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文学の良き担い手は何を学んだ?クリエイティヴ・ライティング教育の三つの役割

クリエイティヴ・ライティング

連載「クリエイティヴ・ライティング入門講座」では、立命館大学の吉田恭子さんが、読者の皆さんと一緒にクリエイティヴ・ライティングについて考えていきます。第7回目では、クリエイティヴ・ライティングを学べる大学院でどんな教育が行われているのかについて、主にアメリカでの例をとって学んでいきます。

第二言語で作文することで得られる気付き

連載第6回までは、読者の皆さんに英語の短いクリエイティヴ・ライティング課題に挑戦してもらい、また投稿いただいた作品を紹介して講評してきました。これまでの連載を読んでくださった方々の中には、課題の投稿に至らずとも、実際に自分で書いてみた人や試してみた人もいたことでしょう。

第二言語で作文や創作をすることは、母語での執筆とはかなり勝手が違います。このことは私自身も英語で書くたびに痛感していることです。一文一文に躓(つまず)きながら、辞書を引いて少しずつ書き進める。しかも、書いたものを後から読み直してみれば、初歩的な文法ミスがぼろぼろ見つかったり、自分の言いたかったことがよく伝わっていなかったり。

けれどもその不自由さ、つまり一言一言を意識しながらのゆっくりとしたライティングプロセスこそが、第二言語での創作の面白みでもあります。母語ではいくら意識しても、ここまで念入りに執筆を行うことはできないからです。

しばらく第二言語で悪戦苦闘した後に母語で作文してみると、そのスピードと自在さに驚きます。その瞬間こそが自分と言葉の関係を見直す機会です。

母語であったとしても、自分は意図していることを十全に読者に伝えることができているだろうか?それとも紋切り型を連ねることで、何かを表現しているような気になってしまってはいないだろうか?母語であれ、第二言語であれ、より新鮮に、より面白く、より刺激的に言葉を使うために、求められていることは何だろうか?英語での創作は、英語だけでなく母語についてもさまざまな洞察をもたらします。

創作することは言葉で世界を創り出す作業です。英語で物語を書いていると、用を足すためのビジネスレターの作文などと違って、英語という言語と自分との関係性についても、問いが浮かんでくるでしょう。例えば、それは主人公の名前をどうするかという問いだったりします。

英語以外の言語を母語とする私たちが英語で創り出そうとしている世界は、どのような世界なのでしょうか?それはイギリスで生まれ育った小説家が創り出す世界と、どう似ていて、どう違うのでしょうか?その時、私たちが用いている「英語」は、彼らが用いる「英語」と全く同じ素材なのでしょうか?では、マレーシアの作家が使う英語は?中国からアメリカに移住した移民作家の場合は?オーストラリアの原住民詩人の英語は?AIが作った物語は?

第二言語で作文を行う経験を経て文章に接するようになると、他の人が書いた英語の文章や日本語の文章を読んでいても、今まで目を留めなかった細部に意識が向くようになります。書き手の工夫や技巧、表現上の問題点にも気が付くようになります。

英文創作の実践を経て、読者の皆さんも「描写は難しい」「三人称と一人称どちらが適切か」「どれくらい会話を入れるべきか」など、具体的な難題や障害に行き当たったことでしょう。次回からは実際の技巧上の問題点について、小説からの引用を観察しながら考えていきます。前回までの課題を経験していない人も、次回からの考察を参考にぜひこれまでの課題を試してみてください。

クリエイティヴ・ライティングの大学院では何を学ぶの?

