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カトリーヌ・ドヌーヴが来日したフランス映画祭のボランティアで遭遇した外国人スターたち

舞台芸術翻訳・通訳の世界

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。今回は、学生のときにボランティアスタッフとして参加した「フランス映画祭」で遭遇したスターたちとのエピソードです。

浮かれています

EJOをお読みのみなさん、こんにちは。翻訳家で通訳者で浮かれている平野暁人です。

え?なぜ浮かれているのかって?ふふふ・・・それはですね・・・

なにを隠そう、このたび本連載が「EJ新書」から刊行される運びとなったからです!

ばんざーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!

これもひとえにいつも読んでくださっている方々のおかげです。公開と同時に読んではSNSで積極的に感想を発信したり拡散したりしてくださるみなさんのご厚意なくしては、今年の6月に始まったばかりの連載がわずか半年で新書にしていただけるなどという奇跡的な展開は決してありえなかったはず。本当にどうもありがとうございます。また、無名の書き手を信じて刊行を決めてくださったアルクさんのご英断にも敬意を評します・・・って誰が無名の書き手だよ!!(おまえだよ)

というわけで(どういうわけだ)、EJ(ENGLISH JOURNAL)新書のスピンオフ企画「EJ(ENGLISH JANAI)新書」の創刊を勝手に宣言いたします!みなさま、何卒よろしくお願い申し上げます!

そして今回はこの他にもまだうれしいお知らせとしょーもないお知らせがあるのですが、あんまりお知らせばかりしているとこのあたりで一見のお客さんがブラウザを閉じてしまいそうな気がするので後ほど発表いたします。そちらもどうぞお楽しみに!

ぴらの氏映画祭スタッフをやるの巻

それにしても、ハタチのときに消去法で不承不承フランス語を始めた人間が翻訳して通訳してさらには本を出すなんて思えばずいぶん遠くに来たものです。いやあなんてめでたいんだろう。めでたいといえば祭りです。祭りといえばフェスティバルです。というわけで(だからどういうわけなんだ)今回はひとつ、私が過去に関わった仕事の中でもいちばん巨大なお金が動いていたであろうイベント「フランス映画祭」での思い出話をして差し上げることと致しましょう。どうですかこの流れるような無理のある展開。もはやENGLISHはおろか舞台芸術すら関係ない。しかもEJOではすでに今井美穂子さんという映画通訳界のエキスパートが連載されているというのに!ネタがかぶったらどうするんだ!大丈夫、まともな人なら決してかぶりません(自覚があってたいへんえらい)。

あれはまだ修士課程の学生だったころ。

知人を通じて「フランス映画祭のボランティアスタッフを探している」と連絡がありました。そう、先ほど「仕事」と書きましたが実際にはボランティア、つまり無償案件です。当時、すでにフランス語で翻訳のアルバイトを大量にこなしていたこともあり、少々躊躇(ちゅうちょ)しつつも詳細を聞いてみると、映画祭のゲストとして来日する俳優御一行様を空港まで迎えに行きそのまま1日アテンドするため、ボランティアとはいえある程度フランス語力を有する人材を探しているとのこと。それならなおさらボランティアとかしみったれたこと言ってないで然(しか)るべき機関に有償で発注しろやゴルァと内心思いましたが(※率直第一で書いてますぴらのですどうぞよろしく)、フランス代表団の団長がなんとあのカトリーヌ・ドヌーヴだというのでうっかりやりがい搾取案件に加担してしまったのでした(だから東京オリンピックの通訳ボランティア問題にはすごく怒ってるけどやりたい人の気持ちもわかるぜベイベ)。

さて当日。

指定された集合場所に(珍しく)時間どおりに着いたぴらの氏。ところが待っていた担当スタッフAさんはやや戸惑ったような表情で「ええと・・・あなた、ボランティアの人?」。はて?他にそれらしき人もいないのになぜわざわざそんなわかりきったことを尋ねるのだろうか。今度はこっちが戸惑う番です。

でもね、今ならわかります。

たぶんだけど、襟元から袖までファーをあしらったジャケットに派手なプリント柄のパンツと真っ赤なブーツを合わせて黒革のネクタイを締め薄い赤のサングラスをかけていたからじゃないかと思うんだ。たぶんねたぶん。

