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今話題の「文化盗用」って何?日本語に訳しづらい英語「アイデンティティー」を考える

日本語に訳しづらい英語

アメリカで生まれ、日本で暮らし、博多弁を操る言語学者のアンちゃんことアン・クレシーニさんが、「日本語に訳しづらい英語」と、その裏にある文化の違いを考察します。第12回では、「identity」を取り上げます。

日本語になった「アイデンティティー」

私は、大学でずっと日本の「カタカナ用語」を研究しています。外来語や和製英語が好き過ぎて、朝から晩までカタカナのことしか考えていません。特に、和製英語が好きです。和製英語は決して「変な英語」じゃなくて、「魅力あふれる日本語」だからです!

カタカナ用語は日本語に欠かせない存在です。だって、カタカナなしで会話できますか?いつかチャレンジしてみてください。非常に難しいと思います。

外来語、つまりカタカナ用語の最も大事な役割は、言語の隙間を埋めることです。

例えば、「ビデオカメラ」「アイスクリーム」などを表す和語や漢語がなかったので、英語から取り入れられました。カタカナ用語は、日本語同士のコミュニケーションツールです。

私はカタカナが好きだけど、日本で「アイデンティティー」とカタカナ表記されているのを初めて見たとき、めまいがしました。似たような形の文字が並んでいて、どれも同じに見えたからです!

ちょっと脱線するけれど、私は文字の並びに結構敏感です。新しい元号の「令和」が発表された時も、私は元号より「菅官房長官」というテロップをずっと見ていました。なんという素敵な文字の配列でしょう!

それはさておき、今回は日本語に訳しにくいidentityについて解説しますね。

さて、始めましょう!

英語の「identity」の意味は?

identityは、アメリカの発達心理学者のエリク・エリクソンさんが、20世紀に精神分析の用語として使用した言葉です。

英語の辞書の定義はたくさんありますが、この定義が一番分かりやすく、ピンとくると思います。

1: who someone is : the name of a person

2: the qualities, beliefs, etc., that make a particular person or group different from others

Identity Definition & Meaning - Merriam-Webster

つまり、“Who am I?”(私は誰?何者?)ということです。

日本語の定義もいろいろ調べたけれど、この説明が一番分かりやすかったです。

アイデンティティとは分かりやすく言うと、人や会社などが「他人から推し測られたものではなく、自分自身という存在に対して自分で定義できる意識を保っているもの」でしょう。

アイデンティティとは?英語と日本語の意味や使い方を例文付きで紹介 - ネイティブキャンプ英会話ブログ

大事なのは、「自分自身という存在に対して自分で定義できる意識」という部分です。

自分のアイデンティティーは、自分しか決められません。親や友達、周りの人が決めることはできないし、決める権利もありません。

日本人にとって「アイデンティティー」という概念が少し分かりづらいのは、もしかすると、もともと日本に「個人」を強調する概念があまりなかったからかもしれません。

「アイデンティティー」は、「自己同一性」「自己の存在証明」などと訳されています。日本人の友達に、「この日本語訳の意味、分かる?」と聞いたら、「うーん、よう分からんな」と言っていました。分かるような分からないような、という感じのようです。

高まる「性的アイデンティティー」に対する意識

ただ、最近は「性的アイデンティティー」(性自認)に対する意識が高まってきたことで、identityという言葉も身近なものになっています。

Gender identity is something that can only be decided by the individual.

性的アイデンディティーは、自分自身しか決められないものだ。

What’s his gender identity?

彼の性的なアイデンティティーは何?

Gender identity is a controversial issue in professional sports.

性的アイデンティティーは、プロスポーツの世界で論争になっている。

日常会話では、名詞のidentityよりも動詞のidentifyの方をよく使う気がします。

Her child was born female, but now she identifies as male.

彼女の子どもは女性として生まれたが、今のアイデンティティーは男性だ。

She identifies as nonbinary.

