坐禅は「罰ゲーム」?ドイツから日本へ来て感じた、禅に対する認識のギャップ

1990年にドイツから来日、出家して禅修行を始め、安泰寺の住職も務めたネルケ無方さんが、「世界における日本の禅」をテーマに執筆するエッセイ連載「ネルケ無方の世界禅道場」。第3回では、ついに禅寺の門を叩いた頃を振り返り、ネルケ無方さんの目から見た日本の禅について考察します。

禅修行は「罰ゲーム」?

2回では、禅修行を行う前に下見として行った日本でのホームステイや、ドイツで日本語を学習していたときの様子を紹介しました。

アップル社の創設者だったスティーブ・ジョブズも日本の禅に憧れていたことは周知の事実です。彼が2005年、スタンフォード大学のスピーチの最後で使っていた「ハングリーであれ、愚か者であれ(Stay Hungry, Stay Foolish)」という言葉は、多くの若い欧米人に勇気を与えました。

禅寺でよく読まれる『宝鏡三昧(ほうきょうざんまい)』というお経の最後にも、「愚(ぐ)の如く魯(ろ)の如し(※1)」という言葉が出てきます。

(※1)愚はおろか、魯はのろまという意味。

私はそれを、「子供のように豊かな好奇心で大人たちの世界観を疑い、旧来のルールに縛られず、絶えず真新しいゲームの可能性を追求する」と解釈し、この言葉の中にこそ禅の精神そのものを感じています。

しかし、日本の禅は果たしてその精神を忠実に実践しているのでしょうか?

むしろ形式に固執し、無意味なルールに囚われているのが現在のお寺の世界ではないでしょうか?

少なくとも私が2回目に来日した1990年には、そういった印象を受けました。当時は1年間の留学という予定で京都大学に来ていました。大学に通いながら、日常的に修行に参加できる禅寺を京都市内で探しましたが、3年前と同様、どこに行っても断られました。

当時の私には、「ここはお寺の息子が住職の資格を取るために来る専門僧堂だ。君みたいに興味本位で坐禅をしているような人は相手にしない」と言われているように感じられました。

大学の友達に「禅がしたくて日本にやって来た」と言っても、理解に苦しむという顔をされました。「だって、ドイツにお寺はないだろう?帰ってから、どうやってメシを食っていくの?」。

どうやら、彼らも禅修行を一種の職業訓練のように捉えているようでした。

中には、「若いとき、『言うことを聞かなければお坊さんに連れていかれるよ』と親に脅かされた」とか、「先輩から聞いた話では、新入社員の研修をお寺で行い、そこでは坐禅をしながら棒でシバかれた。そうして組織的行動を叩き込まれ、従順なロボットに仕上げられるらしい」とか言う人もいました。

若い日本人の頭の中には、「修行=罰ゲーム」という方程式が成立しているようだ、と感じました。

私からすれば、社会人の生き方こそ罰ゲームにしか見えませんでした。それに、ドイツで読んでいた本の中では、「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」(※2)をモットーに自然の中で暮らし、禅の修行に打ち込んでいる禅僧たちこそ、自由を手に入れた存在のように描かれていたというのに!

{{(※2)出典は中国、宋代の仏書である『碧巌録』。毎日がよい日であるという意味。
}}

しかし、私が目にした現実はあまりにも違いすぎていました。残念ながら、資格取りのための専門学校か、観光寺か、あるいは葬式・法要をビジネスとして行う寺にしか出会えませんでした。

自給自足の寺、安泰寺へ

1990年の夏の終わりには、ようやく日本海側にある曹洞宗のお寺、安泰寺(あんたいじ)の噂を聞きつけました。

このお寺は、1970年代前はどうやら京都市内にあって、ヒッピー世代の欧米人も多く訪れていたようです。1977年、都会の騒音から逃れるため、修行僧たちがお寺を兵庫県の山間部に移転させたそうです。

「檀家(だんか)を1軒も持たない自給自足の修行道場が、日本にまだ残っていたのだ!」。最寄りの駅からバスに乗って20キロメートルの山に向かい、最寄りのバス停から獣道のような参道を登ること5キロメートル・・・。お寺に到着したとき、私の体は泥だらけでした。