もちろん今の私は「朝から空港へ迎えに行ってそのまま終日アテンド」という明らかに動き回りっぱなしになるであろう予定を知りながら街角の吉井和哉みたいな格好で現場に行く浮かれポンチではありませんが、当時はなぜか「映画祭→アテンド→スターと接する→正装しなきゃ!」というスーパーコンピュータも真っ青の華麗な演算がなされたんですねえ。ていうかそもそもTHE YELLOW MONKEYが正装ってどこの平行世界の話だ。いやあかっこよければなんでもいいかと思って(あっ)。

「平野くんだっけ?なんか、スタッフなのに完全にゲスト寄りの格好だね・・・」

ブルゾンというよりはジャンパー寄りの地味な上着にデニム、足元はスニーカーという正装ならぬ「正解」で武装したスタッフAさんにそう苦笑いされながらも(ただしオレ様は意に介していない)、まずは送迎用バスに乗って空港へ。「まずは」どころか私にとってはいきなり最大の山場と言っても過言ではありません。なんせドヌーヴが!!女王陛下が!お出ましに!興奮のあまりジタバタしている私にスタッフAさんからの「あ、ドヌーヴは来ないから」。

・・・は?

「ドヌーヴはね、他の俳優たちと一緒には出て来ないの。VIP専用の出入口から出てVIP専用の送迎車で移動するから我々スタッフとは一切接触しません」

はああああああああああああああああああああああ!?

さっそく話が違うじゃん!

こちとら生ドヌーヴのアテンドだけが楽しみで気合入れて正装(※当社比)までして来たっていうのに!とか不満を言いたいのは山々ですがこれも仕事の内ですから仕方ありませんとあやうく大人の分別を働かせそうになったけどこれボランティアスタッフという名のタダ働きであってすなわち仕事じゃねえからやっぱりものすごく不満なんですけど!!!!!!

なんでもドヌーヴくらいになると微に入り細を穿(うが)った接遇マニュアルがあり、食事や滞在施設の条件はもちろん、空港でも「何メートル以上歩かせてはいけない」という決まりまであるのだとか。まあこの手の話は半分くらい都市伝説だと思っておくとして、フランス映画黄金期を支えた本物のスーパースターだもんね。よく考えたらみんなと一緒に成田からたらたらバス移動なんて間違ってもするわけないよね・・・。

君の名は

女王に間近で接する望みが絶たれて到着早々しょんぼりしていられたのも束(つか)の間、程なくしてドヌーヴ以外の俳優さんたちが到着する時間になりました。いかん、気を取り直して仕事、じゃなかったボランティア(こだわる)に臨まなければ。それに来日リストを見る限り今回の代表団、日頃ほとんどフランス映画を観ない私(この流れで白状するとゴダールすら観たことないのにフランス語屋やってますぴらのですどうぞよろしく)でも知っているようなスターがドヌーヴ以外にもいるみたいです。

ちなみに、俳優さんたちを迎えるにあたって厳しく言い含められたことがあります。

・自分から俳優さんに話しかけないこと。サインを求めるような行為は論外。

・荷物を持ってあげたりしようとしないこと。それは我々アテンドスタッフの役割ではないし、大人数の代表団に対してわずか3人(※うろ覚え)のスタッフではどのみち全員に対応できない。不公平が生じるのを避けるためにも誘導、人数確認の際の声かけなど必要最低限の接触にとどめ、個別のサービスは控えるように。なお、あちらから話しかけられた場合にはもちろん答えてよろしい。

ふむふむなるほど。物見遊山に出かけるような気持ちで来たけれど、思えば巨大な国際イベントだもんなあ。ここはひとつ緊張感を持たなければ。ちょっと反省(珍しい)。

と、そこへ俳優さんたちが出てきました。あっブノワ・マジメル*1だ!リュディヴィーヌ・サニエ*2もいる!

