英語学習で意味のないネイティブ信仰は捨て去るべし【茂木健一郎の言葉とコミュニケーション】

茂木健一郎さんの連載「言葉とコミュニケーション」が3年ぶりに復活。英語学習の「ネイティブ」信仰にもの申す!

「ネイティブのように話す」ことの価値

これは賛否両論のあるところだと思うけれども、英語学習において「ネイティブ」信仰はもはや全く意味がないと思う。特に、日本では、ネイティブのように話すということに価値があるという幻想から自由になった方が、英語学習は進むと考える。

今や、英語は母語とする人だけでなくありとあらゆる言語の話者が第2言語として話す言葉である。その意味で重要性は増しているし、逆に言えば「英語圏」の文化だけに限定されない、人類全体の「文明」の基盤になっている。

英語を話すことの価値は、いわゆる「ネイティブ」のような発音などにはない。今仮に、目の前に「ネイティブ」の発音で内容の薄いことを話す人と、英語は思い切りなまっているのだけれども極めて優秀なハッカーだったり、Web3(※1)の発展に関係していたり、あるいは世界でも珍しい文化の体現者だったりする人がいたら、どちらの話を聴きたいと思うだろうか?

今の世界では、なまっていようが、アクセントが強かろうが、価値のある人の話を英語で聞くことの方がよほど大切である。空疎な「ネイティブ」発音など、どうでもいいのだ。

実際、私自身の経験でも、英語を母語としている人よりも、英語が第2言語である人と話す機会の方が圧倒的に多い。最近もフランス、ハンガリー、ドイツ、インドネシア、フィリピン、マレーシアの人と英語で話す機会があった。それぞれ確かになまっていたりアクセントがあったりするのかもしれないけれども、そんなことは気にも留めないし、そもそも記憶に残らない。

※1 Web3 ブロックチェーン技術を活用した分散型ウェブサービス

そもそも「ネイティブ」とは何か

日本人の英語はなまっているのかもしれないけれども、気にせずにどんどん話したらよい。さまざまな国の人と英語で話していて思うのは、日本人の英語能力の低さは致命的だということだ。国家的スキャンダルと言ってもよい。そのことと、「ネイティブ発音」にこだわるという謎の風習とは関係していると私は考えている。

ネイティブ発音にこだわるから、話せない。そもそも今の世界で価値がないことに意味があると思っているから、時流に乗れない。日本人の英語能力を高めるためには、ネイティブ幻想を捨てることが大切だと思う。

そもそも、「ネイティブ」ってなんだよ、という根本的な問題もある。

最近も、ツイッターで、子どもが学校でwaterを先生が発音するのを聞いて、「ワラー」と書きとった、なんて耳がいいんだ、と褒めているツイートを見た。ぼくはそれを読んで思った。いや、別に「ワラー」なんて発音しないから。ちゃんと「ウォーター」と言うから。そんなの特殊事例でしょ。

おそらく、戦後アメリカに占領されたことの影響もあって、日本では「ネイティブ」の発音というとアメリカ英語、とりわけカリフォルニアあたりの発音だと思っている人が多い。「ウォーター」が「ワラー」などと言うのは、アメリカでも一部の人たちだけで、例えばニューヨークとかボストンの人たちは違う発音をするだろう。

日本で、「私はネイティブですから」といい気になって話している人の英語を聞くと、アメリカなまり、とりわけカリフォルニアあたりのアクセントであることが多い。いや、別に、それ、特殊事例ですから。そんなことに普遍的な価値ないですからと思うことが多い。その思い込みがはっきり言って気持ち悪いのだ。

イギリスに留学していたこともあって、私にとって一番聞き取りやすいのはいわゆるオックスブリッジの発音である。同じイギリスでも、ロンドンの下町なまりの、いわゆる「コックニー」のアクセントだとよくわからなくなる。BBCで言えば、自然番組でのアッテンボローの発音はとてもよく分かるけど、ロンドンを舞台にしたドラマとかになるとよく聞き取れないこともある。

「英語ができる」ことの真の意味

英語と言っても、発音はさまざまである。そのどれかを取って「ネイティブ」だと言うのは幻想でしかないし、愚かである。その愚かな押し付けをする文化が、日本はうるさすぎる。

日本に住んでいて、「これがネイティブの発音だ」とか、「日本人のこの英語の表現が間違っている」などとマウンティングしてくる外国出身の方もはっきり言って「うざい」。そんなことはどうでもいいと思う。そもそも、その方々たちが英語話せるのは手柄でも何でもなく、当たり前だ。英語を話すこと自体に、付加価値はない。そのようなニセモノに脅かされて、日本人が英語を話せなくなっているのは歯がゆい。

そもそも、私たち日本人は、外国出身の方々が一生懸命話している日本語について、ここがおかしいとか、間違っているとか、いちいち偉そうにマウンティングしないよね?一部の英語話者の空虚で傲慢な態度は、人間としてどうなのかと思う。

結論から言えば、アクセントがあろうがなまっていようが、とにかく話せばいいのである。そのためには、とにかく大量の英語を聞くこと。英語は音楽だ。たくさん聞いていれば、さまざまなアクセントを含めて、次第に脳の中にパターン認識ができてくる。

「ネイティブ」の発音なんかに何の価値もないが、英語圏でしか流通していない高度な内容はある。私が最近いろいろな機会におすすめしているのは、MITの人工知能研究者、Lex Fridmanのポッドキャストと、イギリスの王立研究所(Royal Institution)のレクチャーシリーズ。どちらも、科学やテクノロジーの最新の高度な内容をストレートに容赦なく話しているのが素晴らしい。チャラくて表面的な日本の地上波テレビ、ユーチューブの文化とは「月とすっぽん」の違いがある。

英語が目的なのではなく、英語で何をコミュニケーションするかが問題なのである。その意味で、薄っぺらな現代日本の文化状況と、意味のないネイティブ信仰はつながっている。実質を見極める能力がない人たちが、ネイティブのような発音うんぬんという虚言を吐いて、日本人の英語を薄汚れたガラスの天井の下に閉じ込めているのだ。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院客員教授。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL 編集部)

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