熱烈なファンを持つ日本の作家、村上春樹。彼の作品は海外でも高い評価を得ていますが、英語版は日本語版とどう違い、どんな魅力があるのでしょう?その名も『村上春樹が英語で楽しく読める本』をチェックしました!
村上作品を英語で読める!?
こんにちは!ライターの尾野です。
電車の中などで英語のペーパーバックをめくっている人を見ると、「かっこいい!」と思いませんか?しかし、いざ自分もやってみようと思うと、どんな本を選べばいいのか迷いますね。
そんなとき、日本人作家の英語版はどうでしょう?それも、国内外で人気の村上春樹。村上春樹といえば、「ハルキスト」と呼ばれる熱烈なファンがいる一方、苦手とする人も多い作家ですが、なんと 英語というフィルターを通すと、一見難解に思われる作品の世界がかえってわかりやすくなる のだとか。
「ホントかしら?」と思う方は、まずは今回紹介する本、『村上春樹が英語で楽しく読める本』を手に取ってみてください。
ハルキといえばやっぱり長編!
本書『村上春樹が英語で楽しく読める本』で取り上げている作品は、いずれも長編。「英語で読むだけでもハードルが高いのに・・・」と思ってしまいますが、本書の著者である「村上春樹を英語で読む会」は強気です。「はじめに」では次のように述べています。
なぜ短編ではなく、長編小説か。それは村上さんは基本的に長編小説作家だと思うからです。村上春樹さんの愛読者なら何度も長編小説を読んでいるだろう、それならばだいたいの雰囲気とストーリーは頭に入っているのではないか、好きな小説ならば意外に英語でも読みやすい かもしれない 、日本語と英語を見比べながら読んでもいいのではないか、読み方はなんでもあり!という発想です。私はあまり村上作品に詳しい方ではありませんが、確かに、タイトルはいくつも知っています。そしてそれらはほぼ長編。村上作品の魅力を味わうなら、やはり短編より長編なのでしょう。「せっかく読むならいちばんいいところを」という親心みたいなものかもしれませんね。「読み方はなんでもあり!」という一言が心強い!
さて、本書で取り上げている10作品がこちら。 発表された年代順に掲載されているので、村上作品のブックガイドにもなりますね 。
- 『風の歌を聴け』 Hear the Wind Sing
- 『1973年のピンボール』 Pinball
- 『羊をめぐる冒険』 A Wild Sheep Chase
- 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 Hard-Boiled Wonderland and the End of the World
- 『ノルウェイの森』 Norwegian Wood
- 『ねじまき鳥クロニクル』 The Wind-Up Bird Chronicle
- 『海辺のカフカ』 Kafka on the Shore
- 『1Q84』 1Q84
- 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage
- 『騎士団長殺し』 Killing Commendatore
抜粋 ">1つの長編から4つのシーンを 抜粋
取り上げられた作品はいずれも長編なので、もちろんそのままでは本書に収まりません。そのため、各作品から4つのシーンを 抜粋 して掲載しています。1シーンは700語程度です。
日本語の原作も併記されているし、英語ページの下段には語注も付いている ので、尻込みしていた私でもこれくらいなら読めそう。日本語と英語は一字一句対応しているわけではありませんが、「このシーンで表現したいことの枠が反映されているものとして捉えてください」とのこと。雰囲気がつかめればOKだと思います。
また、1つ目のシーンは、大体、作品の冒頭や序章から選ばれているのですが、そのほかのシーンについてはまちまち。「なぜこのシーンを取り上げたんだろう」と考えながら読んでも面白そうですね。
「英和・和英」表現集が使える!
