コメディーがただ笑いを生むだけのものではないことを、世界は証明しています。文化的タブーに挑戦し、社会的な問題を鋭く突くイギリスのコメディアンたち。彼らは、笑いを通じて世界をどのように見ているのでしょうか?一方で、日本のお笑いは30年間何をしていたのでしょうか?グローバルな視野で見たコメディーの力と、日本のお笑いの現状について考察してみましょう。
お笑いの失われた30年
英語の学習法として、一番良い方法の一つはコメディーを見ることだと思っている。まずは、英語の意味が分からないと笑うことができない。つまり、自分の理解度を確実に知ることができる。そして、もし分かったら、笑いという脳へのご褒美がある。
海外のコメディーには、日本の「お笑い」とは違った文脈や文法がある。どちらが上とか下ということではなく、単に違う。日本のお笑いは、同化圧力の下、人間関係の細かいアヤを扱っているものが多い。もちろん、そのような笑いがあってもいいが、それだけでは世界が狭くなる。日本の失われた30年は、「お笑いの失われた30年」かもしれない。
グローバルに見ると、人類が直面しているさまざまな課題に真正面から取り組んでいるコメディーがある。
世界のタブーに切り込むイギリスのコメディー
例えば、イギリスのコメディアン、ダイアン・モーガン。彼女が、物事をあまり理解していないのだけれども自信たっぷりに質問したりリポートしたりするジャーナリスト、「フィロメナ・カンク」を演じる「カンク」シリーズは、とても面白い。そして、私たちが考えることを避けがちなタブーを扱っている。
例を挙げると、核兵器についてのスケッチ。カンクが専門家に、「核兵器がなくなったことは良いことね」と言う。専門家が、「どういう意味でしょう? 例えば、イギリスなどはまだ核弾頭を持っていますが?」と答える。
「でも、空砲なんでしょう?」「いいえ、核弾頭が搭載されています。核戦争の危険は、いまだに、とてもリアルなんです」
このやりとりを受けて、カンクが突然泣き出す。彼女は、広島、長崎の惨禍をもたらした人類が、まさかまだ核兵器を持っているなどとは夢にも思っていない。それだけ無知であり、人類を信じているのである。
専門家が戸惑っていると、カンクが気を取り直したように、「もっと明るい話題にしましょうか? アバはお好き?」と聞く。「ええ、好きです。例えば『ダンシング・クイーン』」。「そうね、ダンシング・クイーンいいわね」とここでスケッチが終わる。
無知なリポーターという設定を逆手に取って、賢いつもりでいる人類の愚かさを描く。すぐれたコメディーの文法と言えるだろう。
「カンク」シリーズでもう一つ。欧米では、イスラムに対するコメントはさまざまな政治的な意味合いを持ってしまい、極めて難しい。もちろん、コメディーにおいても同様である。「宗教」を扱った回で、カンクが野外に立ち、手元に紙を持っている。「プロデューサーによると、イスラムについて何か言うときには、この台本に一字一句従わないと、大変な国際問題が生じると言うのです・・・」。
そのとき、強い風が吹いて、カンクが持っていた紙が空に飛んでいってしまう。そこで、カンクは開き直ったように、話し出す。
「ええと、私がイスラムについて思うことは・・・」
ここで画面が切り替わり、「この部分はあなたのお住まいの地域では放送できません」というテキストと、軽やかな音楽が流れる。カンクが何を言ったのかは分からない。イスラムについて語ることがタブーになっていることをうまく使ったコメディーのやり方だと言えよう。
「カンク」シリーズでもそうだが、面白いことを言っているのに、本人は至って真面目な顔をして話すやり方を「デッドパン」と呼ぶ。特にイギリスのコメディーでしばしば使われるようである。
先日開かれたゴールデングローブ賞において、新設された「最優秀スタンダップコメディー賞」を受けたリッキー・ジャーヴェイス。その最新作、「アルマゲドン」では、現代における最大のタブーとも言える「ウォーク文化」をやり玉に挙げている。
もちろん、人々の人権や、ジェンダーの平等、格差の是正など、普遍的な価値を広げていくことは大切である。しかし、それが行き過ぎて、言葉の表現の細かいところまで規制したり、柔軟性や自由が失われたりしてしまうと、かえって社会が堅苦しくなってしまう。
リッキー・ジャーヴェイスは、そのような状況を受けて、「ウォーク文化」に対して果敢に挑戦する。その姿勢は、炎上すれすれの際どいものだが、だからこそ現代の私たちが意識すべき「メタ認知」(自らを振り返ること)を提供していると言える。
自由になれなかった日本のお笑い
このようなグローバルなコメディーの現状を見ていると、日本のお笑いはどうしても幼稚に見えてしまう。松本人志さんが休養されたことは、仕方がないことだとは思うが、残念だった。本当ならば、その笑いの本質に照らして議論があったら良かったのにと思う。
日本の社会には、表のメディアで十分に議論されない、さまざまなタブーがある。在日韓国人、在日朝鮮人の方々のこと。中国との関係。政治家の世襲。先の大戦に至る日本の政治の在り方。靖国神社のこと。日本国憲法の成立の過程。失われた30年の、経済の停滞。少子高齢化。世代間対立。
日本のお笑い芸人、いや、コメディアンが、ダイアン・モーガンや、リッキー・ジャーヴェイスのように、これらのタブーに取り組んでいたら、日本人の思考や感性はもう少し解きほぐされた、自由なものになっていたのではないかと思う。日本のお笑いのような忖度の芸は、同化圧力のエコーチェンバーの中に人を閉じ込めてしまう。
日本にも批評的コメディーがないわけではない。しかし、公共の電波を使い、最も多くの社会的なリソースを投入しているテレビのお笑いが、みんなが知っているような芸人同士のなれ合い、同化圧力の現場になってしまってきた。松本人志さんのことが、そのような日本のお笑いの現状と無関係ではないことは多くの人が感じていることだろう。
日本のお笑い、さようなら
もちろん、日本のお笑いのような文化があってもいいし、それを好きな人がいてもいい。しかし、それは唯一のものでも、最高のものでもない。日本のお笑いが、小学5年生くらいの男の子の悪ふざけのようなことを繰り返しているうちに、30年の時間がたち、たくさんの機会が失われてしまった。
批判することは、かえって対象にエネルギーを与えることにもなる。だから、私は最近、日本のお笑いをスルーすることに決めた。先日、X(旧ツイッター)に「日本のお笑い、さようなら」と書いたのはそのような意味である。
日本にも、批評的コメディーの精神が降臨しますように。地上波テレビの制作者たちも、そのような可能性に目覚めますように。私が海外のコメディーに接したのは、中学生のときに東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が紹介した、イギリスの伝説的番組『モンティ・パイソン』を通してだった。
写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL 編集部)
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