彼女のアイデンティティーは、ノンバイナリーだ。

ちなみに、「ノンバイナリー」の意味は、このように解説されています。

ノンバイナリーとは、自分の性認識に男性か女性かという枠組みをあてはめようとしない考え方を指す。

第三の性「ノンバイナリー」とは? トランスジェンダーとの違いも解説 | ELEMINIST(エレミニスト)

ノンバイナリーの場合、英語の代名詞はsheやheではなく、theyになります。文法的には違和感があるかもしれませんが、その人の性的なアイデンティティーを尊重するために、theyを使うべきだと思います。

このように、性的アイデンティティーによって代名詞が変わるので、What are your pronouns?(あなたの代名詞はなんですか?)というフレーズをよく聞きます。

動詞として使われているidentifyは、特に日本語に訳しにくいです。名詞のidentityが動詞化したのは、割と最近のことです。

ちなみに、最近は名詞を動詞化するのが流行っていて、ほかにもparentやLINE、email、Zoom、friendなどが動詞として使われています。

Parenting my children is hard.

子育ては大変だ。

Could you LINE me when you get home?

帰ったらLINEしてくれる?

I’ll email you soon.

近いうちにメールするね。

Let’s Zoom sometime.

今度、Zoomしましょう。

Can I friend you on Facebook?

Facebookで友達になっていいですか?

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今話題の「文化盗用」って何?

identifyは、ジェンダーの話をする時だけに使うとは限りません。

この間、イギリス出身のインフルエンサーのオリ・ロンドンさんは、自身のSNSで“I identify as Korean.”と発表しました*1

つまり、パスポート上はイギリス人だけど、心は韓国人だという意味です。ロンドンさんは韓国出身の人気グループ、BTSのジミンさんが大好きで、大金をかけて整形しました。

これに対し、「確かにアイデンティティーは自分しか決められないことだけど、自分の文化的なアイデンティティーまで決めていいわけ?」と批判する声もありました。

他の文化の何かを取って、不適切な形で自分の物にすることを、cultural appropriation(文化盗用)と言います。最近、英語のニュースでよく聞く言葉です。

同じように、ドレッドヘアをしたジャスティン・ビーバーさんや、着物を着てパーティーをしたアメリカ人の女の子が、ネット上で「文化盗用だ」と批判を受けたことがありました*2

Justin Bieber was accused of cultural appropriation when he wore his hair in dreadlocks.

ジャスティン・ビーバーが髪をドレッドヘアにしたとき、文化盗用だと非難された。

She was accused of cultural appropriation when she wore a traditional Japanese kimono to the party.

日本の伝統的な着物を着てパーティーに参加したところ、文化盗用だと非難されたのです。

一方で、こうした行為を文化盗用だと思っていない人もたくさんいます。「他の文化のものを好きになって、自分のものにしようとすることは、とてもよいことではないか」という考え方です。最近、この「文化盗用」はかなり大きな話題になってきています。

これを見ると、「性的アイデンティティー」は世界中で認識されるようになってきましたが、「文化的アイデンティティ―」はこれからと言えそうです。

ちなみに、個人的に以下の2文のニュアンスは全然違うと思います。

I identify as Japanese.

My identity is becoming more and more Japanese.

I identify as Japanese.は、「私は自分を日本人だと思っているから、それを認めて欲しい」という感じです。

一方で、My identity is becoming more and more Japanese.は、「私はどんどん日本人っぽくなってきている」という感じです。「認めてほしい」というニュアンスはあまりありません。

私自身、かなり日本人のアイデンティティーになってきた気がします。

テレビで「感染防止のためのマスクをしたくない」と反発しているアメリカ人を見た時、「何やってんの?思いやりがないの?」と思いました。母国のアメリカが徐々に遠いものになり、反対に日本の集団意識や思いやり精神がどんどん身近なものになってきました。この5年間で日本人の考え方と価値観に近づいてきて、心は日本人になりつつあります。

なので、My identity is becoming more and more Japanese.とは思うけれど、I identify as Japanese.とは思ったことがないし、言ったこともありません。

「自己肯定感」「自分探し」って英語でなんて言う?

