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「料理の勉強をしに来たんじゃない!」ドイツ出身の僧侶が直面した禅修行の壁

ネルケ無方の世界禅道場

1990年にドイツから来日、出家して禅修行を始め、安泰寺の住職も務めたネルケ無方さんが、「世界における日本の禅」をテーマに執筆するエッセイ連載「ネルケ無方の世界禅道場」。第5回は、ついに安泰寺(あんたいじ)で禅僧となる夢をかなえたネルケ無方さんが最初にぶつかった壁のお話です。

「お前が安泰寺をつくるのだ!」

第4回では、「ZEN(禅)」が世界でどう捉えられてきたかについてご紹介しました。

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今回は、もう一度私自身の話に戻りたいと思います。

私は、予定していた京都大学での1年間の留学を半年で切り上げて、残りの半年を禅寺で修行体験をすることにしました。

最初に安泰寺を訪れたのは、1990年の秋、猛烈な台風が日本海側に多くの被害を出した直後の、雨の日でした。

最寄りのバス停からお寺まで歩くこと4キロメートルと聞いていた私は、バスを降りたときにびっくり仰天しました。お寺まで続くはずの山道がきれいさっぱり流されてしまい、土砂の山が視界をふさいでいたのです。

その土砂の中を這い上がるようにして、ようやく安泰寺の山門にたどり着いた頃には、私に体は泥まみれでした。お寺の五右衛門風呂(ごえもんぶろ)に入れてもらいましたが、中に入っていた液体もやはり真っ黒い泥でした!

お風呂から上がると、住職にお茶に呼ばれました。出されたお茶も妙に黒い色をしていましたが、そんなことを心配する間もなく、住職は開口一番、

「お前は何をしに、ここまで来たのだ!?」

と言いました。

私がまじめに「仏教を習いに来ました」と答えると、住職はとどめを刺しました。

「アホ!ここは習い事をするような場所じゃないぞ。お前が安泰寺をつくるのだ!」

これには、禅を求めて海と山を渡ってきた私も驚きました。

まだ22歳の、日本語もろくに話せない私に、どうして「お前が安泰寺をつくるのだ!」と言えるのでしょうか。

 「一日作さざれば一日食らわず」を実践するお寺

次の日から、生活水を溜めている小さなダムの淵まで溜まった土砂をシャベルで掘ったり、倒れていた田んぼの稲を起こして刈り取ったり、冬に使用するために木を切り倒して薪(まき)割りをしたりするような、慣れない肉体労働が私を待っていました

もちろん坐禅も朝晩2時間ずつありました。さらに月に2度、3日あるいは5日間、朝から晩まで坐禅する「接心(せっしん)」という修行もありました。

12月に雪が降り始めてから3月の末まで、お寺は完全に下界から遮断され、「自然ロックダウン」状態も味わいました。その100日の間、私を含めた修行者たちは仏教のテキストを読み、交代で皆の前で自分の見解を発表し、ディスカッションをしました

修行のイロハもわからなかった私を、住職や先輩たちはかわいがり、助けてくれました。そのとき、「こここそ、鈴木大拙(すずき だいせつ)の本などに書かれていた、中国禅宗の黄金時代を築いた百丈(ひゃくじょう)禅師の『一日不作、一日不食(いちじつなさざれば、いちじつくらわず)*1』という教えを今も忠実に実践している場所ではないか」と思いました。

安泰寺での農作業の様子

5月に行われる安泰寺の田植え

その後、私は25歳で大学院を卒業し、安泰寺で出家得度(しゅっけとくど)を許されました。高校生の頃から抱いていていた「日本で禅僧になりたい!」という夢がようやくかなったわけです。

食事づくりの修行に四苦八苦!