まず今回はその導入として、英語圏で広く普及しているクリエイティヴ・ライティング教育、とりわけライティング・ワークショップの仕組みについて説明しながら、参考になる書籍を紹介します。

一般に「クリエイティヴ・ライティング・プログラム」とは大学院に設置されている創作教育プログラムを指します。2年から5年のカリキュラムを履修して学位論文として作品を提出し、修士号(MA)、芸術修士号(MFA)、博士号(Ph.D.)などを取得します。学部レベルでも創作専攻は存在しますが、なぜ大学院教育が重視されているかというと、志望者の作品を読んで学生選抜をすることができるからです。学部レベルだと一律入試で入学しているので、作品の良し悪しで学生を選ぶことができません。

一般的な大学院の創作科は詩作コースと小説執筆コースに分かれています。これに文芸翻訳やノンフィクションや劇作や映像シナリオコースが加わることもありますし、別のプログラムに設置されていることもあります。例えば、アイオワ大学だと創作科には詩と小説のコースがあり、それとは別に英文科のノンフィクションコース、比較文学科の文芸翻訳コース、他にもスペイン語の創作科コースなどがあります。ブラウン大学では文芸プログラムに詩と小説とエレクトロニック・ライティングのコースがあり、演劇プログラムに劇作コースがあります。イギリスのイーストアングリア大学の場合、散文と韻文は全く別のプログラムです。私が観察してきた印象では、アメリカの創作科の方が詩も小説も純文学的傾向が強く、イギリスはアメリカほど詩に重きは置かず、ミステリーやファンタジーなど娯楽小説を含めた小説執筆指導が盛んです。フィリピンはイギリスよりも以前から創作科プログラムが存在し、クリエイティヴ・ライティングの存在感が強い国です。このように、英語圏といっても、それぞれの伝統や傾向があります。

また英語圏の大学には世界中から多様な教員が集まりますが、これはクリエイティヴ・ライティングにも当てはまります。アメリカのウィスコンシン大学ミルウォーキー校で私の指導教員だった小説家のシーラ・ロバーツは南アフリカ出身でしたし、詩作の教員にはアイルランド人のビート詩人ジェイムズ・リディがいました。今は東欧やナイジェリア出身の作家が教壇に立っている大学も多くありますし、教員が多様なら、学生も多様です。

ここからはアメリカのクリエイティヴ・ライティング・カリキュラムに話を絞ります。アメリカのクリエイティヴ・ライティングの歴史は、D・G・マイヤーズ著 “The Elephants Teach: Creative Writing Since 1880” に詳しく述べられています。また、北米の創作科学会であるAWPのウェブサイトでは、アメリカの創作科の歴史や現状についての情報が閲覧できます。

アメリカの創作科の教育が目標にしているのは、作家や詩人の養成というよりもむしろ、実作を通した文学教育だといえます。創作科の多くが英文科発祥で、1930年代にアイオワ大学で新人文主義者(New Humanist)*1らによって全米初の「文学部」が設置された際には、作品を実際に書くことで内側から文学作品の仕組みを理解することが目的で、創作カリキュラムが導入されました。その後に変化し、実作や実践を優先する芸術修士プログラムとなりましたが、例えば医学部が「医師養成」、実践工学部が「エンジニア養成」を目指すのと、芸術大学の養成教育は本質的に異なります。程度の差こそあれ、クリエイティヴ・ライティングが目指すのは、文学のより良い担い手――すなわちより良い読者、より良い書き手、より良い文学教育者の育成です。

ですから、授業カリキュラムも文学作品研究を主旨とする英文科大学院と基本的には変わらず、多くの文学作品を読み込み、ディスカッションを経て、研究論文や試作品を執筆する授業が大半です。キャラクターの作り方、効果的なプロットの立て方といった創作のルールを教えるような授業は皆無で、むしろそのようなカリキュラムは反人文主義的だとみなされるのではないでしょうか。

最大の特徴は、ライティング・ワークショップの存在です。アイオワ大学の創作科は別名「ザ・ワークショップ」。それほどまでに、ワークショップはアメリカの創作教育を代表しているのです。

