『ジェイン・エア』の作家シャーロット・ブロンテのもう一つの物語――未発表作品の発見秘話

アクチュアルな英語文学

時代を経て読み継がれる文学の名作には、「今」を生きるためのヒントやテーマが潜んでいます。この連載「現代的な視点で読み解く アクチュアルな英語文学」では、英文学と医学史がご専門の上智大学教授である小川公代さんが、主に18世紀以降のイギリス文学から今日的な課題を探ります。第3回は、『ジェイン・エア』の作家シャーロット・ブロンテの未発表作品が発見された経緯です。そこにはブロンテ姉妹の家族の物語がありました。

7000万円で落札されたシャーロットの豆本

昨年11月、小説『ジェイン・エア』の創作の芽にもなったシャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë、1816-1855)のミニチュア本(縦6.5センチ、横3.5センチ)が競売にかけられたというニュースに、世界中のブロンテ・ファンが沸いたのではないだろうか。シャーロットが14歳で制作したこの『ヤング・メンズ・マガジン』と題された豆本の文化的価値の高さは、落札価格が驚愕(きょうがく)の51万ポンド(約7000万円)であったことからもうかがえる。

英国ブロンテ協会の会長でもある俳優のジュディ・デンチ(映画『007』の3代目「M」役など)は、2011年のオークションでこの豆本を落札できなかったため、昨年は周到な資金集めをしてオークションに臨んだ。ブロンテの地ヨークシャー出身の彼女だからこそ、その思い入れはいっそう強かったのだろう。

シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』

1980年にイギリスで発行されたシャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』の切手

シャーロットの知られざる2つの未発表作品

実はあまり話題になっていないが、シャーロットの未発表作品がもう2点あり、それらは数奇な運命をたどって発見されている。これがいかに奇跡的な発見であったのか、また、その発見秘話としてブロンテ姉妹の家族の絆の物語があったことについて書きたい。

一つは70行の詩で、もう一つは74行の小さな物語である。シャーロットが17歳の頃に書いたとされるこの2つの作品が長年発見されなかったのは、ブロンテ家に残された母親マライアの数少ない遺品を父親パトリックが手放さずにいたからだ。そのうちの一つが、ロバート・サウジーによるヘンリー・カーク・ホワイトの伝記本(The Remains of Henry Kirke White)で、2作品はこの本の間に挟み込まれていた。2016年に英国ブロンテ協会がこの本を20万ポンド(約2765万円)で買い取り、ページの間に挟まっていた作品を発見するに至った。

未発表作品を150年ものあいだ世間の目に触れさせてこなかったこの伝記本は、ブロンテ姉妹と父親パトリックにとって、母、あるいは妻の形見であった。この本は、マライアがかつて乗った船が難破した際、ほとんどの所持品が海の底に沈んだにもかかわらず、奇跡的にサルベージされていた。

母マライアと父パトリックの奇跡的な出会い

マライアは当時の基準で言えば晩婚であった。そもそも、マライアとパトリックが出会えたのも奇跡だと言える。彼女が30歳だったとき、たまたまイングランド南部にある港町ペンザンスから、叔父の学校の手伝いをするためにヨークシャーに来ていた。

ヨークシャーは、冬の寒さが特に厳しい北部イングランドに位置している。彼女が叔父から手伝うように頼まれていなければ、過ごしやすい温暖な土地からヨークシャーにわざわざ来ていなかっただろう。あるいは、もしパトリックが彼女の知性と機知に魅了されていなければ、ブロンテ姉妹は生まれてすらいない。今や世界の古典文学として知られるシャーロットの『ジェイン・エア』だけでなく、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』やアン・ブロンテの『アグネス・グレイ』といった作品も誕生しなかった可能性だってあるのだ。

書簡によれば、パトリックとマライアは互いに一目ぼれだったそうだ。その後、間もなく結婚し、6人目の子どもが生まれて間もない頃に、一家でハワースの牧師館に引っ越している。パトリックは国教会の牧師だった。とはいえ、その幸せは長くは続かなかった。1821年にマライアは突然倒れた。がんだった。

遺品や遺物に宿る死者の魂

長女がまだ7歳という幼い子どもたちを残して、マライアは他界した。

ブロンテ家に限らず、当時のヴィクトリア時代の人々にとって遺品というのは特別な意味を持っていた。マライアの残した物は、パトリックにとっては彼女の分身でさえあった。霊性が物に宿るというイギリスの象徴的な文化の一つとして、死者の愛用品だった遺物に固執する文化がある。シャーロットが、亡くなった妹エミリーとアンの遺髪を身に着けていたという話はあまりに有名だ。

デボラ・ルッツは、死者の魂が遺品や遺物に宿るという考え方の起源は国教会とは異なる福音主義的な、あるいはメソディスト的な死生観にあると指摘している。メソディズムというのは国教会に属さない「非国教会」(non-conformist church)の宗派である。興味深いことに、パトリックは国教会の聖職者だったが、妻となったマライアはメソディストの家系だった。そしてマライアが他界した後に、シャーロット、エミリー、アン、そして長男ブランウェルの世話をするためにやって来たのは、マライアの姉のエリザベスだった。ブロンテ姉妹からすれば叔母に当たる人物だ。

ヨークシャーのハワースは、そもそも非国教徒の文化が栄えていた土地で、おそらくパトリックも、死者の魂が遺品や遺物に宿るという考え方をすんなり受け入れていたのかもしれない