さっきの反省を2秒で忘れてミーハー全開になりかけるぴらの氏ですが、キビキビと場を仕切って誘導するスタッフAさんの指示を受け、最後尾から気の弱い牧羊犬のようにおずおずとついてゆくことに。

それにしてもみなさん、長旅でお疲れでしょうに重い荷物をご機嫌でコロコロ転がしています。「ちょっと!これ持って!」とか言われたらどうしよう、ちゃんと断れるかなあと内心ドキドキしていたのでこれには感心しました。いや、よく考えたら当たり前なんだけど、やっぱりスターだから威張ってるだろうと決めてかかってたんですよね。偏見ヨクナイ。ちょっと反省(※今回は珍しくよく反省するけどたぶん新書刊行で浮かれてるからだと思う)。

全員の荷物をバスに積み終えたら出発時間までタバコ休憩。牧羊犬ぴらのはバスの乗車口で待機。と、誰かがこっちを見ている気配が。振り返ると、ブノワ・マジメルがバスから顔を出して何か言いたそうにしているではありませんか。ダメダメ!話しかけちゃいけない決まりなんです!でも、なにか困っているのかな・・・?

ブノワ「あの、すみません」

ぴらの「はい?」

ブノワ「ええと、君、名前は?」

へ?

な、なぜ映画スターがオイラの名前を?早速なんかやらかしました?思いっきり動揺しつつ、

ぴらの「Akiですが・・・」

ブノワ「Akiだね、僕はブノワって言います。よろしく

ぴらの「はあ(知ってますけど!!)。よ、よろしく・・・?」

ブノワ「あのさAki、ちょっと訊(き)きたいんだけど、トイレってどこかな?」

えっ。

えっ?

それだけ?それを訊くためにまず名前を尋ねたの?

びっくりしながら連れ立ってトイレの方へ歩き出せば、「ここから目的地までどのくらい?」「えっそんなに遠いんだ」「なるほど、ここは東京じゃないんだね」「じゃあAkiも他のスタッフのみんなも朝早くにずいぶん遠くから迎えに来てくれたんだね。ありがとう!」等々にこやかに話を続けるブノワさん。用事が済むと、私はなんともいえず温かな気持ちになって持ち場へ戻りました。

前回の記事でも書いたとおり、フランス人はどんな新人のスタッフにでもきちんと名前を尋ね、覚えようとします(≠すぐに覚えます)。ただ、それはあくまでも同じチームで働く仲間であればこそ。例えば駅のインフォメーションで道を尋ねる場合にわざわざ自己紹介したり相手の名前を訊いたりはしません。つまり、ブノワさんは気弱な牧羊犬のようにうろうろしているだけの私(って自虐のつもりで書いてたけどこれだと俳優は羊ってことになるから意外と全方位的に失礼な比喩だな)をチームの一員として認識してくれていたということです。

私は「どーせボランティアだしー」「バイトですらないしー」「ドヌーヴいないしー」と投げやりな態度で臨んでいた自分が恥ずかしくなりました。思えばあのときブノワさんに独立した人格として一人前に扱われてすごくうれしかった気持ちが、今の自分の現場での身の処し方(一緒に仕事をする人の名前は必ず覚える、相手が新人さんでも「ありがとうございます」と「すみません」と「お願いします」は必ず伝える)にも時を超えて息づいているような気がします。

存在と無

さてさて一行が乗ったバスは無事に空港を出発し、都心を目指して走ること約1時間半。やがて日本人なら知らない人は少ないであろう(そして泊まったことのある人はもっと少ないであろう)超有名ホテルに到着しました。例によってスタッフAさんが先導し、牧羊ぴらのはしんがりを務めるべくみんなの降りるのを待っていると、なかなか降りる気配のない人がひとり。見れば、女優さんがひとりで重そうな荷物を持て余しています。かなりお年を召した方で、どうやら乗車時に荷物を持ってくれた他の俳優さんたちが全員うっかり先に降りてしまったようです。

しかしながらこちらは「声をかけてはいけない」「荷物を持ってはいけない」と重々言い渡されている下っ端スタッフ、もといボランティア(根に持ってる)。ここは心を鬼にしてマダムにがんばってもらうしかないというのが杓子定規な日本社会の冷たさなんだがぴらのは物心ついたあたりからそういう慣習を全体的に無視して生きてきたので、

ぴらの「あの、よろしければお持ちしましょうか?」

思いっきり声かけを敢行。

いや、だってしょうがなくない?