ワークショップは少人数のゼミ的な授業で、参加学生が自分で書いた原稿を持ち寄って、互いの作品についての意見を交換します。コピー機が普及する前は、授業で自作を朗読していたようですが、現在は事前に作品のコピーを配布したり、メールしたりするのが一般的です。ワークショップではクラスメートの作品が読解のテクストとなるのです。

ただ、文学研究の授業で扱う作品が完成した小説や詩であるのに対して、ワークショップの作品は(一見完結していても)いまだ推敲(すいこう)途中であるとみなされます。クラスメートに課せられた役割は、(1)最初の読者として作品をしっかり読んで解釈し、それを言語化すること、(2)作品の長所や短所を指摘し、改稿のためのヒントを提示することです。

一つの短編小説を30〜45分かけてディスカッションするとして、その大部分がこの作品をどう読むか、という解釈の問題と作品で用いられている技巧の特定に費やされます。作者本人はその間発言することができません。作品がいったん読者の手に渡ると、言い訳したり補足したりできず、ただ自分の作品がどう読まれているかということに耳を傾けることになります。作者は、ディスカッションの終わりの部分で、質問への回答やコメントのために初めて発言できるのです。

昔ながらの「アイオワ方式」のワークショップでは、原稿に作者名を載せないことになっていました(ディスカッションで発言しない人が作者なので、誰が作者なのかは自然と明らかになるのですが)。これは、文学作品は作者のアイデンティティーに関係なく自律したテクスト空間であると主張した、20世紀前半の文学理論である新批評(New Criticism)の影響です。けれども、今日ワークショップに参加している学生は、人種、ジェンダー、国籍などが非常に多様化しているので、作品を作者のアイデンティティーから切り離して読むことはほぼ不可能でしょう。ただ、自分の書いたものをいったん作者が手放すジェスチャーとしては、名前を消す行為は未だ有効かもしれません。

作品の解釈や改稿案の他にディスカッションの大きな話題となるのが技巧上の問題です。これは微細なテクニックから文学史やジャンル、読者と作者の関係といった大きな理論的問題まで、ありとあらゆる論点が上がります。優秀なワークショップ教員は、「3ページ目では内開きだった寝室の扉が、15ページ目では外開きになっている」といった細かい点に気が付くばかりでなく、人称や視点や時制といった執筆上の諸問題を指摘し、その際に正解を示すのではなく、問題を解決する糸口を示唆したり、類似の問題に挑戦している作品を紹介したりしてくれます。また、個別の学生にあった作家を推薦するのも教員の役目。クリエイティヴ・ライティングの教授は単なる書き方指導の先生ではなく、書き手視点の文学理論家であり、読書指南役なのです。

ワークショップで上がった解釈やアドバイスをもとに、最終的に作品の改稿方針を決めるのは作者の責任です。

クリエイティヴ・ライティング教科書のお薦めは?

アメリカでは無数のクリエイティヴ・ライティング教科書が出版されています。これらの教科書を見ていると、上に述べたようなワークショップの教員に課せられているのは、概ね三つの役割だということがわかります。

一つは幅広いタイプの作品を読ませることで、文学表現の可能性や技巧性に気付かせる、創作者向けのアンソロジーもしくは読み方教室としての役割。二つ目はワークショップで議論に上がる技巧上の問題を整理して、それらについて文学理論も援用しながら説明し、考察し、演習問題(ライティング・エクササイズ)などを提供する実践理論書としての役割。そして三つ目は、執筆への心構えや実務(読書が大切、無数の改稿を諦めるな、投稿や掲載のためのアドバイス)を伝える役割です。

一つ目の分類に入る本で今や伝説的な古典となっているアンソロジーが、クレアンス・ブルックスとロバート・ペン・ウォレン編の “Understanding Poetry”(1938)と “Understanding Fiction”(1943)で、これは世界中で英語・英文学の教科書としても使われましたが、その根底にあるのは、精読力の涵養(かんよう)こそが詩人や作家の基本という新批評の哲学です。アイオワで学んだ作家のフラナリー・オコナーは“Understanding Fiction”を「私のバイブル」と呼んでいました。

