300年前の作品とは思えない!『ガリヴァー旅行記』作者スウィフトのモットーとは?【英米文学この一句】

翻訳家の柴田元幸さんが、英米現代・古典文学に登場する印象的な「一句」をピックアップ。その真意や背景、日本語訳、関連作品などに思いを巡らせます。シンプルな一言から広がる文学の世界をお楽しみください。

I cannot but conclude the Bulk of your Natives, to be the most pernicious Race of little odious Vermin that Nature ever suffered to crawl upon the Surface of the Earth.

?Jonathan Swift , Gulliver’s Travels (1726)

『ガリヴァー旅行記』といえば、英語で書かれた小説のなかでもっとも広く読まれた小説ベスト10に入る作品である。小人国に迷いこんだガリヴァーが細い細い糸で(でもリリパット人にしてみれば太い太い綱で)縛られて横たわり、身長6インチのリリパット人がそこらじゅう歩き回っている絵など、いったいいくつのバージョンをいままで見たことだろう?

だが、それではこの小説のなかで印象に残る一句は?と考えると、これがなかなか出てこない。“Please, sir, I want some more”(ディケンズ『オリヴァー・トゥイスト』→当連載第4回)、“Reader, I married him”(シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』第5回)に匹敵するような、短くて記憶に焼き付くようなフレーズはどうにも思いつかない。

といって、『ガリヴァー』の文章がディケンズやブロンテに較べて劣っているということでは決してない。そうではなく、作者スウィフトの関心が、ガリヴァーが訪れる4つの架空の国がどんな国で、どんな人が(あるいは馬が)住んでいて、何をしていて、ガリヴァーが現われたことで何が起きるか、それをきっちり 具体的に 描くことに集中しているのである。徹底して事実ベースの小説なのだ。 したがって その英語は非常にわかりやすい。300年近く前に書かれた作品だとはちょっと信じられない。何しろスウィフトは、書いたものを召使いに読んで聞かせ、召使いが「わかりません」と言ったら書き直した。“ to be understood by the meanest”(もっとも学のない者にもわかるように)というのが文章を書く際の彼のモットーだったのである。

・・・まあとはいえ、上に挙げたように、王様の物々しい発言となると、さすがに訳をつけておく必要があるだろう。母国イングランドの政治、宗教、社会をガリヴァーが自慢たっぷりに語るのをじっくり聞いた挙げ句、巨人国の王が口にするコメン トがこれ。「どうやらお前の国の民の大半は、この地上を這いずり回ることを自然によって許された中でも、最高に有害な、しけた忌まわしい害獣の一族と結論するほかない」(I cannot but は現代英語ではI cannot help but:~せざるをえない)。イギリス人の自己満足をスウィフトは何度もこき下ろすが、これはその最初の顕著な例として記憶に残る。

スウィフトは小人国や巨人国を、時には当時のイギリスの実態を映し出す鏡に使い、時にはイギリスを外から見る反面鏡に使った。どっちにするかははっきり言って行き当たりばったりという感じで、いったい誰を批判しているのかよくわからないときもあり、要するにこの人は人間という種族全体を罵っているんじゃないかと思える。 にもかかわらず その筆致は(少なくとも『ガリヴァー』最終章を除けば)それなりに温かい。「病的に人間を嫌忌(けんき)したという名を博したに かかわらず 、親切な人である」(『文学評論』)と論じた夏目漱石はまことに正しかった。

柴田元幸さんの本

文:柴田元幸

1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2020年7号に掲載された記事を再編集したものです。

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