自分の親よりずっと年上のご婦人が困ってるんだからこれはいいよね仕方ないよね?

まして相手はフランス人だよ?この状況で素通りしたら人非人扱いだよ?やっぱりアジア人は野蛮ねとか思われるよ?まあそれはどっちにしろ思ってるだろうけど(※偏見ダメゼッタイ)。

ところがです。

マダムは私の方にちらっと目をやってから困ったような笑顔で、

マダム「ありがとう。でも結構です」

えっ?はっはーん、こちらがスタッフだから遠慮してらっしゃるんだな。見るからに慎み深そうなマダムだもんな。

ぴらの「いえ、どうかご遠慮なさらずに」

マダム「でも・・・あなたにお願いするのは申し訳ないですから」

ぴらの「とんでもありません」

マダム「本当によろしいんですか、お願いしてしまって」

ぴらの「はい、もちろん」

マダム「やっぱり悪いわ、あなたみたいな若い女性に」

そっちかよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

この連載を以前から読んでくださっている(物好きな)方ならご存じかもしれませんが、20代の頃の私は欧州へ行くと8割方女性と間違われていました。加えてこのときはいちばん髪が長かった時期。前髪を作り後ろはハーフアップにしていて、欧州はおろか日本国内ですらちょくちょく間違われていたほどです。マダムが女性に見間違えるのも無理はありません。でもね、でもでも・・・

こんだけ会話したら気づけや!!!!!!!!!!!!!!!!

などと上品なマダムに突っ込むのはさすがの私にも憚(はばか)られたので、にこやかに男性であることを告げ(なんせ慣れてるんだこれが)、いっそう恐縮するマダムをエスコートしながらバスを降りました。そしてホテルの方へ歩き出すや、

バシャバシャバシャバシャバシャ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

閃光(せんこう)が俳優一行を襲います。

そうです、ホテルの前に待ち構えた報道陣が一斉にフラッシュを焚(た)いたのです。みなさんもニュースやドラマなどで見たことがあるのではないかと思いますが、実際にあそこに身を置いてみるとものすごい衝撃なんですよ!そしてなにより危ないです。なんせ一瞬視界が真っ白になりますから。

ところがそこはみなさん来日するほどの映画スター。些(いささ)かも動じることなく笑みを湛(たた)えて軽く手を振ったり、止まって目線を送ったりしています。ひゃー。これがスターの仕事かあ。楽じゃないねえ。しかしいったいどんな気分なんだろう?などと考えつつ、光を喰(く)らわないよう目を伏せ脇をすり抜けてさっさとチェックインカウンターへ行こうとするスタッフぴらの氏ですが、ただでさえ眩(まぶ)しくて足元がおぼつかない上に、入り口前に広がって陣取っている記者さんやカメラマンさんたちがなかなか道をあけてくれません。眩しいよう。通してよう。荷物重いよう。ううう。

そんなうらめしい気持ちでふと目を上げると、心なしかこちらの方にカメラを向けている人たちが数人。そしてその中のひとりとはっきり目が合った次の瞬間。

記者氏「ぼんじゅーる!」

えっ。

ん?

・・・あっ。

違う違う違う違うからオレは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そうなのです、あろうことかフランス代表団の一員にカウントされ写真まで撮られていたのです。F××k!! (あっFワードだ!EJっぽい!*3

あ、あのですねマスコミのみなさん、しっかりしてくださいよ。どこの世界にスタッフを映画スターと見間違える記者が・・・と、そこで脳内に朝のスタッフAさんの苦笑が甦(よみがえ)りました。

「なんか、スタッフなのに完全にゲスト寄りの格好だね・・・」

そうだった・・・完全にゲスト寄りの格好で大きな(マダムの)荷物まで抱えてバスから降りて来た人がゲストじゃなかったらいったい誰がゲストなんだって話だわ・・・どうしようごめんすごくごめんごめんなさい・・・私は気恥ずかしさと自責の念で内心消え入りそうになりながら記者さんに向かって、

ぴらの「ぼんじゅーる(にっこり)」

しししししまったああ!!!!!!!!!!!

