英語は、文学、映画やドラマ、コメディーや歌などに楽しく触れながら学ぶと、習得しやすくなります。連載「文学&カルチャー英語」では、シェイクスピア研究者で大学准教授、自称「不真面目な批評家」の北村紗衣さんが、英語の日常表現や奥深さを紹介します。今回のテーマは、シェリダンによる18世紀の戯曲『恋がたき』の登場人物が由来となった言葉「malapropism(マラプロピズム)」です。
シェリダンによる18世紀の戯曲『恋がたき』
You have no more feeling than one of the Derbyshire putrefactions!
The Rivals, 5.1.217-218 (= Act 5, Scene 1, Lines 217-218)
このセリフは、1775年に初演された、アイルランド人劇作家リチャード・ブリンズリー・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan、1751-1816)の戯曲『恋がたき』(The Rivals)に登場する マラプロップ夫人 の、めいのリディアに対する発言です。
18世紀の英語にしては、文法的にはそんなに難しくないと思います。意味がまったくわからない単語は、たぶん putrefactions だけでしょう。この単語の意味は 「腐敗」とか「堕落」 です。
Derbyshireは地名の「ダービーシャ」です。ここのone of the ~は「~のどれか一つ」のような意味ですが、この文脈では特に訳出する必要はないでしょう。
こうしたことを考えて訳してみると、「あなたときたら、ダービーシャの腐敗くらいの感情しかないんだから」という意味になります。しかし、これでは全然、なんだかわかりませんね。「ダービーシャの腐敗」ってなんでしょうか?
実はこのセリフ、 putrefactionsが言い間違い で、おそらくマラプロップ夫人が 言いたいのはpetrifactions(石化物) という単語です。
petr-は「石」や「石油」を指す接頭辞で(petrol[ガソリン]は石油由来ですね)、petrifactionsは何かが石化するプロセス、あるいは石化の結果として出来たものを指す言葉です。
18世紀のダービーシャは化石で有名 でした。たぶんマラプロップ夫人が言いたいのは、「あなたときたら、ダービーシャの化石くらいの感情しかないんだから」ということです。
なんでこんなpetrifactionsみたいな難しい単語を使おうとするんだ、化石の話ならfossils 1 (この言葉は18世紀にはすでに使われていました)とかでいいじゃないか、と思いますが、これは マラプロップ夫人の性格造形上、重要* なのです。
マラプロップ夫人の名前が由来の英語malapropism
実はマラプロップ夫人は、 やたら難しい言葉や気の利いた表現を使おうとして、しょっちゅう言い間違えてしまう のが特徴のキャラなのです。
今回、皆さんに覚えていただきたい単語は、このマラプロップ夫人の行動から来ている単語、 malapropism(マラプロピズム) です。
マラプロップ夫人自身の名前は、 フランス語で「不適当に」や「見当違いに」を意味する“mal a propos” から来ています。そして、この芝居が当たったため、英語にmalapropism *2 という単語が入りました。
malapropismは、『オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)』にある定義を訳すと、 「言葉の滑稽な誤用、特にある言葉をほかの似ている言葉と間違えること」 で、1830年頃にはすでに使われていました。今でも結構使われる単語です。
マラプロップ夫人の「教育方針」はどこがおかしいのか?
マラプロップ夫人は『恋がたき』の中で四六時中、言い間違いをしているので、おそらくこの芝居の中でいちばん、話している内容が理解しにくい人物です。正直、ほかの登場人物もマラプロップ夫人の話を理解しているのか、あまり定かではありません。
以前にこの連載の 「ジョーク」の回 でも書いたように、どの単語とどの単語の音が引っ掛けになっているかに気付くのは、 ネイティブスピーカーにとってもそれほど簡単ではありません 。マラプロップ夫人のセリフは、18世紀の観客にはわかったのかもしれませんが、現代の観客だと、いったい何を何に間違えているのか、推測できないところも多くなっています。
その中から、比較的わかりやすそうなマラプロップ夫人の言い間違いを紹介しましょう。
次のセリフは、マラプロップ夫人が友人のサー・アンソニーに、娘の教育方針を話しているところです。sheは自分の娘を指します。
But above all, Sir Anthony, she should be mistress of orthodoxy, that she might not misspell and mispronounce words so shamefully as girls usually do, and likewise that she might reprehend the true meaning of that she is saying.
