1990年にドイツから来日、出家して禅修行を始め、安泰寺の住職も務めたネルケ無方さんが、「世界における日本の禅」をテーマに執筆するエッセイ連載「ネルケ無方の世界禅道場」。第4回では、初めて欧米に禅が伝えられて現在に至るまで、禅がどのように広まり、そして受容されてきたかを解説します。
目次
世界で「ZEN」はどう捉えられてきた?
第3回では、日本に来て感じた「禅修行」への認識のギャップについてお話ししました。
多くの欧米人の心をつかんだ日本の「ZEN(禅)」。その魅力はどこにあるのでしょうか?
ZENは、多くの日本人が思っているよりずっと早い時期に欧米へ伝来しました。
日本が開国したとき、ヨーロッパの多くの国々も封建主義から民主主義へ移行している最中でした。
哲学者ニーチェが「神は死んだ」と喝破(かっぱ)したその頃、キリスト教文明の終わりを嗅ぎつけていた人々は多くいました。19世紀の終わりから20世紀初めの欧米人の感覚を表したのは、フランス語の“Fin de siecle(ファン・ド・シエクル、世紀末)”という言葉でした。
ヨーロッパの凋落(ちょうらく)を予見したオスヴァルト・シュペングラー著の『西洋の没落』(第1巻1918、第2巻1922、英題:The Decline of the West)を否定的に捉えていた保守派よりも、西洋文明の脱皮への期待に胸を膨らませていた者の方が多かったのではないでしょうか。
植民主義の影響で、インドや中国の文化が次第に欧米にも紹介されるようになり、日本の浮世絵のような、旧来の西洋文化にない現世的な軽やかさは高く評価されました。
その一方、岡倉天心の『茶の本』(1906、原題:The Book of Tea)によって、日本文化の奥ゆかしさも注目されました。
旧来の価値観をとっぱらい、新しい社会・文化・芸術・ライフスタイルを創造しようとしていた各分野の第一人者の目に留まったのは、東洋の知恵、とりわけ仏教でした。
特に多くのインテリ層が、キリスト教より古くから人の生きる苦しみに着目してきた、また神への信仰を必要としない仏教の近代的なアプローチに興味を示しました。
初めて欧米に禅を紹介した禅僧たち
1893年のシカゴ万国博覧会では、日本の代表の1人として、鎌倉の円覚寺の管長だった釈宗演(しゃく そうえん)が出向き、欧米で初めて禅を紹介しました。
そのスピーチを英語に訳していたのが、のちに多くの欧米人を魅了することとなった鈴木大拙(すずき だいせつ)です。
釈宗演が1905年に再び渡米した際、鈴木大拙のほかに千崎如幻(せんざき にょげん)という禅僧を連れて行きました。帰国の際、千崎如幻は師匠を見送ると、1人でアメリカに留まり、アメリカ人と共に坐禅をした最初の禅僧になりました。
現在、アメリカで彼のことを覚えている人は皆無に等しいですが、Like a Dream, Like a Fantasy(1978)といった英語の法話録が残っています。
釈宗演の弟子にあたる釈宗活(そうかつ)も、1906年には14人の弟子を連れて渡米し、カリフォルニアの田舎で自給自足の修行生活を始めようとしましたが、イチゴの栽培などに失敗し3年間で挫折します。
弟子たちの中で佐々木指月(ささき しげつ)だけがアメリカに残り、1945年に死去するまでニューヨークでSokei-an(曹溪庵)という名で活躍しました。
Zen Pivotsなど、いくつか佐々木指月の語録が出版されていますが、彼自身よりも夫人のルース・フラー・ササキやその義理の息子であるアラン・ワッツが戦後、多くのアメリカ人にその教えを伝達します。
特にアラン・ワッツは、The Way of Zen(1957)やBeat Zen, Square Zen and Zen(1959)など多くのベストセラーを続けて刊行し、鈴木大拙のLiving by Zen(1949)やZen and Japanese Culture(1959)と並んで、当時一世を風靡(ふうび)しました。
ビート・ジェネレーションの禅への傾倒
「ビート・ジェネレーション(※1)と言われていた当時の若者の間でZEN人気が高まり、詩人のアレン・ギンズバーグ(著書にHowl and Other Poemsなど)やジャック・ケルアック(著書にOn the Road、The Dharma Bumsなど)のスタイルにもその影響が表れました。
詩人だったゲーリー・スナイダー(著書にRiprap and Cold Mountain Poemsなど)やオランダ人のヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンク(著書にOutsider in Amsterdamなど)は、1950年代に実際に日本に渡って禅の修行道場に入門します。
私も高校生の頃にヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンクが日本の禅宗の僧院で1年半の修行をした経験を記したThe Empty Mirror(1971)という本を読み、「ならば僕も・・・」という思いを抱きました。