ただ、私は完全にアメリカ人でもないし、日本人でもありません。自分のことがよく分からなくなってきています。このような状態を、英語でidentity crisisといます。「アイデンティティーの危機」、「自己喪失」、「自己意識の危機」、「アイデンティティー迷子」など、いろいろな日本語訳があります。

これも発達心理学者のエリクソンさんが広めたとされる概念ですが、当初は主に10代の若者が直面することの多い、「自分は誰?」「なんでここにいる?」といった不安を指していました。自分自身や生き甲斐を見失う若者は多いですが、10代だけでなく、人生のいつidentity crisisに陥ってもおかしくありません。identity crisisになると、“Who am I?”という大事な質問に答えられなくなります。

My son is having an identity crisis. He has no idea who he is or what he wants to do.

息子はアイデンティティーの危機に瀕している。自分が何者なのか、何をしたいのかが分からない。

I am in the middle of an identity crisis.

私はアイデンティティーの危機のまっただなかにいます。

I have been going through an identity crisis for the last two years. I don’t know who I am anymore.

この2年、自己喪失を経験している。自分は何者なのか、もうよく分からない。

また、中年の時期に陥るidentity crisisは、midlife crisis(中年の危機)と呼びます。アメリカでは、よくこのmidlife crisisの話を聞きます。

My husband is going through a midlife crisis. I am really worried about him.

夫は、今中年の危機を迎えている。本当に心配だ。

日本で「自分探し」という言葉が流行して久しいですが、これは英語でfinding oneselfと言います。

I decided to take a year off before college to go backpacking in Europe to try to find myself.

大学入学前の1年間を休学して、自分探しのためにヨーロッパにバックパッカーとして行くことにした。

I’ve been trying to find myself for the last two years.

この2年間、自分探しをしている。

たとえ今すぐ自分を見つけられなくても、「私は私のままでいい」という自己肯定感が必要です。「自己肯定感」はself-esteemと言います。

He has a high/low sense of self-esteem.

彼は自己肯定感が高い/低い。

「出る杭は生かされる」社会に

英語のidentityは、そのまま「アイデンティティー」というカタカナ用語として日本語に取り入れられましたが、すべての日本人が意味を完全に理解しているとは限りません。

冒頭で「自分自身という存在に対して自分で定義できる意識を保っているもの」という説明を引用しましたが、日本はこれまで「皆と一緒であること」を評価する文化だったので、なかなか「アイデンティティー」という単語を考える機会がなかったのではないかと思います。それに、出る杭は打たれるので、自分自身という存在を自分で定義することができませんでした。

けれどうれしいことに、日本は、魅力的な集団意識(思いやり、気遣いなど)を保ちながら、一人一人のアイデンティティーを大事にする文化に変わりつつあります。誰もが「ありのままの自分」を受けいれられる社会になりつつあると信じています。

「出る杭は打たれる」社会じゃなくて、「出る杭は生かされる」社会になるように、一緒に頑張りましょう。

私もいずれ、私自身のidentity crisisから脱出します。いえ、もう脱出し始めたのかもしれません。私は日本人なのか、アメリカ人なのか、決めなくてもいいと思います。アンちゃんはアンちゃんです。それでいいと思います!

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アン・クレシーニ

アン・クレシーニアメリカ生まれ。福岡県宗像市に住み、北九州市立大学で和製英語と外来語について研究している。著書に『アンちゃんの日本が好きすぎてたまらんバイ!』(合同会社リボンシップ)。自身で発見した日本の面白いことを、博多弁と英語でつづるブログ「アンちゃんから見るニッポン」が人気。Facebookページも更新中!
写真:リズ・クレシーニ