ところが、一人前の雲水(うんすい)*2になると、師匠や先輩からの風当たりも厳しくなりました。

まずは僧侶の食事をつかさどる「典座」(てんぞ)*3という役職の見習いに就きました。それまでインスタントスープしか作ったことのなかった私には、野菜の切り方やだしの取り方まで、みそ汁作り一つをとっても謎だらけの作業でした。

典座の仕事

かまどでお湯を沸かし、ご飯を作る典座

その見習い期間が3カ月で終了すると、次の日から私は1人で典座当番にあたり、お寺全体の食事を作らなければなりませんでした。

朝4時からかまどに薪をくべて、まず火を起こさなければなりません。ようやく燃え始めると、かまどの上で玄米ご飯とみそ汁を作り、そして畑から取ってきた野菜でおかずを2品作り・・・朝ごはんはなんとか坐禅が終わる6時にぎりぎり間に合いました。

かまどに薪をくべる

火の様子を見る典座。圧力釜には大豆が入っている

ところが、お昼ご飯で大失敗をしてしまったのです

先輩から「この間、お寺のOBがうどんの乾麺を大量に送ってくださった。それを使って、お昼はかけうどんでも作ってくれ」と言われましたが、当時のドイツには「うどん」なる麺類はありませんでした。

その乾麺をスパゲティ・アルデンテのつもりで湯がいたところ、先輩から食事の後に「硬すぎて、とても食えたもんじゃない!」と怒られました。

その次の日には、残りの乾麺をそれこそ「柔らかくなるまで湯がいてやろう」と思い、30分ほどかまどの上で放置していたらおかゆのような状態に・・・。この日も頭ごなしに怒られたことは言うまでもありません。

しまいに「僕は何も料理の勉強をしに日本に来たんじゃない」と弁解した私が悪かったのです。それを聞いた師匠は、山のてっぺんまで響くような大声で、

「お前なんか、どうでもいい!」

と叫んだのです。

エゴを手放しつつ主体性は保つ難しさ

当たり前と言えば、当たり前のことです。禅寺では自己主張は一切許されるわけがなく、1日のうち24時間すべてが修行なのです。それでも私はどこかで、「師匠の言っていることは矛盾している」と感じずにいられませんでした。

「だって、最初は『お前が安泰寺をつくる』と言っていたくせに、今は手のひらを返したように『お前なんか、どうでもいい』って。安泰寺をつくる私がどうでもいいはずはないじゃないか」

師匠の言葉の真意に気付くのにはだいぶん時間がかかりました。

安泰寺をつくるのは、私1人ではありません。修行僧がそれぞれ十人十色で全然違う安泰寺をつくっては困ります。それぞれのエゴを手放して初めて、皆が一丸となって主体的に安泰寺をつくれるのです。

しかし、「主体性を持ちながらも自己主張に流されない」・・・これを実践することは、後に私が安泰寺の住職に就任して、世界中の参禅者と接することになったときにも、大きな禅公案(こうあん)*4となりました。

その話は最終回となる次回でしたいと思います。

第6回はこちら!

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*1:百丈禅師が残したとされる言葉。弟子たちが高齢の百丈禅師の体を心配して、百丈禅師が使っていた畑道具を隠した。すると、百丈禅師は食事を拒むようになった。弟子たちがどうして食べないのかと尋ねると、百丈禅師は「一日不作、一日不食」と答えたという。

*2:修行僧のこと。「行雲流水(こううんりゅうすい)」の略で、雲や水のように行方を決めずに諸国を行脚(あんぎゃ)する修行の僧を指す言葉。

*3:曹洞宗において、典座は仏道を歩む上で大切な教えを含む修行として重視されている。

*4:参禅者が考えたり手掛かりにしたりするために与えられる禅の問題のこと。例えば、「両手を叩くと音がするが、片手ではどんな音がするか?」(隻手音声[せきしゅおんじょう])など。転じて、難解な問いのこと。

ネルケ無方

ネルケ無方(むほう)1968年、ドイツ生まれ。幼い頃に母と死別、人生に悩む。16才で坐禅と出合い、1990年に留学生として初来日。1993年に曹洞宗・安泰寺で出家し、2002年から2020年まで安泰寺の住職を務める。国内外の坐禅指導の傍ら講演活動を行っている。著書『迷える者の禅修行』(新潮社)など多数。