ヒッピーたちに禅を広めた日本人禅僧
欧米で本格的な「ZENブーム」が起きたのは、1960年代のヒッピー世代からです。
サンフランシスコの桑港寺(そうこうじ)という海外寺院で日系人のために仏事を司っていた鈴木俊隆(すずき しゅんりゅう)のもとに、「坐禅を指導してほしい」という若いアメリカ人が次々と現れました。
彼はやがて桑港寺を離れ、サンフランシスコ禅センターを設立し、坐禅の布教に専念しました。この禅センターは今世界中でいちばん大きい禅道場の一つで、鈴木俊隆のZen Mind, Beginners Mind(1970)は日本語にも訳されている禅の古典です。
ロサンゼルスにほど近いマウントバルディ禅センターの佐々木承周(ささき じょうしゅう、著書にBuddha Is the Center of Gravityなど)、またニューヨークの嶋野栄道(しまの えいどう、著書にGolden Wind: Zen Talksなど)といった臨済宗の代表もいましたが、その頃から曹洞宗の僧侶の活躍が目立つようになりました。
ミネアポリスの片桐大忍(かたぎり だいにん、著書にReturning to Silenceなど)、インディアナの奥村正博(おくむら しょうはく、著書にRealizing Genjokoanなど)は多くのアメリカ人弟子を育てました。
ドイツで広まった「キリスト教的禅」とは?
弟子丸泰仙(でしまる たいせん、著書にThe Zen Way to Martial Artsなど)は、フランスを中心としてヨーロッパ、そして南米まで多くの道場を作り、2000人の弟子たちに坐禅の指導を行ったと言われています。
私もベルリンで学生だった頃、その流れを汲む坐禅道場でほぼ毎日坐禅に参加しました。
特にドイツで強いのは、ドイツ出身で戦後日本に帰化したカトリック神父、フーゴ・ラッサール(Hugo Lassalle、日本名は愛宮真備)が提唱した「キリスト教的禅」です。
キリスト教的禅とは、仏教の匂いを消した、クリスチャンでも実践できるZENです。ドイツ語の書物は数多くありますが、日本語では『禅―悟りへの道』(1967)や、『禅とキリスト教』(1974)などがあります。
また、ドイツから世界に向けて禅を紹介した本として有名なのは、哲学者のオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』(1956、英題:Zen in the Art of Archery)です。
アメリカでもベストセラーとなり、その英語の題名であるZen in the Art of Archeryをもじって、Zen and the Art of Motorcycle Maintenanceというタイトルで1974年に出版されたロバート・M. パーシグの小説は、オイゲン・ヘリゲルのまじめな精神論よりもブームを起こしました。
その後しばらく、本の内容とかかわらず“Zen and …”という題名をつけさえすれば必ず売れる、という状態が続き、しまいには「“ZEN”はセールスフレーズに過ぎない」とまで言われるようになりました。
その後、再び人々の関心を禅の中身に向かわせたのは、ティク・ナット・ハン(著作にPeace Is Every Stepなど多数)というベトナム出身、フランス在住の禅僧でした。最近日本でもよく耳にすることになった「マインドフルネス」という言葉を流行らせたのは、ほかでもないこの人でした。
悲しいことに、今は、この「マインドフルネス」ももはやセールスフレーズに成り下がったと感じているのは私だけでしょうか?
若い指導者の台頭、そして仏教の「逆輸入」現象
さて、2000年代からノア・ラヴィーンによるDharma Punx(2004)やブラッド・ワーナーによるHardcore Zen(2003)といった本が出版され、「マインドフルネスビジネス」に洗脳されていない若い欧米人の指導者も次々と現れました。
“BEAT ZEN”や“HIPPIE ZEN”から、「今を生きている私たちのためのZEN」へと世代が交代しました。今もなお、100年前と同様、禅に限らず仏教そのものに新しい時代を切り開く力を期待している人々がいるのです。
科学作家ロバート・ライトによるWhy Buddhism is True(2017)は最近日本語にも訳され、仏教界内外で話題になっています。
仏教はもはや欧米を経由して日本に逆輸入されていることがわかります。一方で、哲学者であるエヴァン・トンプソンがWhy Buddhism is Trueへの反論として書いているWhy I am not a Buddhist(2020)という本もとても面白く、いかに仏教が欧米で誤解されているかを暴露しています。
多くの欧米人が思い描いている仏教は単純な憧れでしかなく、21世紀の新しい生き方を切り開くのは、私たち自身にしかできないことです。
しかし時には、先達たちが残した知恵が参考になることも確かではないでしょうか。
第5回記事はこちら!