ボクシングの試合を制すpuncher’s chanceって何?

プロ通訳者の関根マイクさんが、さまざまなスポーツにまつわるストーリーと英語表現をご紹介する連載です。大のスポーツ好きの関根さんの熱い語りで、スポーツの知識も英語も学べ、まさに一挙両得!第2回で取り上げるのは、ボクシング界のモンスターです。

井上選手だけじゃない!ボクシング界の「モンスター」

日本でボクシングといえば、今はパウンド・フォー・パウンド(pound for pound) *1 で世界最強の一人と言われている井上尚弥選手が大きく注目されています。しかし、世界は実に広い。「モンスター」は井上選手以外にもいるのですね。

たとえば『リング』誌のパウンド・フォー・パウンドランキング 2 第2位、 ワシル・ロマチェンコ* 。ウクライナ出身の技巧派ボクサーで、 所属 階級では圧倒的な強さを見せています。力に差があり過ぎて、相手を挑発し放題。というか、もはや遊んでいます。

同ランキング第1位のサウル・アルバレスは「カネロ」 *3 という愛称を持つメキシコ人ボクサー。ディフェンス力もさることながら、タイミングよく放たれるパンチも一発一発が重い。イケメンであることも手伝ってか、世界中にファンがいます。
しかし今回取り上げたいのはロマチェンコでもアルバレスでもなく、およそ20年ぶりに活気が戻ってきているヘビー級戦線の2人、デオンテイ・ワイルダーとタイソン・フューリーです。

生活苦から一転、ヘビー級王者に

デオンテイ・ワイルダー は名門アラバマ大学でアメフト選手になることを夢見ていましたが、19歳のときに当時の彼女が彼の娘(ネイヤ)を出産。ネイヤが二分脊椎症(脊椎の形成不全による疾患)を患っていたことから、生活費と娘の治療費を捻出するためにすべての夢を放り出して仕事に没頭しました。

飲食店のウエーター、トラックの運転手、工場の 作業 員。あまりの忙しさに、通っていた短大も辞めてしまいます。それでも生活は楽にならず、一時は鬱(うつ)になり、ベッドに置いた拳銃をじっと見つめて「死んでしまおうか」と考えたこともあったそうです。

どん底に落ちていたワイルダーを救ったのは、ほかでもないボクシング。友人の紹介でトレーニングを始めると すぐに 頭角を現し、北京五輪の代表に選出されて銅メダルを獲得。プロに転向してからも2019年までKO率98%という驚異的なパワーを武器にヘビー級王者として君臨します。

頂点とどん底を経験し、現役復帰

タイソン・フューリー もまた、どん底から這い上がってきたボクサーです。順調に実績を積み、2015年11月には当時のヘビー級最強と言われたウラジミール・クリチコを撃破してボクサーとして頂点に立ちますが、そこから急激にモチベーションを失い、酒とコカインに溺れ始めます。

医師には双極性障害、躁うつ病と診断され、生きる目的を失い、暴飲暴食で体重もプロアスリートとはとても呼べないレベルに。これではヘビー級ボクサーではなく、ただの「ヘビーなおっさん」ですね。当時の姿は、彼のインスタグラムでも見ることができます。

一時は自殺も考えたフューリーでしたが、周囲のサポートもあり、練習を再開。180キロ超あった体重も、60キロ落として現役復帰しました。

ワイルダー vs フューリー、波乱の一戦

2018年12月、ワイルダーとフューリーは世界タイトルをかけて拳を交えます。軽やかなフットワークで距離を保ちながら攻めてポイントを重ねるフューリー。対するワイルダーは、そう何度も当たるわけではないが当たれば大ダメージの右を持ち、 puncher’s chance(一撃必殺、一発で試合を決める能力) があります。観戦する方も瞬きができません。

前評判では「ワイルダー圧勝」でしたが、実際の結果はワイルダーが2度のダウンを奪うも、試合全体としてはフューリーが有利に進めたことにより ドロー(引き分け)

2年半もリングを離れ、つい半年前に復帰したばかりのフューリーが、現役バリバリの世界王者に対し善戦できるとは誰も考えていなかったため、この結果はボクシング界で大きな話題となりました。

しかし、ドローがドローのままでは終わらないのがボクシング。2020年2月に再戦が決まります。今回は以前にも増してコンディションを整えてきたフューリーが第3ラウンド、第5ラウンドにダウンを奪います。反撃の糸口がつかめずサンドバッグ状態のワイルダーに勝ち目がないと見たトレーナーのマーク・ブリーランドはタオルを投入。そこで試合終了となりました。

「最後まで戦いたい」

試合後のワイルダーは、結果について言い訳はしなかったものの、タオルを投入したブリーランドに対して以下のように言いました。

I just wish that my corner would ’ve let me went] out [on my shield.

※本人はwentと発言しましたが、正しくはgo。

go out on my shield とは格闘技界の表現で、 「たとえ負けるとわかっていても、自分のやり方で幕引きする」 という意味。つまりワイルダーは誰かに試合を止められるくらいなら、最後まで戦い、フューリーにKOされてマットに沈んだ方がましだ、それが戦士というものだ、と発言したのです。下記動画の0:30あたりから見ることができます。
その後、ワイルダーはブリーランドを解雇しましたが、数日後には復縁。試合後もいろいろとごたごたがあったわけですが、ワイルダーとフューリーはこの夏に3度目の試合をするようです。どん底から這い上がってきた2人が繰り広げるドラマから目が離せません。

ボクシングと波乱万丈のボクサー2人にまつわる2つの英語表現

puncher’s chance
現在では広くさまざまなシーンで使われますが、もともとはボクシング用語で、「一発大きいのを決めれば状況をひっくり返せる」という意味です。日本語にするなら「一撃必殺」が近いですが、英語では劣勢である場合に使われることが多いです。現代の若者言葉でいう「ワンチャン」と似てはいますが、「ワンチャン」は「特に技量がなくても数撃ちゃ当たる」といったニュアンスがあるので、puncher’s chanceとは異なります。
go out on my shield
「たとえ負ける(失敗する)とわかっていても、自分のやり方を貫く」という意味です。どこか日本人が好むラスト・サムライ的な雰囲気を感じますよね。

強い意志を持てば、人は変わる!

ちなみに 最後に余談ですが・・・フューリーがインスタグラムに投稿した写真(2年前からの体重変化)を見ると、「強い意志を持てばダイエットって可能なんだな」と思わせてくれますよね。さ、僕も運動して痩せよう。

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同時通訳者のここだけの話

文・関根マイク(せきねまいく)
フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」 https://blogger.mikesekine.com/

*1 :ボクシングなどの格闘技において、異なる階級の選手の強さを比較するための方法のこと。

*2 : https://www.ringtv.com/ratings/

*3 :スペイン語でシナモンの意。アルバレスの髪色が赤であることから、シナモンと色が似ていることが由来と言われている。

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