。
編集部:誘う方も、それにすぐ応じる方も、勇気がありすぎですね。
濵﨑:もちろん、自分の塾があったので葛藤はありました。でも、編集者をやってみたいという思いもったんです。というのも、僕は元証券マンでしたが、実は、本当になりたかったのは編集者だったんです。
就活で集英社、小学館、講談社とか、東スポ、スポニチなど、新聞や雑誌、マスコミ系をたくさん受けて、全部落ちました(笑)。最も良い所まで行ったのはテレビ朝日で、5次面接くらいまで行きましたが、他はことごとく落ちてしまって。
というわけで、編集者になれるという話がいきなり出てきたのは驚きましたが、少し考えた後、正社員の編集者として入社しました。
編集部:なるほど。編集への思いとTOEICでの成果が、大きな転機になったんですね。
次回は後半。編集者から英語講師になった話と、TOEICの勉強法についてお話しいただく予定です。
写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL編集部)
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