Understanding fiction

クレアンス・ブルックスとロバート・ペン・ウォレン編“Understanding Fiction”(1943)

また、イギリスの小説家で文学研究者であるデイヴィッド・ロッジが、一般読者向けに執筆した啓蒙書『小説の技巧』(柴田元幸、斎藤兆史訳、 “The Art of Fiction”)も、創作科学生向けの読書指南書です。

冒頭で述べたように、自分で書いてみることで、より意識的な読者になるきっかけをつかむことができます。どんな作家も、書き手としてよりも読み手としての経験の方が勝っているのです。「作家として読む」アプローチの重要性に特化した近年の読書指南書としては、小説家のジェイン・スマイリー著 “13 Ways of Looking at the Novel” 、同じく小説家のフランシン・プローズ著 “Reading Like a Writer: A Guide for People Who Love Books and for Those Who Want to Write Them” などがあります。

二つ目の役割については、9度改定され定評のあるジャネット・バロウェイによる “Writing Fiction: A Guide to Narrative Craft” のように、いかにも教科書的な本が並びます。例えばバロウェイの本だと、「執筆プロセス」「showingとtellingの違い」「登場人物」「設定」「プロットと構成」「視点」「推敲」といったトピック別の目次立てになっています。教科書によっては、トピックごとに参考となるような短編小説を掲載し、一つ目の役割とのハイブリッドとなっているものもあります。

Francine Prose  Reading Like a Writer: A Guide for People Who Love Books and for Those Who Want to Write Them

フランシン・プローズ著 “Reading Like a Writer: A Guide for People Who Love Books and for Those Who Want to Write Them”

つい最近翻訳が出版されたのは、日本でもファンが多いアーシュラ・K・ル=グウィンによる教科書です。『文体の舵をとれ――ル=グウィンの小説教室』(大久保ゆう訳、 “Steering the Craft: A 21st Century Guide to Sailing the Sea of Story”)は、この手の本にしてはずいぶんコンパクトな上、しなやかで語りかけるような調子が特徴的で、語りの「声」の調音技巧に重点を置いています。ル=グウィンもまた西海岸の大学などで創作を長年教えてきました。

多くの教科書が “craft” を強調しているのは、「技巧」こそ作家として意識的に学べるし、学ぶべき領域だと多くの書き手が信じているからでしょう。

三つ目の役割にまつわる内容は、初心者向けではありますが、個性豊かな名著が多い領域です。ドロシア・ブランデによる古典“Becoming a Writer”(1934)を筆頭に、日本で翻訳されているものとしては、ジョイス・キャロル・オーツ著、吉岡葉子訳『作家の信念――人生、仕事、芸術』(“The Faith of a Writer”)、スティーヴン・キング著、田村義進訳、『書くことについて』(“On Writing: A Memoir of the Craft”)も定評があります。私のお薦めは創作科教員としても伝説的だった小説家ジョン・ガードナーによる “On Becoming a Novelist”で、ガードナーに教わったレイモンド・カーヴァーによるまえがきも感動的です。

ドロシア・ブランデ著“Becoming a Writer”

ドロシア・ブランデ著“Becoming a Writer”

次回からは少し趣向を変えて、英語創作の諸要素について、実際に英語小説からの実例を紹介していきます。

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*1:新人文主義とは、アメリカの学者アーヴィン・バビットと文芸評論家ポール・エルマー・モアによって展開された文芸批評および政治思想上の運動のこと。

吉田恭子

吉田恭子(よしだきょうこ)立命館大学教授。英語で小説を書く傍ら、英語小説を日本語に、日本の現代詩や戯曲を英語に翻訳している。著書に短編集『Disorientalism』(Vagabond Press、2014年)、翻訳にデイヴ・エガーズ『ザ・サークル』(早川書房、2014年)など。