アウシュビッツでの壮絶な生活を、○○と表現した父親【柴田元幸の英米文学この一句】

翻訳家の柴田元幸さんが、英米現代・古典文学に登場する印象的な「一句」をピックアップ。その真意や背景、日本語訳、関連作品などに思いを巡らせます。シンプルな一言から広がる文学の世界をお楽しみください。

And here my troubles began.
Art Spiegelman, Maus (1986-91)

アウシュビッツとダッハウ(*1)での過酷な状況を生き抜いた父親から息子が話を聞き、漫画にする。漫画には現代アメリカにおける父と息子のやりとりも詳しく描かれ、ホロコーストの悲惨を漫画にすることに関して息子が感じる困難や戸惑いなども盛り込まれる。

と書くと、暗く、重い話と思えるかもしれない。もちろん暗くなくはなく、重くなくもないのだが、ユダヤ人をネズミ、ドイツ人をネコに見立てた(つまりコミックスにありがちな、ネズミがネコを軽々負かす物語をひっくり返した)絵物語に仕立てることで、ある種寓話性のようなものが生じている。

それで決して苦いものが甘くなるわけではないが、たぶん言葉だけで伝えるのとは、別の伝わり方、別の入り方ができている。20世紀最大級の残酷な事態を描いていることを思えば、ユーモアという言葉を使うのはためらわれるのだが、作者スピーゲルマンは、常にどんな状況でも、ユーモアの萌芽のようなものを見逃さない。

今回引用した一句もその好例である。“... And Here My Troubles Began ...” とは、物語も終わりに近づいた章の章題であり、その章で父親は、アウシュビッツからダッハウに移された経緯を語る中で、“Here, in Dachau, my troubles began.“と息子に語っている。そう言われて、漫画の中の息子ネズミ(つまりアート・スピーゲルマン)は特になんの表情も見せていないが、現実のスピーゲルマンは、父のこの一言を聞いて、ひどく面白かったという趣旨の発言をしている。

父はもう長い間アウシュビッツで、トラブルなんて言葉では済まないような悲惨な状況を、忍耐力と、知恵と、ただただ生き残ろうとする意志とを駆使して生き抜いてきたのだ。なのにここに至って父は、「ここから私のトラブルが始まったんだ」と言っている!

スピーゲルマンにとってこの一言はよほど印象的だったようで、2巻から成る『マウス』の第2巻全体が“And Here My Troubles Began”と題されている(ちなみに第1 巻は“My Father Bleeds History”=私の父は歴史の血を流す)。“And Here My Troubles Began”に限らず、父親の語る素朴な、母語(イディッシュ語)に引っ張られた間違いだらけの英語が『マウス』の大きな魅力になっていることは間違いない。

例えば、腕に彫られた番号を息子に見せるときの父親の言葉――

They registered us in ... they took from us our names. And here they put me my number.

わしらは一人一人登録されて入れられた・・・名前を取られた。そうしてここにわしの番号を入れたんだ。

“And here they put me my number” ――これが詩だと言ったら、「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」と言った思想家に叱られるだろうか。

  • (*1)アウシュビッツとダッハウ:ナチス・ドイツの強制収容所のこと。アウシュビッツはドイツ占領下のポーランドに、ダッハウはドイツ南部に存在した。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2021年1号に掲載した記事を再編集したものです。

柴田元幸
柴田元幸

1954年、東京生まれ。アメリカ文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳する他、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌『MONKEY』の責任編集を務める。

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