ひろゆき氏を英語で説明するのに必要なこと【茂木健一郎の言葉とコミュニケーション】

脳科学者・茂木健一郎さんの連載「言葉とコミュニケーション」。第26回のキーワードは「文脈の共有」です。日本人同士の「暗黙知」を世界に知ってもらうために、私たちがやるべきこととは?

吸った「情報」は吐かなければならない

これからの日本人にとって大切な言葉の力の一つは、自分たちのことを英語で説明することかと思う

コロナ禍でひと休みしているが、グローバル化は必ず進んでいく。人や物の動きは地球規模になる。情報は、ネットを通して自由に流通する。そんな中で、人類全体の文化や文明は発展する。

地球が一つになる「グローバルビレッジ」の空気を呼吸することが大切である。吸った情報は吐かなければならない。入れてばかりでは仕方がない。日本から発信する内容には、当然、自分たちの文化のことが含まれているだろう。

私も微力ながら実践している。今年の4月にロンドンの出版社から2冊目の英語の本となるThe Way of Nagomi(未邦訳。仮題『なごみの道』)を出版した。日本文化の象徴として、調和やバランスを示す「なごみ」の概念に焦点を当てたのである。

聖徳太子の十七条憲法には「『和』(なごみ)をもって貴しとなす」とある。いたずらに自己を主張せず、社会の中で共生することを目指す日本人の生き方は、まさに「なごみ」である。「生き甲斐」や「一期一会」、そして「金継ぎ」など、最近日本発で世界的に注目されているさまざまな概念のいわば「母」とでも言うべき存在が「なごみ」なのである。

英語で日本人の「暗黙知」を掘り出す

『なごみの道』を書いていて面白かったのが、近年の日本の著名人、たとえば「ひろゆき」のことを英語で表現するとどうなるのかということである。

今やネットの最大のスターと言ってもよい「ひろゆき」だが、改めて英語で紹介するとなると、ゼロからスタートしなければならない。匿名掲示板2ちゃんねるの管理人だったこと、今では英語圏でさまざまなインターネットの「ミーム」を生み出す源ともなっている「4chan」の管理人でもあること辺りから説明を始めた。2ちゃんねるが、日本で隆盛している「匿名文化」の一つの象徴だったことを記した。そして、2ちゃんねるでのやりとりから『電車男』というコンテンツが生まれ、映画化されたことにも触れた。さらに、ひろゆきの生き方が、「自分のことは問題ではない」(it’s not about me)という態度で貫かれていて、それが若者に多大な共感を得ていることも書いた。

ひろゆきのように、私たちが日本の中でよく知っていると思う事象を改めて英語で書くと、池上彰さん的には「そこからですか?」とでもいうべき説き起こしをしなければならない。その過程で、私たち日本人が無意識のうちに前提としているいわば「暗黙知」のようなものが掘り出されていく。だから面白いし、風通しが良くなる。

共有していない「文脈」は何か?

日本社会の強みも弱みも、ハイコンテクストだという点にある。最近は外国でも“omakase”として広がってきている料理店の「おまかせ」文化も、文脈を共有しているからこそ生まれてきた。これくらいの年格好の人が来たら、こういう料理をお出しすれば喜ぶだろう、分量はこれくらいが適切だろう、料金はこれくらい、という暗黙の合意があるから成立するのである。

「おまかせ」のようなハイコンテクスト文化は、それに慣れた人にとっては心地よいが、文脈を共有していない人との間ではコミュニケーションのトラブルにもつながる。しばしば話題になる、日本の居酒屋の「付き出し」の習慣も、外国の方から見れば「なぜ頼んでもいないのに出てきて料金を請求されるのか」ということになりかねない。

ひろゆきのように、日本人だったらなんとなく分かる、そして文脈を共有している、そんな存在こそ、英語で改めて表現しようとすると、自分たちの文化が照射される。そのユニークな強みも、場合によっては脆弱(ぜいじゃく)性となり得る特徴も分かってくる。だからこそ、英語で日本のことを書くのは面白い

自分だけの英語表現にチャレンジしよう

今、私はネット上で『なごみの道』の読書会をやっている。自分が書いた本だから当然一字一句分かる。日本を外から見るということはどういうことかを議論しながら、英語の表現のポイントなども解説している。

最近行った会では、英語圏でしばしば見られる「fight-or-flight」(「闘争・逃走反応」、敵などが来たときに、闘うか、それとも逃げるか選択する反応)という表現をもじって、「stay-and-nagomi」(「とどまって和む」)という語句を紹介した。私のオリジナルである。このような表現を思い付くことが、日本を紹介する上で重要だと思う。

『なごみの道』を書いているときに、どうやって「stay-and-nagomi」という文字列を思い付いたのか、よく覚えていない。とにかくたくさん英語の文章を読んで、英語を聞いているうちに、次第にそのような表現が出てくる脳になったんだろうと思っている。誰でも、たくさん英語を吸って吐いていれば、自分だけの英語表現ができていくはずだ。

今は、さまざまな国の人が、自分だけの英語表現にチャレンジしている時代。英国を代表する文学賞であるブッカー賞も、世界中の人が英語で書いた作品が対象になっている。英語表現については、日本はブラックホールのようなもので、ちょぼちょぼと英語の情報が入ってはいくが、一向に出てはこない謎の国になっている。

日本についての英語の情報発信を、いつまでもCNNやBBCに任せているのはもったいない。日本人ならではのユニークな「英語の道」があるはずだ。

パリからひょうひょうと日本のテレビに出ているひろゆきの態度は素晴らしい。日本人の英語表現も、ひろゆきのように肩の力が抜けた、「らしい」ものになるべきだろう。

私はこれからもどんどん英語で表現していく。もっとたくさんの人が英語で発信してよいと思う。『なごみの道』についてネットでやっている読書会では、いつも「みんな英語で本を書こうぜ!」と呼びかけている。ひろゆきの自然体が英語表現に乗り移ったとき、日本は英語についも「日の出ずる国」になるだろう。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院客員教授。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL 編集部)

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