禅寺には、ドアベル代わりに「生死事大 無常迅速 各宜覚醒 慎勿放逸(しょうじじだい むじょうじんそく かくぎかくせい しんもつほういつ)」(※3)と書かれた木版(もっぱん)が掛かっています。

(※3)生死は非常に大事なことであり、時の流れは迅速なので、それぞれが目覚めて、無為に過ごすことがないように、という意味。

その木版を叩いて入門をお願いするわけですが、それはつまり、なぜこの世に生まれたのもわからない、いつどう死ぬのもわからない自分の人生のいちばん大事なところを見極めるためなのです。

修行寺に入門することを「安居(あんご)」とも言います。修行道場は、「ポイント稼ぎ」を一切放棄してもなお安らぐことのできない世間の人生ゲームから離れ、一服できる場所なのです。

そのために「百箇日禁足(ひゃっかにちきんそく)」(※4)という制度も設けられています。

(※4)100日間、外出や電話といった外界とのつながりを遮断すること。

それまで欲望の奴隷としてハムスターのように回し車の中で走り回っていた者が、しばらくはどこへも行かず自分自身と向き合える時間です。

つまり禅寺は本来、職業訓練所でも矯正(きょうせい)施設でもなく、むしろ「世間というプリズンから解放されるフリー・スペース」だったのです。

もちろん、実際に入門すると自ら田畑を耕す自給自足の生活の厳しさも味わい、年間1800時間の坐禅に参加しなければなりませんが、私にとってこの修行期間こそ「私の時間」「いのちの時間」と実感することができる時間でした。

1990年、安泰寺に上山してすぐ

コロナ禍の不安と向き合うための考え方

さて、安泰寺で学んだことはこれからじっくりお伝えしたいと思いますが、その前に一言だけ。

30年前からいきなり今日この頃の話に移りますが、私は最近「コロナ仏(ぶつ)」という言葉を使い始めました。

一般的に「禍」でしかない新型コロナウイルスによるパンデミックで、多くの人が不安や悲しみを抱えていると思います。それぞれの深刻な状況をなおざりにするつもりは決してありません。

しかし、物事には必ず両面があります。見方を変えれば、一見順調に回っているように見えていた「世界経済」というハムスターの回し車に、コロナ仏がいっぺんに砂を投げ込んだ、という側面もあるのではないでしょうか。

「世人、薄俗(はくぞく)にして共に不急(ふきゅう)の事(じ)を諍(あらそ)う」(※5)という言葉が『大無寿経(だいむりょうじゅきょう)』というお経に載っています。

(※5)「世人」とは世の中の人のこと。また、「薄俗」とはうすっぺらいこと、「不急の事」とは急ぐ必要のないこと。

新型コロナウイルスの感染拡大する中で、実は不要不急だった活動が明らかになってきました。今まで「急げ、急げ」と背中を押して来たそいつは誰だったのか――と考えると、まさに仏教的だと思います。

世界規模で「安居」し、自らを支配していた「ポイント稼ぎゲーム」を見直す時期が来たのかもしれません。いくら叫んでも崩れなかった利益追求主義が瓦解していく。これからは、新しいパラダイムが創造され、興味深い社会がつくられるかもしれません。

そのために必要なのは、子供のような好奇心、青春時代のようなハングリーさと、軌道に乗れない愚かさではないでしょうか。

あとは坐禅のような、「いまここ、この自分に安住する」という拠りどころがあれば、不安はむしろ希望に代わります。

第4回の記事はこちら!

ネルケ無方(むほう)
ネルケ無方(むほう)

1968年、ドイツ生まれ。幼い頃に母と死別、人生に悩む。16才で坐禅と出合い、1990年に留学生として初来日。1993年に曹洞宗・安泰寺で出家し、2002年から2020年まで安泰寺の住職を務める。国内外の坐禅指導の傍ら講演活動を行っている。著書『迷える者の禅修行』 新潮社)など多数。

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