「本格的に村上長編を英語で読んでみたい!」という方に役立ちそうなのが、「ミニ【英和】表現集」。英文を読むときに役立つキーワードを紹介しています。
先ほど紹介した、 抜粋 された4シーンからだけではなく、作品全体から「これぞ」という表現が選り抜かれています。英語力と村上愛に自信のある方は、ペーパーバックを入手して、時折これを参照しながらどんどん読み進めていくと楽しそう。
もう1つ、「ミニ【和英】表現集」も付いており、こちらもなかなか楽しいです。
日本語版を読んでいると、ちょっと気になる粋な表現や、「これを英訳するとどうなるんだろう?」という表現に出合うことがありますよね。そんなときはここをチェック。
「なるほど、そういうことか」と 英語だとかえって納得のいく表現もしばしばあります 。
「やれやれ」をめぐる冒険
村上作品といえば「やれやれ」ですよね(ハルキストの方、ごめんなさい)。
「ミニ【和英】表現集」でチェックしてみると、この一言でも、作品や文脈によって訳し方がまるで違います。そしてどれも、納得のいくものばかり。比較してみると大変面白かったので、列挙しますね。
例えば、初期の作品『羊をめぐる冒険』からはこちら。
「やれやれ」と僕は言った。greatとはいうものの、やや皮肉な感じでしょうか。まさに「やれやれ」の真骨頂?といったところ。“Just great,” I said.
続いては、大ベストセラー『ノルウェイの森』からいくつか。
やれやれ、またドイツか、と僕は思った。この場合は皮肉や当てこすりではないのですが、主人公はたびたびドイツ行きを経験しており、それにうんざりしている様子がうかがえます。 So の後のハイフンの部分で、ため息をついているのが目に見えるようです。So -Germany again.
「やれやれ」と僕は首を振った。“Oh, brother,” I said, shaking my head.
やれやれ、と僕は思った。それじゃキズキと直子のときとまったく同じじゃないか。日本語では「キズキと直子のとき」となっていますが、「僕」を含めた3人の関係について述べているので、英語だとmeも入るんですね。勉強になります。
やれやれ永沢さん、あなたは立派ですよ、と僕は思った。OKと言っていますが、これは反語。本当はまったくそう思っていないというニュアンスが込められています。
『海辺のカフカ』からはこちら。
やれやれなんのことはない。“Are you kidding me?”は、よく「ふざけてるの?」とか「冗談でしょ」と訳されますが、「やれやれ」もこれでいけるとは。「やれやれ」の包容力や奥深さに感銘を受けるとともに、文脈に応じて訳し分ける翻訳者のスキルにも驚嘆しました。Are you kidding me?
「やれやれ」問題については、本書にも「『やれやれ』をめぐって」と題したコラムが掲載されています。これによると、「やれやれ」は村上作品全体に散見されるものの、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「ハードボイルド・ワンダーランド」パートに多いそう。このコラムも面白いので、本書を手にしたらぜひ読んでみてください。
原作を書き換える!?驚きの翻訳術
本書を読んで私が最も興味深いと思ったのは、「翻訳」というものの深遠さです。
先ほども出てきた『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の英語版は、翻訳という観点から見ても大変面白い作品。
英語版のタイトルはHard-Boiled Wonderland and the End of the Worldと、「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」がなぜか逆になっています。なぜこうなったのか私にはわかりませんが、翻訳者と編集者が英語ではこうあるべきだと 判断 したのだから、英語圏の人にとってはこれがしっくりくるのでしょう。
また、この作品は、「私」を主人公とする「ハードボイルド・ワンダーランド」パートと、「僕」を主人公とする「世界の終わり」パートとが交互に 展開 されます。日本語では、「僕」と「私」とでは微妙にニュアンスが異なりますが、英語ではもちろん、どちらも“I”です。
読んでいて混乱しそうですが、 心配 はご無用。「ハードボイルド・ワンダーランド」では動詞を過去形に、「世界の終わり」では現在形にすることで、各パートの世界観や雰囲気の違いを巧みに表現しています。このあたりも、日本語で書かれた作品の世界を英語に置き換える際に、そのエッセンスを最も効果的に伝えようという翻訳者の工夫なのでしょう。
ここ数年、自動翻訳の技術がどんどん進化しているので、「いずれ翻訳者はいらなくなるのでは」という声も聞かれますが、人間を通した「翻訳」の需要は当分あると思わされます。
もう1つ、「翻訳」について興味深いエピソードが『ねじまき鳥クロニクル』の章に載っていました。
この作品の英語翻訳を担当したルービンは、2種類の英語版を用意したそう。1つは、完全に原作に沿って訳したバージョン。もう1つは、原作にあるシーンを削除したり書き換えたりして、なんと約25,000語も削減したバージョンです。そして検討の末、なんと実際に出版されたのは後者だったのです!