The Rivals, 1.2.223-227
最初の行にある mistress はmasterの女性形なので、 「~に精通した女性」 くらいの意味です。
orthodoxyというのは「正統な信仰」 というような意味ですが、この後を読むと「若い女性がよくやるように、つづりや発音をひどく恥ずかしい形で間違うことがないように」娘を教育しないといけないと言っています。そのため、どうもここは、信心の話をしたいわけではなく、 orthodoxyはorthography(正字法)の言い間違い らしいことがわかります。
さらにその後の箇所を読むと、 reprehend(とがめる) が怪しいと気付きます。これは apprehend([意味を]とらえる)かcomprehend(理解する)の言い間違い で、この部分は「自分が言っていることの本当の意味を理解できるように」ということです。
ここでマラプロップ夫人は、読んだり話したりするときに間違った言葉を使わないことが重要だと主張しているわけですが、 本人が間違った言葉ばかり使っているので、その矛盾がおかしい 、という場面になっています。
英語の言い間違いを日本語にどう訳す?
さて、取りあえず英文の意味がわかったところで、問題は、これは 芝居のセリフ だということです。そのため、日本語などで上演する場合、マラプロップ夫人が間違ったことを言っていておかしいのだ、ということが、耳で 聞いただけでわかるように訳さないといけません 。これはほぼ不可能に近い 難業 と言っていいでしょう。
『恋がたき』は翻訳が出ていて、ここはこんなふうに訳されています。
でも、何よりも望ましいのは、 権疑 ある 植字法 に精通することでござんすよ、サー・アンソニー。世間の娘たちがよくやるように恥ずかしげもなく、綴りを間違ったり、変な発音をしないで済みますもの。それに自分が何を言ってるかを、正確に 誤解 できますものね。
『恋がたき』竹之内明子 訳、p. 34、太字は原文では傍点
太字(原文では傍点)部分が、マラプロピズムが発揮された部分の訳です。訳者の竹之内明子はあとがきで「翻訳の限界を痛感した」(p. 196)と言っていますが、まったくシェリダンは翻訳者泣かせの作家です。
マラプロップ夫人から得られる教訓
マラプロップ夫人ほどではありませんが、 音やつづりが似た言葉 をうっかり間違って使ってしまうことは、英語学習者には(時にはネイティブスピーカーでも)よくあります。
私がイギリスの大学院に通っていた頃、英語ネイティブスピーカーの院生仲間が、疲れたときに論文で difficultと different を書き間違えて意味不明な文章を先生に送ってしまったことがありました。私も、 bilateralism(左右対称、二国間主義)とbipedalism(二足歩行) とか、 tenor(趣旨)とtenure(在職権) とかはたまに混乱します。
マラプロップ夫人のようにならないためには、英文を書くときにはきちんと 辞書を引きながら書く というのが大事です。 単語をうろ覚えのまま使わず、きちんと意味を確認 しながら英作文を行いましょう。また、 話すときは、無理に難しい言葉を使うことはしない というのもよいかと思います。
参考文献
■Richard Brinsley Sheridan, The School for Scandal and Other Plays , ed. Michael Cordner, Oxford University Press, 2008.(The Rivalsの引用はすべてこれによる)
▼「Penguin Classics」版はこちら↓
■リチャード・ブリンズリー・シェリダン『恋がたき』竹之内明子 訳、日本教育研究センター、1990。
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編集:ENGLISH JOURNAL編集部/トップ写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL編集部)
*2 :“malapropism, n.” OED Online, Oxford University Press, December 2019, www.oed.com/ view /Entry/112760. Accessed 19 February 2020.
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