多数派であること。少数派であること。そして、外国語を学ぶ意味【茂木健一郎の言葉とコミュニケーション】

茂木健一郎さんの連載「言葉とコミュニケーション」第18回は、さまざまな意見に関する「多数派」と「少数派」の話です。

11対1の悲哀

中学生の頃、なぜか、米国の雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』の日本語版を読んでいた(そのあと、高校くらいから英語版にしたけど、最初は日本語版だった)。当時の日本は好奇心いっぱいで、『リーダーズ・ダイジェスト』日本語版というビジネスが成立していたのだ。

毎号面白い記事があったが、今でも覚えているのは、裁判所で、12人の陪審員がいて、お昼休みになって、ランチを頼むんだけど、一人だけ違うものを頼んでいる、という風刺画だった。

「チーズバーガー11個と、フィレオフィッシュ1個。コカコーラ11個と、有機栽培コーヒー1個。フライドポテト11個と、サラダ1個……」

正確には覚えていないけれども、そんな感じのキャプションがついていたように記憶する。

ランチでさえ他の人と注文が違うんだから、肝心の裁判の評決でも、その人が一人だけ違う意見を 主張する のだろうと示唆する内容。当時、ああ、面白いなあと思ったのを鮮明に記憶している。

そして、自分は、11対1の、「1」の方だと感じていた。すでに、社会的な見解については、自分が「少数派の悲哀」の方にいると感じていたのだろう。今でも変わりはしないが。

例えば、お笑いのことや、就活、入試制度など、ぼくの持論は、世の中の大勢と真逆で、少数派のことが多い。

読者の皆さんだったら、11対1の、どちら側に自分を投影するだろうか?

多数派、または少数派であるときの課題

コミュニケーションというのは、いろいろ難しいところがあるものだけれども、課題の一つは、自分が少数派になったときにどんな発話をするかということだと思う。

多数派どうしの会話は、心地よい。いろいろ説明しなくても、暗黙のうちにわかりあえる。仲間内で言葉を交わす居心地のよさがある。そのような会話は、心の潤滑油だ。

ところが、そういう場に、一人だけ、違った考えや、異なる感じ方をする人が混ざっていると、厄介だ。少数派にとっても、多数派にとっても、気を使わなくてはならないことがたくさん出てくる。

もし自分が少数派だとしたら、みんなが 前提 にしていることと違うことを、いちいち説明しなければならない。

「みなさんはそうお考えなんでしょうけれども、私はこのように考えているのです。なぜならば……」

大変である。面倒くさい。だけど、そこに表現を工夫する喜びもある。少数派でいるということは、キツイようでいて、それなりにやりがいのあることだと思う。

逆に、多数派に属しているとしたら、 とりあえず安心 感は得られる。いちいち、コミュニケーションで気を使わなくて済む。その一方で、少数派に心を配ることも、大切になってくる。政治的な正しさ、というよりも、そうでないと意見の多様性が減ってしまって、自分が損をしてしまうのだ。

肝心なことは、多数派になるか、少数派になるかは、その時々で変わるということだ。

例えば、日本人どうしでお酒を飲んでいるところに、片言しか日本語をしゃべれない外国の方が来たとする。その場では、その外国の方は言語的には少数派だ。みんな気を使って、英語を交えて話したりする。それまでの、日本人だけの会話に比べれば、面倒くさい。だけど、面白い。そんなときは、多数派として、少数派の方に気を使う立場になる。

逆に、外国に旅行したりして、現地の方のホームパーティーに招かれたりすると、立場が逆転してしまう。自分が少数派で、いろいろと頑張らなくてはならない。何しろ心細いし、気を使う。みんなが笑っているジョークが分からない。言葉が分からない場合もあるし、 前提 となっている知識や経験を共有できない場合もある。

少数派であることは、コミュニケーションを困難なものにする。しかし、だからこそ鍛えられる能力もある。育まれる人間性もある。外国語を学ぶ目的の一つは、自分を少数派の立場に置くことなの かもしれない

メジャーリーグのスターが養った鋭い感受性

イチローさんが現役引退の会見で言われていたことが心に残る。

米国に渡って、「外国人」という立場に置かれて、初めて感じたことがあったのだという。「人の心を慮(おもんぱか)ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた」というのである。

ここには大切なレッスンがあるように思う

イチローさんは、日本では大スターだった。米国に渡っても大スターだったが、文化的に、あるいは、言語的には、少数派の立場だと感じることもあったのだろう。

渡米して、イチローさんが、あの鋭い感受性の中でつかんだこと。少数派の大変さ。その経験が、もともと卓越したイチローさんの人間性をさらに磨くことにつながったのではないかと思う。

やはり、人は、時に少数派の立場に身を置くのがよい。魂の成長のためにも。

生命の「呼吸」をするには

最近の日本を見ていて気になるのは、さまざまな社会的なテーマについて、多数派の意見が形成されやすいということだ。

他の国では、例えば、保守とリベラルというように、世論がほぼ二分されるような問題でも(だからこそ、定期的に政権交代が起こるわけだけれども)、日本では、むしろ多数派と少数派という分類の方がふさわしい状況が生まれているようにも見える。

だから、日本では、保守とリベラルというよりは、本当は多数派と少数派という分類の方が適切なのではないかとさえ思える。

日本のような状況は、政治が安定化し、国が分断されないというメリットもある。一方で、多数派(に属していると思っている方々)は油断し、少数派(に属していると思っている方々)はコミュニケーションに苦労するというデメリットもあるように思う。

やはり、大切なのは、多数派と少数派の立場を行き来することではないだろうか。多数派と少数派を行き来することが、生命の「呼吸」につながる。

そのためには、「日本」という文脈を出るのがよい。日本では多数派の方も、外国では少数派になる。

安心 できるぬるま湯と、油断ならない向かい風と。その両方を行ったり来たり。そのような経験を繰り返せば、人は他人に対して本当に優しい気持ちになれるのではないかと思う。

おすすめの本

コミュニケーションにおける「アンチエイジング」をせよ。「バカの壁」があるからこそ、それを乗り越える喜びもある。日本の英語教育は、根本的な見直しが必要である。 別の世界を知る喜びがあるからこそ、外国語を学ぶ意味がある。英語のコメディを学ぶことは、広い世界へのパスポートなのだ――茂木 健一郎

デジタル時代の今だからこそ、考えるべきことは多くあります。日本語と英語……。自分でつむぐ言葉の意味をしっかりと理解し、周りの人たち、世界の人たちと幸せにつながれる方法を、脳科学者・茂木健一郎氏が提案します。

炎上論 これからのコミュニケーションと生き方 GOTCHA!新書 (アルク ソクデジBOOKS)
  • 著者: 茂木健一郎
  • 出版社: アルク
  • 発売日: 2018/04/24
  • メディア: Kindle版

茂木健一郎(もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕

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