コミュニティアート(community art)とは?「地域の芸術」?!【福祉×アートの英語最前線】

「コミュニティアート(community art)」という言葉を聞いたことはありますか?これはイギリス発祥のもので、アート(芸術)は高尚でとっつきにくいというイメージに対して、誰もが楽しみ、参加することができるアートを指します。年齢や障碍や病気にかかわらず、アートを生活に取り入れることで、人と人が良い関係を築き、誰もが生きやすい社会になる、という考え方から生まれ、教育、福祉、医療、町づくりなどに生かされています。コミュニティアートの中のコミュニティダンスなど舞踊を専門とする研究者の稲田奈緒美さんが、詳しく紹介します。

アーティストと観客が分断されている「high art」

芸術の姿が近年変わりつつある。美術、音楽、舞踊、演劇などの芸術を創る側、届ける側、それを受け取る側、またそれが起こる場が変わりつつあるのだ。

かつて 「芸術」といえば「high art」 をまず思い浮かべる人が多かっただろう。天才的な作曲家、演奏家、画家、彫刻家、舞踊家、振付家、俳優、演出家などが、普通の人には創造できない、素晴らしい作品を創り、それを美術館に展示したり、音楽ホールで演奏したり、劇場で踊ったり、演じたりする。それを普通の人である鑑賞者、観客が見たり聞いたりする。 限られたアーティストによって創られ、観客(audience)によって享受 されてきた。

芸術の観客ではなく参加者になる「community art」

「high art」としての芸術の在り方がイギリスにおいて変わってきたのは、1960年代からだ。芸術を受け取るばかりだった人々、または「high art」としての芸術には縁のなかった人々が、自ら創り、表現し、演じる側に回るようになってきた。つまり、椅子に座って静かに鑑賞していた 観客から、作品の創造プロセスに関わっていく参加者(participant)に変わっていった のだ。いわば芸術の民主化である。

それらは「community art」と呼ばれ、その背景には第2次世界大戦後のコミュニティの衰退と、それを再び活性化しようとする思いがあった。ただし、これらは「high art」とは区別されていた。

このような変化は、芸術を支援するイギリスのアーツカウンシル(Arts Council、芸術評議会)の標語の変化とも呼応する。限られた芸術団体による限られた観客のための「excellent」な芸術から、誰でも創り、参加し、享受できる「arts for all」へと変わっていったのである。このような、 全ての人のためのアートへ、という変化は、税金などの公的資金を用いて芸術を支援する際には、特に求められる ことだった。

「社会的包摂(social inclusion)」の考え方

さらに近年では、より積極的に 芸術の力を社会課題の解決のために用いよう という流れが、アートを創る側にもそれを支援する側にも強くなってきた。社会課題はさまざまにあるものの、中でも重視されるようになったのが、社会から「exclude(排除)」された人を「include(包含)」しようという、 社会的包摂(social inclusion ) である。

例えば筆者が研究対象とし、また自ら関わってきた コミュニティダンス(community dance) は、「community art」の流れから生まれたものであるが、1990年代ごろからイギリス社会に広がっていった。サッチャー政権の新自由主義的政策によって分断が進み、つまりは社会からexcludeされた 移民、障碍者、高齢者、ホームレス、非行少年 などさまざまな人を、再び社会の中にincludeしようというプロジェクトが、劇場だけでなく福祉施設や地域の文化センター、学校、病院、刑務所などで催されるようになってきたのだ。

社会からexcludeされた人々が、ダンスを通して人々とコミュニケーションを取り、一緒に体を動かしたり創造したりする楽しさや喜びを分かち合い、その達成感によって自信を取り戻して、 自己肯定感 を高めること。また、ダンスのワークショップや定期的なクラスに参加しようと、 健康的な食生活や社会ルールに沿った生活 を取り戻すこと。こういったことを通して、再び社会にincludeされることを目指した。

「社会的結合(social cohesion)」という新しい概念

人々をincludeしようとするのは、もちろん素晴らしいことだ。しかし、私としては、include / exclude という線引き、またincludeされているマジョリティがexcludeされているマイノリティを、自分たちの領域の内側に入れてあげる、というなんとなく上から目線のニュアンスに違和感を抱いてもいた。それは、ベトナム生まれでアメリカで活躍している映画監督・詩人・作曲家のトリン・T・ミンハの『女性・ネイティヴ・他者――ポストコロニアリズムとフェミニズム』などの著作から、境界について、また境界をずらすことについて、考える機会を得ていたからだと思う。誰かと誰かを分ける 境界は、何度引き直しても誰かを内側に含み、また誰かを外側に追いやってしまう のだ。

そのような違和感を解消してくれる言葉が、やがて使用されるようになった。「social cohesion」という言葉、概念だ。「cohesion」という言葉を「 英辞郎 on the WEB1 で検索すると、「1.〔物質の〕結合、密着」「2.〔人や集団の〕まとまり、団結」「3.《物理》〔分子の〕凝集性」「4.《植物》合着◆アブラナの雄しべなどのように、複数の同じ器官が癒着していること」とある。社会の中で内と外を隔てる線を何度も引き直すのではなく、 人や物が密集して結び付いている* というイメージだ。なるほど、こちらの方がしっくりくる。境界は曖昧で凸凹しているし、まとまりにも濃淡がある。こちらの方がより自由度が高く、緩やかな結び付きを目指せるような気がする。

近年では、イギリスのアーツカウンシルのリポートなどでも、「social inclusion」よりも「social cohesion」の方が多用されている場合がある。アートは、人々を分断し、内側と外側に隔てるのではなく、一人一人の多様な個性や考え、思いを多面的に生かしていくもの、たった一つの意味ではなく多義的な意味を喚起するものだろう。 誰でも、どんな人でも、どこでも、いつでも、アートを創ったり、アート活動に参加 したりすることで、アートを享受できるような社会、誰でも、どんな人でも、自由にくっついたり、離れたり、密集したり、飛び出すことができるような社会にするために、アートの力を生かしていけるといい。

コミュニティダンスについて学べる「コミュニティダンス・ファシリテーター養成スクール」

NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)が開催する「コミュニティダンス・ファシリテーター養成スクール」は、コミュニティダンスのファシリテーションをする人のための基礎講座です。ダンス経験や年齢、障碍や病気の有無などに関係なく、誰もが参加できるダンスの場を作るための実践的な方法を学びます。

稲田奈緒美(いなた なおみ)
稲田奈緒美(いなた なおみ)

早稲田大学第一文学部卒業後、働きながら踊っていたが、舞踊を研究するため同大学院に進む。博士(文学)。バレエ、コンテンポラリーダンス、舞踏、コミュニティダンスなど幅広いダンスの理論と実践を結ぶ教育、研究に携わる。桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修准教授。

トップ画像: Karolina Grabowska による Pixabay からの画像
*1 :「英辞郎」は道端早知子氏の登録商標です。

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