会社という組織に縛られない「フリーランス」。「自由」というイメージが付きがちな働き方ですが、本当に自由になるためには何をすべきでしょうか。翻訳者、丸山清志さんに、ご自身の経験を踏まえてお話しいただきます。
フリーランスは自由ではないと信じていた駆け出しの時代
「フリーランスの翻訳者」という仕事には、どうも「自由な働き方」というイメージが付けられることが多いようです。
「好きなときに好きな場所で好きなだけ仕事ができる」という、ポジティブな自由のイメージとセットで語られることが多いのですが、現実はどうなのでしょうか?
私自身、独立したばかりの頃は思い描いたフリーランスの生活がなかなか実現できず、もがき苦しんだこともありました。しかし、20年近くの経験を経た今では、フリーランス翻訳者という働き方に対する私の考え方が、当初とは随分変わったなと感じます。
独立してフリーランスの翻訳者として働き始めてしばらく、私は「フリーランスは本当の意味でフリー(自由)ではない」と考えていました。
独立したての頃は、仕事が途切れずに入り続けるか心配でしたし、「この山を越えたら仕事が来なくなるかもしれないから、今のうちにたくさん受注をしておこう」と、次から次へと新規の仕事を入れたものです。
気が付けば、実家に帰省するとき以外、まともに休んだことがないという状態でした。いや、実家でもずっと翻訳作業をしていたかもしれません。
当初は翻訳力にも自信がありませんから、入ってくる仕事は拒まずに引き受け、納期に間に合せるために必死でした(この点、今も大差はなさそうですが・・・)。
すると、仕事の納期が中心の生活になっていきます。私のスケジュールの主導権を握っているのはクライアントでした。
そんな日々を過ごしていた私は、「フリーランスになっても、結局、クライアントの都合で動くしかない」「好きなときに休めるなんてとんでもない」「フリーランスは全然フリーじゃないじゃないか!」と考えるようになりました。
気付けば思い描いたとおりのフリーランス生活になっていた20年後
私はいわゆるUターンをして、実家がある山形県に移住しました。
それから2年がたとうとしていたあるとき、自分のライフスタイルと仕事の両立を振り返ってみて、「いや、実は自分がやりたいと思っていたとおりのフリーランス生活ができてるではないか!」と思ったのです。
私は20年ほど東京に住みましたが、実家には両親が2人暮らし、丸山家の長男ですし、いずれは山形の実家に帰りたいと若い頃から考えていました。
そして、会社に所属せずフリーランスでやっていれば、いつでも自分のタイミングで帰れると思っていました。
そうこうしているうちに私の父母も高齢になり、大勢いたその兄弟姉妹(私のおじおばたち)が次々と高齢や病気で亡くなったことをきっかけに、私は実家に戻ることを決意しました。コロナ禍で親戚の葬儀を経験したことも、きっかけの1つでした。
ただ、フリーランスだからといって、実家に戻る準備が当初からできていたわけではありませんでした。
独立してから仕事が安定して入り、フリーランスとして自信を持てるようになるまでには、少し時間がかかりました。東京にいたからこその出会いもあり、そのおかげで今の仕事が成り立っている部分もたくさんあります。
また、今の働き方が成り立っている背景には、ITの発達という大きな要素もあります。ITがなければ、フリーランスの翻訳者として働くことはできていなかったと思います。
そういう時代背景や環境の変化の追い風を受けながら、それまでの仕事の長年の実績を糧に、私は今こうして山形の実家の一室で仕事をしているわけですが、Uターンしてから今まで、東京のど真ん中にいたときとなんら変わらずに仕事ができています。
考えてみたら、自分がやりたいと思っていたとおりの(自由な)フリーランス生活になっていたのでした。
しかし、私の生活は、どうやって思いどおりになったのでしょうか。この「自由」は、もしかしたら多くの人がイメージしている「自由」とは、少し食い違っているかもしれません。
勘違いされがちなフリーランスの「自由」
もしかしたら、フリーランスになった途端に仕事がどんどん舞い込んできて、好きなときに仕事をして、好きなときに望む期間にわたり休むことができるという生活を思い描いている人もいるかもしれません。
残念ながら、独立した途端に、自分の好きな仕事を好きな分量だけ、好きな値段で引き受け、休みを好きなタイミングで好きな期間にわたり取って、好きな場所で過せるというふうにはなりません。