翻訳するときに、書き換えたり大幅に削減したりするなんて、「そんなことしていいの?」とちょっと驚きませんか?しかし、削減バージョンが出版され、英語圏の読者に受け入れられているということは、こちらの方が作品としての完成度が高いということ。
やはり、「翻訳」は、ある言語を単にほかの言語に訳しているだけではないのだなと考えさせられる話です。
やっぱり読書は楽しい!
本書を読んでいると、未読の村上作品を手に取りたくなります。何度も読んでいるという方でも、もう一度読みたくなるのではないでしょうか。
私が引かれたのは、2013年に発表された『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』です。
主人公は、「僕」や「私」ではなく、3人称の「多崎つくる」。「つくる」には、高校時代から親しくしている4人の友人がいましたが、大学2年の夏、突然彼らから拒絶されてしまいます。死を考えるほど深く傷ついた「つくる」は、36歳になり、やっと真相を知るための旅に出ます。
親しくしていた人たちから、突然疎遠にされる。日々の暮らしに紛れて次第に気にならなくなるものの、ふとした瞬間にそのときの痛みを思い出す。そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
私の大学時代のことです。私とは別のグループにいた女の子が、はたから見ても明らかに仲間外れにされていたことがありました。教室移動のときも、学食で食事をするときもひとり。うわさでは、グループ内で話し合った結果、別行動を取ることにしたという話でしたが、そんなことってあるものでしょうか。気にはなりつつも、もともとそれほど親しかったわけでもなく、また、どう声を掛けたらいいのかもわからなくて、結局彼女とは何も話さずじまいでした。
すっかり忘れていたそれらのことを、本書の「多崎つくる」の章を読んで思い出したのです。あのときは何もできなかったけれど、もしもう一度話を聞くことができたら・・・。
誰の心の中にも、こういう出来事が1つや2つはあるのではないでしょうか。普段はふたをかぶせて見えないようにしているけれど、ふたの下には深い井戸が続いていて、時折それを覗いてみたくなるのかもしれません。そしてそれは、日本人だけではないのかも。
雑誌“The New Yorker”の編集者、デボラ・トリーズマンはこう語っています。
読者たちは皆、彼が日本人作家だということに気づいていると思います。でも彼の作品には普遍性があって、言葉はだいたい直接的で言い回しもくどくないです。多くの作品は、どこを舞台にしても成り立つでしょう。彼の視点はとても個人的で、ナショナリスティックではありません。 *1恋人や友人との出会い、そしていさかいや別れ。あのときこうすればよかったのに、という後悔。それはどこの国の人にもあることなのでしょう。
私も、本書を読むうちに、昔のことを思い出したり、未読の村上作品を読みたくなったり。いろいろなことを考えてしまいました。過去を変えることはできないけれど、私たちは読書によって人の気持ちや出来事を追体験できます。
日本語にせよ英語にせよ、「やっぱり読書は楽しい!」と思いました。
まとめ
もともと村上ファンで英語力もあるという方は、英語版を読むことによってその魅力をより深く味わえるでしょう。本書は、間違いなくその助けになるはず。また、リーディング力を磨きたい、自然な英語表現に触れたいという方にとっても役立ちそうです。
そして、今まであまり村上作品にあまり興味がなかったという方にとっては、本書が新たな扉を開けてくれるかもしれません。
意外と時間のある年末年始、英語、日本語を問わずさまざまな本に触れて、自分の世界を広げてみませんか?
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