我ながら最良の発音に悠然とした笑みまで湛えて答えてしもうたああああああ!!!!!!!

しかもなぜか若干小首まで傾げてしまった気もするうううううううう!!!!!!!!!!

この間わずか2秒ほどだったと思いますが、人間てどうして追い詰められるとみすみすいちばんおかしな手を打ったりするのでしょう。教えて藤井聡太!!(※その人は主に追い詰める側の人です)

ただ、正解はいったいなんだったのか、今でもたまに思い出して考えることがあります。目を見て挨拶(あいさつ)されたのに無視するのは人として無理だし気持ちが悪い。かといって「あっ違うんです!僕はスタッフなんです!」と立ち止まってわざわざ誤解を解かなければならないほどの誤解バリューもない。なんだよ誤解バリューって。やっぱり、ああするしかなかった気もするんだよなあ。ともあれ、あの記者さんたちはきっと後で写真を整理しながら「あれ?あいつなんだったんだ!!??」となったことでしょう。ごめんそいつただのバイト。じゃなくてボランティア(まだ言う)。

宴と光

さあさあ、チェックインを終えたら俳優さんたちはそのまましばし休憩。我々スタッフは一足先にパーティー会場へと向かいます。12時間近く飛行機に乗って着いた当日に早速パーティーまであるのですからスター稼業も大変です。

会場となったのは都内某所、広大な庭園を擁する豪奢(ごうしゃ)な美術館・・・だったと思う。たぶん。ホテルからバスで直接会場まで移動して通用口みたいなところ(※うろ覚え)から広大無辺な敷地の一角に入ったので、建物の全貌がぜんぜん見えていなかったんですよね。いやあ広かった。広くて立派だった。で、折角(せっかく)なのでゲスト様たちにもまずは通用口からお入り頂き、その広い広い庭園をご覧に入れてから建物内へご案内する、という段取りに。

というわけで通用口付近で待機する我々アテンドスタッフ。加えて、お客様のお出迎えということでたぶんけっこう偉い関係者の方々も数人。案の定と言うべきか、俳優さんたちは予定の時間になってもなかなか来ませんでしたが、それでも徐々にひとり、またひとりと姿を現し始めます。俳優さんが庭園を通り建物へ入るとすぐ、メイン会場であるガラス張りの大広間からは華々しいフラッシュの明かりが。そうか、あそこにも報道陣が待機しているのかあ。やっぱりこういうのって到着順も大事なのかな。「あいつより後に入ろう」とか「なんで自分があの人より先なの!?」とかあるんだろうか。待てよ、さっきと同じ記者さんがいたら気まずいな・・・。

そんなことを考えながらどれくらい経(た)ったでしょうか。気づけば陽も暮れかかり、さすがにもうこれ以上誰も来ないだろうということで通用口を閉めることに。

と、その時。

ずっと遠く、視界の端にうすぼんやりと明かりが灯(とも)ったような気がして、私はそちらを見遣(や)りました。よくよく目を凝らすと明かりではなく、いえ、確かに明かりをまとってはいるのですが、どうやら人影のようです。人影は、ごくゆっくりと、進んでは止まり、進んでは止まりを繰り返しながら、しかし確実にこちらへ向かって歩いてきます。

あれ、なんだろう。

光ってる。

気がつけば、怪しげに微発光しながらゆらぐように近づいて来る「それ」を、その場にいる全員がみつめていました。

あれは。

あれ、は。

まさか。

来た。

来たぞ。

ドヌーヴが来たああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!

