2021年共通テストに出題された小説『1984年』。オーウェルが描いたものとは?【英米文学この一句】

翻訳家の柴田元幸さんが、英米現代・古典文学に登場する印象的な「一句」をピックアップ。その真意や背景、日本語訳、関連作品などに思いを巡らせます。シンプルな一言から広がる文学の世界をお楽しみください。

Big Brother Is Watching You.

George Orwell, Nineteen Eighty-Four (1949)

近未来の悪夢を描いた小説、といえば誰でも真っ先に考えるのがオーウェルのNineteen Eighty-Fourである。そしてこの小説に出てくる、“WAR IS PEACE / FREEDOM IS SLAVERY /IGNORANCE IS STRENGTH”(戦争は平和/自由は隷属/無知は力)、“Who controls the past controls the future: who controls the present controls the past”(過去を操る者は未来を操る:現在を操る者は過去を操る)、あるいは“2+2=5”といったスローガンにもまして有名なフレーズが、この「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」である。

そこらじゅうに監視スクリーンが置かれ、すべての人間の動向が把握され管理される全体主義国家。その指導者が、実際には誰一人見たことのない人物ビッグ・ブラザーである。『ピーナッツ』のチャーリー・ブラウンの妹サリーは兄のことをチャーリーとは決して呼ばず、常にBIG BROTHERと呼ぶが、おそらくチャーリー・ブラウンほどビッグ・ブラザーからかけ離れている人物もいない。

1948年に書かれ49年に出たこの小説は、タイトルどおり1984年を舞台にしているわけだが、作者は別に、36年後の世界を予測するためにこの小説を書いたのではない。発表当時は誰もが、共産主義に陥った恐ろしい状態をオーウェルが描いたと考えたわけだが、作者としてはそれだけでなく、ソ連に盲従するイギリスの左翼を意識してもいたという。「1984」という数字も「1948」の4と8をひっくり返しただけ、というのはどうやら根拠のない俗説のようだが、オーウェルが未来ではなく今を書こうとしていたということは間違いない(このあたりの事情は、現在この小説の決定訳となっている高橋和久訳ハヤカワepi文庫版に掲載されたトマス・ピンチョンの長文エッセーに詳しい)。

とはいえ、ではこの小説が現2021年には関係ないかというと、そんなことはまったくない。トランプ政権の誕生とともに、アメリカでこの小説が再び広く読まれたことからもうかがえるとおり、現代を考える上でのヒントが満載の作品であることもまた確かである。左翼右翼を問わず、管理社会全体がどういう方向に向かっているかをオーウェルは確実に感じ取っていた。そういう大きな流れを描いているからこそ、いつの世でも(特に1984年直前はそうだった)読者はオーウェルの予言がどれくらい「当たった」かを問題にしたがる。同じく年号がタイトルに入った小説でも、例えばエドワード・ベラミーのLooking Backward: 2000-1887(邦題『顧みれば』、1888)は、社会主義の理想を未来に託して描いた、発表当時は非常によく読まれた小説だが、2000年が現実に訪れたとき、ベラミーの「予言」がどれくらい当たったかを問題にした人はほとんどいなかった(まあみんな、2000年問題にかまけていたということもありますが)。

いささか観念的な面に話が集中してしまったが、この小説には、組織に抗う個人の感情も描かれているし、愛の物語としての要素もある。そして、鼠がこれだけ効果的に(とても残酷な効果だが・・・)使われている小説はほかにちょっと思い付かない。

柴田元幸
柴田元幸

1954年、東京生まれ。アメリカ文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳する他、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌『MONKEY』の責任編集を務める。

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