フリーランスには、そういう意味での「自由」はないのです。
確かに今の私は、以前と比べれば仕事がどんどん舞い込んで来て、午前中はストレッチの時間をゆっくり取って、午後からのんびり原稿を書き、家族の都合の良い日に1日スキーに出かけるということもできます。
親をリハビリに連れて行く必要があれば、その日は仕事を入れずに付き添うこともできます。
「今」だけを切り取ってみれば、いかにもフリーランスらしく、場所にとらわれず、自由な働き方ができているように思われるかもしれません。
しかし、何も準備なく、フリーランスになった翌日からこういうことができていたわけではありません。
フリー(自由)になるためには、ポイントがあるのです。
フリーランスが休みを取りたければ、その日に照準を合わせて、仕事の納期や分量を自分で調節します。その日が空くように仕事を終わらせる、あるいは仕事を引き受けないという選択もできます(ただし、経済的な余裕があればですが)。
田舎の実家で仕事をしたければ、自宅でもオフィスと変わらずに仕事ができるように環境を整えます。私の場合は、ノートパソコン1台を自宅の一室に置いてできるような仕事を選びました(幸いそれが可能でした)。
要するに、好きな条件、好きな環境で働くためには、それなりの準備が必要だということです。準備の上に成り立つ自由なのです。
フリーランスいう働き方が、自分のライフスタイルに合わせてくれるわけではありません。自分のライフスタイルに合わせた働き方を、自分で準備するのです。
また、フリーランスの自由とは、なんでもかんでも勝手気ままにできるという自由ではありません。そこも勘違いされやすい部分だと思います。
フリーランスの仕事といえども、たった一人で成り立っているわけではありません。クライアントも含め、多くの人が関わっている仕事の一翼を担っているに過ぎません。「明日、海に行きたいから休みます」というわけにはいかないのです。
でも、明日海に行く予定があれば、その日に休めるように仕事を前倒しで終わらせるとか、事前に仕事を断るとか、準備をすることができます。会社では、意地悪な上司がそれを阻止してくるかもしれません。
また、実績もないフリーランスの翻訳者が「その仕事は10万円でないとやりません」と言っても、相手にされないかもしれません。
そういう意味では自由ではありませんし、それがフリーランスの自由ではないのです。
フリーランスの自由とは、きまぐれに勝手気ままにして良いという自由ではなく、準備の上に成り立つ自由なのです。
自分で選べるという自由
そう考えると、「フリーランスの世界も厳しいなあ」と思われるかもしれません。
確かに、「フリーになります!」と宣言して、明日から好き勝手に仕事ができるほど、お気楽ではないと思います。
自分で選んだ場所で仕事ができるように、仕事環境を整えなければなりません。自分の都合で休めるように、いつでも仕事を調整できるような人間関係や体制をあらかじめ作っておかなければなりません。自分の好きな期間休んでも、生活や事業が破綻しないだけの蓄えや代替収入源を準備しておく必要があるでしょう。
このような準備は、数日や数週間でできるものではなく、自分のキャリア形成の一環として長い時間をかけていくものです。
しかし、そういう準備をすることで、自分の好きな場所で好きなタイミングで好きな時間だけ働くということが実現できるのです。
これは、フリーランスという働き方を選ばなければできないことです。会社などの組織に所属している場合、その選択肢は限られてきます。
私はこれまで20年近くフリーランスとして仕事をしてきましたが、どんな仕事をしていくか、どのような形で仕事をしていくか、どこで仕事をしていくか、あるいは仕事を辞めてしまうか、すべて自分の一存で決めてきました(フリーランスは他に決める人がいません)。
もしかしたら、5年後に仕事を全て辞めて、スペインに移住しているかもしれません。そうすると決めても、すぐに実現できるわけではありませんが、(時間をかけて)準備をしていけばよいのです。
ポイントは、自分で選択をして、それに向かって準備をしていくこと。その選択を、フリーランスは自分の独断でできるということです。
自分の思ったとおりの働き方ができるという「自由」は、その先にあるのです。
本文写真:Connor Jalbert, Nathan McBride from Unsplash