遺物、遺品の収集の歴史を振り返れば、キリスト教聖人の亡きがらや愛用品をわれ先にと求めた聖遺物の時代にまでさかのぼる。当初は宗教的なものだった収集対象は徐々に世俗化し、19世紀初頭には、文学者の住まいを訪れたり、遺物を収集したりすることが一種の世俗的な「崇拝」となっていた。ヴィクトリア朝になると、著名人でもない世俗の人間さえもが対象となり、いとおしい人々の記憶を保つため、さまざまな形で亡きがらの一部や愛用品が保存されるようになった。

『嵐が丘』では、エドガー・リントンの妹でヒースクリフの妻イザベラが送ってきていた最後の手紙を、ネリーが大切に保管している。この手紙(遺品)のことをネリーはロックウッドに「いとおしいと思う人が亡くなって、残した遺品であれば、どんなものもかけがえないものです」と説明している(Brontë 136、筆者訳)。

マライアが所持していた本と未来の夫との関係

ブロンテ一家が、マライアが亡くなった後も、ロバート・サウジーによるヘンリー・カーク・ホワイトの伝記本を大切に保管していたことは想像に難くない。

さらなる奇跡は、マライアの遺品であるこの本が、パトリック・ブロンテの大学時代の友人の伝記であったことだ。パトリックは農夫の子どもとして育ったが、最初は独学し、近隣の牧師たちの助けを借りながら、最終的にケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジに入学することができた。ホワイトはケンブリッジで出会った学友だった。彼は詩的才能に恵まれ、大学時代から詩や讃美歌をつづっていたが、21歳の若さで他界した。

何より驚愕に値するのが、このホワイトが書いた詩が収録された彼の伝記本を、パトリックと出会う前からマライアが愛読していたことである。二人が結婚してから、ホワイトの詩や人物像について語り合ったのではないかと筆者は空想する。

ブロンテ姉妹の研究で注目されるマライア

マライアが亡くなってから、この本がパトリックと彼の子どもたち、つまりブロンテ姉妹にとってかけがえのない遺品になったことは言うまでもない。

この本にパトリックはラテン語で次のように記している。「私のいとしい妻の本で、海の藻くずと消えるのを辛くも逃れた本でもある。だから、これからもずっと失われることはない」(筆者訳)。その後、この本は家族によって何度も読み返され、さまざまな書き込みがなされ、ブロンテ一家が残した重要な遺産(レガシー)となった。

シャーロットの未発表作品である詩と物語がこの本の中から発見されたということがどれほどの意味を持つかを考えると、ブロンテ研究の史料としてのみならず、一つの文化財としても計り知れない価値があるだろう。そして2018年に、2つの未発表作品は、この伝記本に残されていたシャーロットのメモ書きなどと共に活字になって英国ブロンテ協会から刊行された(Charlotte Brontës: The Lost Manuscripts, Brontës Society)。

昨年4月にマライア・ブロンテの初の伝記が刊行されたのはおそらくただの偶然ではないだろう。シャーロットの未発表作品が発見された経緯を考えると、これまでのブロンテ研究におけるマライア・ブロンテの不在が浮き彫りになるからだ。シャロン・ライトの伝記本(The Mother of the Brontës: When Maria Met Patrick, Pen and Sword)の邦訳が待たれる。

 

次回は2021年1月7日に公開予定です。お楽しみに。

参考文献

■Emily Bronte, Wuthering Heights, 1847. ed. Pauline Nestor (London: Penguin Books, 1995)

Wuthering Heights (Penguin Classics)

Wuthering Heights (Penguin Classics)

  • 作者:Bronte, Emily
  • 発売日: 2003/01/01
  • メディア: ペーパーバック
 

■Deborah Lutz, Relics of Death in Victorian Literature and Culture (Cambridge: Cambridge University Press, 2015)

■小川公代「第7章 一九世紀イギリス文学の「世俗化」――エミリー・ブロンテの『嵐が丘』とスピリチュアリティ」、伊達聖伸編著『ヨーロッパの世俗と宗教――近世から現代まで』(勁草書房、2020年)

ヨーロッパの世俗と宗教: 近世から現代まで

ヨーロッパの世俗と宗教: 近世から現代まで

 

■“Dame Judi Dench backs bid for £650,000 Bronte ‘little book’” (BBC News, 24 October, 2019)

www.bbc.com

■Stephanie DeLuca, “Two lost Charlotte Brontë manuscripts will be published this year” (Melville House, March 26, 2018)

www.mhpbooks.com

■Alison Ford, “Brontë Society secures last of Charlotte’s minute teenage books” (The Guardian, 18 November, 2019)

www.theguardian.com

小川公代

小川公代(おがわ きみよ)上智大学外国語学部教授。英国ケンブリッジ大学卒業(政治社会学専攻)。英国グラスゴー大学博士号取得(英文学専攻)。専門は、イギリスを中心とする近代小説。共(編)著に『幻想と怪奇の英文学IV』(春風社、2020年)、『Johnson in Japan』(Bucknell University Press, 2020)、『文学とアダプテーション――ヨーロッパの文化的変容』(春風社、2017年)、『ジェイン・オースティン研究の今』(彩流社、2017年)、『文学理論をひらく』(北樹出版、2014年)、『イギリス文学入門』(三修社、2014年)など。
https://sites.google.com/view/ogawa-kimiyo