海外で「禅」はどう捉えられているか?ドイツ人の私が出家した理由

1990年にドイツから来日、出家して禅修行を始め、安泰寺の住職も務めたネルケ無方さんが、「世界における日本の禅」をテーマに執筆するエッセイ連載「ネルケ無方の世界禅道場」。第1回では、禅との出合いを振り返ります。

禅との出合い

「一度、禅メディテーションにトライしてみないか」

16歳の私が、高校の先生から受けたこの怪しげな勧誘をあっさり断ったのは言うまでもありません。

「ゼン?そんなものには興味ないよ」

「一度もやってみないで、どうして興味がないと言えるのだ。やってからでないと、判断できないではないか」

入学したばかりの私はこの先生の理屈にだまされて、一度だけ坐禅をすることにしました。東西が統一する前の、旧西ドイツの地方都市でのことでした。

私はその後、兵庫県の日本海側にある「檀家(だんか)ゼロ、自給自足」の安泰寺に入門をし、2002年には先代住職の跡を継いで10代目の堂頭(どうちょう)(※1)に任命されました。2020年に引退してからも、日本で「青い目の禅僧」として活動し続けています。

(※1)禅寺の住職のこと。

この連載「ネルケ無方の世界禅道場」では、私がどうして日本に渡って禅僧になろうという夢を抱くようになったのか、そのための語学のハードルをいかに乗り越えたか日本の仏教に抱いていた理想と現実とのギャップのこと、安泰寺をリタイアした今も日本で禅修行を続ける理由などを説明したいと思います。

私のような欧米人はなぜ禅に魅せられてしまうのか、外国人として日本人と一緒に切磋琢磨(せっさたくま)する中で気づいたことは何か――。この連載を通して、欧米の文化と日本の文化の違いと接点について考えながら、私自身のこれまでの修行を振り返り、日本人の宗教観のあり方や、社会人としての生き方を問いたいと思います。

海外で「禅」はどう捉えられているか

インドに発祥地を持つ仏教は、昔からスリランカ、タイやミャンマーといった東南アジアの国々であつく信仰され、中国や韓国、そして日本にも広まっています。欧米では19世紀まで一部の学者たちの研究対象にしかなっていなかったこの仏教は、今や多くの欧米人に影響を及ぼしています。

ここでまず、キリスト教文化圏で育った16歳の青年が、なぜ坐禅と出合えたのか、その背景をご説明したいと思います。

まず大事なことは、欧米では仏教は宗教というより、生きる哲学として認識されているということです。自分と向き合い、生き方を見直すことによって自分の問題を解決し、苦しみから自由になることは仏教の原点です。そのためには、キリスト教やユダヤ教と違って、特定の神の存在を信じる必要はありません。釈迦という仏陀(ぶっだ)(※2)は、神ではなく、私たち人間の目指すべき「実物見本」とみなされています。

(※2)悟りの境地に達した者のこと。

つまり、仏教はインドのヨガのような身体性を持ちながら、心理学のように「自分を知る道」でもあり、しかもショーペンハウアーやニーチェといったドイツの著名な哲学者にも深い影響を与えた智慧(ちえ)(※3)を備えているのです。

(※3)体験や経験によって得る真理。

ヒッピーたちに代表されるように、1960年代以降、従来の一神教的な価値観にうんざりしていたカウンターカルチャーは、「新しいライフスタイル」として仏教に着目しました。

「日本で禅僧になりたい」

私が16歳のときに坐禅にはまってしまった理由の一つは、「身体の発見」でした。それまでは、頭の中で考え事をしているのが自分だとばかり思っていましたが、体の姿勢を変えて静かに坐っているだけで、どういうわけか自分が変わるということに驚きました。それどころか、世界までがガラッと変わって見えたのです。それまで気付くことのなかった自分の呼吸や窓の外の鳥たちの声に気付いて、いかに自分の世界が狭かったかということがわかりました。

2013年に箱根で行った青空坐禅会の様子。

もう一つの理由は、私が7歳のときに母親を亡くしたことと関係しています。小学生の頃から、父親に「どうせ死ぬのに、なぜ宿題をしなければならないのか?」としつこく聞いていましたが、その都度「勉強をしないといい成績は取れないよ」という答えが返ってきました。

「なぜいい成績を取らなければならないの?」と聞くと、「いい学校に進むためだよ」と言われました。

「なぜいい学校に進まなければならないの?」と聞くと、「いい会社に勤めるためだよ」と言われました。

そして「なぜ会社勤めをしなければならないの?」と聞くと、「お金もうけのために決まっているじゃないか」と怒られました。

しかし、私が聞きたかったのはそんなことではありません。そもそもなぜ大人たちの「人生ゲーム」に参加しなければならないのか、ということが聞きたかったのです。つまり、人生の意味が知りたかったのです。

父親は結局、「それは学校の先生に聞いてみなさい」としか言いませんでした。しかし、学校の先生も教えてくれませんでした。

「ここはまだ小学校だよ。そんな難しい問題は中学校、いや高校に入ってから勉強するのだよ」

生意気ながら、私は「先生たちも本当はわかっていないのではないか?」と疑っていました。

学校はルールだけを教えて、人生ゲームの意味はまったく教えてくれない。この話を同級生たちにすると、「お前は変わったやつだな。俺たちはそんなことを今まで疑問に思ったことは一度もないよ」と笑われました。人生の意味に悩んでいるのは、どうやら私1人だったらしいのです。

ところが、坐禅に出合ってしばらくして、仏典のドイツ語や日本の鈴木大拙(すずきだいせつ)(※4)の禅の本を読み始め、1人ではなかったことに気付きました。

(※4)1870-1966。仏教をはじめ、東洋・日本の文化や思想を英語の著作を通して海外に伝えた仏教学者。

約2500年前に王子として生まれたと言われる釈迦も、「生きることは苦である」と言って、親の期待に反して出家してしまいました。そうして菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟った釈迦の教えと、その具体的な実践である坐禅は代々伝わり、今も日本では「ゼン」という形で残っている、ということを本で読んだ私は、「日本で禅僧になりたい」という夢を抱きました

その準備のためにまず大学で日本学を勉強することに決めましたが、その話はまた次回いたします。

第2回記事はこちら!

ネルケ無方(むほう)
ネルケ無方(むほう)

1968年、ドイツ生まれ。幼い頃に母と死別、人生に悩む。16才で坐禅と出合い、1990年に留学生として初来日。1993年に曹洞宗・安泰寺で出家し、2002年から2020年まで安泰寺の住職を務める。国内外の坐禅指導の傍ら講演活動を行っている。著書『迷える者の禅修行』 新潮社)など多数。

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