不意を突かれて立ち尽くす一同の存在をよそに、右手に細長い煙草を燻(くゆ)らせながら、ゆうらり、ゆらりと歩みを進める女王カトリーヌ・ドヌーヴ。やがて我々からわずかに数メートルの地点で再び立ち止まると、深々と一服してから、お付きの女性に向かって囁(ささや)くようにひと言、

ドヌーヴ「C’est quoi, cet arbre?」

すかさずお付きの女性*4が訳します。

「これは、なんの木ですか?」

そう言われてドヌーヴを見ると視線の先には確かに大きな木が。

偉い人「君っ、何の木だっっ?!」

(たぶん)そんなに偉くない人「えっ!?はっええと何の木でしょう!おい君っ!」

(たぶん)いちばん偉くない人「はっ!?はあっええええとおおおおお」

予期せぬ質問に動揺しすぎてオーガニックなコントを繰り広げる面々。なにせ相手はフランスが世界に誇るリビング・レジェンドですから無理もありません。ひとしきり慌てたのちにその場の誰かが意を決して「さっ桜だと思いますっっ!!」と伝えると、

「Ah bon? C’est un cerisier, ça?(そうなの?桜なの?これ)」

そうしてまた肺の奥まで吸い込んだ煙をふうううううっと吐き出します。

その一部始終を固唾を飲んで見守りながら、私はずっと思っていました。

光ってる。

やっぱりこの人、光ってるよなあ。

先ほど遠くでぼんやり灯っていたドヌーヴは、眼前にあってなお、はっきりと光を発していました。光といってもギラギラとした輝きではなく、薄絹を隔てて漏れ出すような明かりが全身を包んでいるのです。決して身につけた装飾品のせいではありません。

これがオーラというやつか・・・長い煙草をキセルよろしく気怠(けだる)げに口元へ運ぶ女王の姿になおもじっと見入る私。

と、あてどもなく漂っていた女王の目線がふと、私のそれと重なりぴたりと止まりました。

めっ・・・

めっ・・・

目が合ったあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!

一瞬で全身が石になったように硬直するのがわかります。文字どおり穴のあくほどみつめていたのですから目ぐらい合って不思議はないのですが、ドヌーヴときたらにこりともせずまっすぐこちらをみつめ返すのです。そうしてお付きの人にひと言、

「C’est quoi, ce singe?(なんなの、この猿は?)」

と言い放ったというのはさすがに嘘(うそ)ですが(ちなみに「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない?」も嘘らしいよ)、思わず勝手にそんな字幕を付けたくなるほど氷のような視線で射抜いてきます。えっなにこのチキンレース。殺(や)られる!なんかわかんないけどこのままじゃ殺られちまう!!

もはや勝手に生命の危機を感じながらも緊張のあまり却(かえ)って目線を外せなくなってしまった私はガッチガチに固まったまま、なぜか次の瞬間、

「Bonjour.(こんにちは)」

うわあああ挨拶してもうたあああああああああ!!!!!!!!!!!!

あんなにダメって言われたのにいいいいいい!!!!!!!!!!!!!

よよよよよりによってドヌーヴ様にいいいい!!!!!!!!!!!!!

変な汗をだばだばかきながら直立不動で関係各位へ向けた脳内土下座を敢行する私に向かい、女王は一切表情を変えぬまま頭のてっぺんから爪先までじろりと目を這(は)わせると、微かな声で、

「... Bonsoir.(こんばんは)」

しまったもう夜だったああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!

ちーん。

かくして、魂を抜かれたかの如(ごと)く立ち尽くす私を尻目に再びゆうらり、ゆらりと、女王は逢魔時(おうまがとき)の薄闇に消えて行ったのでした。

それから一同が正気を取り戻し、通用口に施錠して踵(きびす)を返した刹那、遠くの方で大広間が爆発したように光りました。

ああ、今、ドヌーヴが入室したんだな。

私たちは、にわかに巨大な発光体と化した大広間を、しばらく遠巻きに眺め続けていました。

エピローグ

それから後のことは、あまりよく覚えていません。

とか書くと本当に陳腐なエピローグ文体になってしまいたいへん恥ずかしいので全力で回避して克明な記憶のとおりに記しておくと、一度はドヌーヴ様に抜かれた魂を入れ直したぴらの氏はそのまま業務を続行。とはいえパーティーが始まってしまえばしばらく仕事らしい仕事もないので、きらびやかな大広間で豪勢なケータリングに舌鼓を打ちながら歓談するVIPっぽい方々を眺めつつ指をくわえて「待機」するだけ。気づけば招待客と思(おぼ)しき芸能人の姿も目立ち始めました。いいなあ。お腹(なか)すいたなあ。一日中立ち仕事なのにオサレブーツだから足も痛いよう(※それは自業自得です)。

