文学なんか知らないよ/ジャック・ロンドン【英米小説翻訳講座】

英米小説翻訳講座

翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。

紹介する作家:ジャック・ロンドン

Jack London

1876 年アメリカ、サンフランシスコ生まれ。ゴールド・ラッシュへの参加、日露戦争時の満州取材など、さまざまな経歴を持つ。代表作に『野性の呼び声』『白い牙』など。1916 年、服毒自殺。

『The People of the Abyss』(1903)

There is one beautiful sight in the East End, and only one, and it is the children dancing in the street when the organ-grinder goes his round. It is fascinating to watch them, the new-born, the next generation, swaying and stepping, with pretty little mimicries and graceful inventions all their own, with muscles that move swiftly and easily, and bodies that leap airily, weaving rhythms never taught in dancing school.
I have talked with these children, here, there, and everywhere, and they struck me as being bright as other children, and in many ways even brighter. They have most active little imaginations. Their capacity for projecting themselves into the realm of romance and fantasy is remarkable. A joyous life is romping in their blood. They delight in music, and motion, and color, and very often they betray a startling beauty of face and form under their filth and rags.

(The People of the Abyss, 1903)

イーストエンドでは美しい眺めがひとつ、ひとつだけある。オルガン弾きが回ってきて街頭で子供たちが踊る姿だ。見ていて本当に惹きつけられる。新たに生まれた次世代が、体を揺らし、ステップを踏み、可愛い物真似や、自ら編み出した優美な動きに興じ、筋肉は悠々迅速に動き、体は軽やかに跳び、ダンス学校では教えぬリズムを編んでいく。
私はあちこちでこうした子供たちと話をしてきた。彼らはよその子供と同じくらい賢いと―多くの面でもっと賢いとさえ―思える。彼らの想像力は実に活発だ。ロマンスとファンタジーの領域に飛び込んでいく勢いは大したものだ。悦ばしい生がその血の中で跳ねている。彼らは音楽に、動きに、色に歓喜し、不潔さとぼろ服の下から、しばしばハッとするほど美しい顔と体を見せる。

(『どん底の人びと』)

ジャック・ロンドンの文章を読んでいて何度も思い浮かぶのはserviceable という単語である。実用的、役に立つ、の意。言葉のあわいから曰く言いがたい印象を醸し出す、などというのではなく、伝えるべき事柄がはっきりあって、言葉はそのもっとも効率的な再現に専念している印象。ロンドン自身の作品から文例を挙げるなら、“She sewed moccasins and parkas and mittens̶warm, serviceable things, and pleasing to the eye, withal, what of the ornamental hair-tufts and bead-work”(彼女は鹿革靴やパーカやミトンを縫った―温かい、実用的な、けれど房飾りやビーズ細工もあって目にも快い物を作った: “The Story of Jees Uck,” The Faith of Men & Other Stories, 1904)。

上の引用でも、貧困に包まれ人々が醜悪な暮らしを強いられている街(イギリスのロンドン)で見かける唯一美しいものが堅実に語られ、「房飾りやビーズ細工」に対応するかのように頭韻(swaying and stepping/face and form) や定型句(here, there, and everywhere)といった「飾り」が添えられ、「目」ならぬ「耳にも快い」実用的な文章が作り出されている。

こういう文章を訳す際は、訳文もとにかくserviceable でありたい。情景描写であれ心理描写であれ、盛り込まれている情報をクリアに伝えることが最優先事項であり、少し極端にいえば、言葉自体に忠実であることが第一義ではない。ふつう文学の文章といえば、何が書いてあるかと同程度にどう書いてあるかも大事なわけだが、ロンドンの場合、その意味ではかならずしも「文学的」ではない。

そのなかで、彼が「飾り」として用いる頭韻や定型句は訳す上で案外困りものである。あまり忠実に再現しようとすると、妙に訳者の工夫が前面に出てしまってよくない。最初の例でも、“here, there, and everywhere” あたりはサラッと訳してしまった方がいいのではというのが当方の見解。

「飾り」をほとんど通俗的に活用したロンドンだが、その最高の文章にあっては、それも必要としない実に骨太の文章になっている。最高傑作のひとつ“To Build a Fire” の書き出しなどはその好例である:

To Build a Fire』(1908)

Day had broken cold and gray, exceedingly cold and gray, when the man turned aside from the main Yukon trail and climbed the high earth-bank, where a dim and little-travelled trail led eastward through the fat spruce timberland. It was a steep bank, and he paused for breath at the top, excusing the act to himself by looking at his watch. It was nine o’clock.
There was no sun nor hint of sun, though there was not a cloud in the sky. It was a clear day, and yet there seemed an intangible pall over the face of things, a subtle gloom that made the day dark, and that was due to the absence of sun. This fact did not worry the man. He was used to the lack of sun. It had been days since he had seen the sun, and he knew that a few more days must pass before that cheerful orb, due south, would just peep above the sky-line and dip immediately from view.

(To Build a Fire, 1908)

明けた朝は寒く灰色だった。おそろしく寒く、灰色の日。男はユーコン川ぞいの本道から外れて、高く盛り上がった土手をのぼった。道筋もはっきりしない、人もほとんど通らない道がそこから東へのびていて、太いエゾマツの並ぶ林を抜けている。土手は険しく、男は上までのぼりつめると、時計を見るのを口実に立ちどまって一息ついた。九時。空には雲ひとつないのに太陽は出ておらず、出る気配もない。曇りでもないのに、あらゆるものの表面に見えないとばりが降りて、微妙なかげりが朝を暗くしていた。
これもみな太陽が出ていないせいだが、男にはべつにそれも気にならなかった。太陽が出ないことには慣れていた。もう何日も太陽を見ていなかったし、まだあと何日かしないと、あの陽気な球体が真南の地平線上に顔をのぞかせてたちまちまた姿を消すこともないはずだ。

(『火を熾す』)

最後の“that cheerful orb” だけがえらく陳腐でガクッとくるが、それもまたロンドンらしく、あ、やっぱりロンドンだ、とほとんど安心したりもするのである。

柴田元幸さんの本

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-

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文:柴田元幸

1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2017年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

出典:Jack London, The People of the Abyss (Novels and Social Writings, The Library of America) ――, To Build a Fire and Other Stories (Bantam)