ちなみにドヌーヴ様はというと、右手に煙草、左手にワイングラスを傾けながら大広間の中央でしばし謁見(えっけん)の儀を執(と)り行ったのち*5、ものの15分ほどでお帰りになりました。最後の最後までどこまでも別格であらせられましたぞ。

やがて、ものすごく羨(うらや)ましそ・・・暇そうな平野を見かねた優しいスタッフAさんから「平野くんはもう上がっていいよ」とのこと。へいへい、そいじゃひとつお言葉に甘えて、と帰ろうとする背中に向かってさらに、

「あ、せっかくだからあそこに混ざって食べていきなよ」

え?あそこにって、パーティー会場に?そんなことしていいんですか?

「ま、大丈夫でしょ。ほら君、あそこに混じってもなんの違和感もないし(笑)」

はっ。

そうだった。今日のぴらの氏ときたら映画祭を取材に来たプロの記者さんたちの目をも欺くクオリティのゲストコスプレに身を包んでいたのだった。でも、いやしかし、そうはいっても、いくらなんでも申し訳ないので遠慮した方が。それにスタッフAさんもBさん(ここへ来てまさかの初登場)もまだお仕事なのにオイラだけだなんて・・・

「いいっていいって。ほら、うちらギャラ出てるから(笑)」

いっただっきまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーす!

というわけで躍り上がってケータリング天国に突撃したわたくしは、目の前の鉄板で特級肉を何度も焼いてもらったり、腰が砕けそうな大トロばっかり繰り返し握ってもらったり、フォワグラとキャビアとトリュフを柿ピー感覚で口に放り込んだりとめくるめくひと時を過ごしましたとさ。

ありがとう吉井和哉!

ありがとうTHE YELLOW MONKEY!!

お知らせその1

6月から半年にわたりお付き合い願ってきた本連載ですが、さらに継続が決まりました。わーいわーい!!今後、どこまで連載を続けていけるかはもはやぴらのと編集部とのチキンレース・・・ではなくてみなさんの応援にかかっております。これからも「大事なことをおもしろく」を信条に書いてゆきますので(※今回の記事に大事なこといっこも出てこなかったけどな!!)、引き続きご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

お知らせその2

新書の刊行を記念して、なにかイベントっぽいことを私的に開催しようと考えております。なんらかのライブ配信サービスを利用したラジオ番組になるような気がしています。おそらく12月13日(日)あたりになるのではないでしょうか。全体的にふわふわした告知で恐縮ですが、詳細は主にTwitterで随時告知いたしますのでうっかり思い出したらお気軽に参加したりしなかったりするがよい!!

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*1:パリ出身の男優。2001年、イザベル・ユペールと共演した『ピアニスト』(ミヒャエル・ハネケ監督)でカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞。

*2:パリ近郊の町サン=クルー出身の女優。十代にしてフランソワ・オゾン監督に見出され、2002年には同監督の『8人の女たち』でベルリン国際映画祭銀熊賞、ならびにヨーロッパ映画賞女優賞を他の7人の女優と共に受賞。

*3:※ごめんなさいEJはそんな下品な媒体じゃないです。

*4:私の記憶では当時、ドヌーヴには日本人の専属ヘアメイクさん(女性)が付いていらして、日本ではその方が通訳代わりも務めていらっしゃる、という話でした。が、思えばこれがどこまで事実だったのかもよくわかりません。その人が通訳しながらヘアメイクしているところを見たわけでもないしねえ。もしかしたら専業の通訳さんだったのかも??

*5:実際に、ドヌーヴの半径数メートルがぽっかり空いていて、順番にひとりずつ進み出てはわずかに言葉を交わす、という光景が繰り広げられていました。「謁見の儀」という言葉が即座に浮かんだのをよく覚えています。

平野暁人

平野暁人(ひらの あきひと)翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛けるほか、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。
Twitter:@aki_traducteur