さまざまな分野で活躍する方々に、そんな学びの体験を伺います。今回ご登場いただくのは、昨年12月に初の歌集『まだまだです』(KADOKAWA)を出版したタレントのカン・ハンナさん。インタビュー前編では、日本語の習得から短歌との出会いまでをお話しいただきます。
目次
カン・ハンナ
2011年に来日。横浜国立大学大学院都市イノベーション学府博士後期課程に在学中。2016年から3年連続で角川短歌賞に入選。Eテレ『NHK 短歌』にレギュラー出演中。
「誰よりも優しく賢く生んだのに寂しくさせる子」母がまた言う
韓国に「10本の指をかんで痛くない指はない」ということわざがあります。子どもが何人いても、自分の子でかわいくない子は一人もいないという意味です。私は3人姉妹の末っ子です。3人とも痛い。でも、私がいちばん痛い(=かわいい)子だそうです。
でも、私は母に心配をかけ続けてきました。目の届かない日本に住み、今日一日、何をしているのかもわからない。「日本人があなたを認めてくれると思う?」と母は心配します。以前、私は母がそんな話をするのを聞くのが嫌でした。でも今は、こういう母もいとおしく見える。そんな気持ちがこもった歌です。
「古き良き」が守られている日本を肌で感じました
旅行で初めて日本にきたころ、私はひらがながやっと読めるレベルでした。でも、日本語を勉強する以前に日本の魅力を見つけられたことは大きかったです。日本の奥深さ、文化や人の考え方を肌で感じることができました。
日本の文化で最初に興味を持ったのは、古き良きを守る精神でした。昔ながらの伝統を守るのは簡単なことではありません。韓国にも素晴らしい文化は多くありますが、急成長した国はそうした伝統を失ってしまいがちです。日本に来たときに感じたのは、その「古き良き」が日常のあちこちで守られていることです。日本人はなぜ昔ながらのことを守るんだろう、守ることに苦労はないんだろうか。そこから日本のことをさらに知りたい気持ちがわいて、日本語をマスターしようと思ったんです。
もう一つ印象に残ったのは、謙遜の気持ちです。お客さんを大事にするおもてなしの心です。そんな日本人の生き方や考え方に触れるたびに、私がまったく知らない何かがあると思いました。
最初の「古き良き」にもつながる話ですが、「続ける力」に尊敬を抱きます。私は短歌を始めてまだ5年くらいしかたっていませんが、50年以上続けている人がたくさんいます。一つのことを長く続けるというのは、本当に尊敬できることです。
手段としての言葉以上のものを身に付けるために
日本語の習得は苦労だらけでした。単語や文法を覚えて、単に言葉として発するだけであれば、割と早くできるようになりました。でも、そこから先が大変でした。韓国人として韓国で生まれ育ったため、考え方や価値観はすべて韓国式のまま。思ったことをストレートに表現して周りの人を驚かせてしまうこともありました。日本人と同じ感覚で日本語を話すことは本当に難しかったです。
日本に来たころ、在日30年くらいになる韓国の方に教えられたことがあります。それは「最初の3年から5年、日本語の勉強をどこまであきらめずに頑張るかで、あなたの言葉に深みが出てくる」ということです。会話程度なら1年もたたずに何となくできるようになります。そうすると、たいていはその先、言葉の勉強を続ける必要を感じなくなるんです。でも、そこで止めずにさらに勉強することで、手段としての言葉以上のものが身に付きます。
日本語の勉強では、映画やテレビドラマの台本を使っていました。役になり切ってせりふをずっと練習していました。例えば「お疲れさまです」というあいさつは韓国にはありません。そんな表現が違和感なく、ぱっと自然に口から出てくるように慣れることが大事です。だから、言葉一つを覚えるのではなく、台本で描かれている場面を丸ごと覚えて練習していました。
日本語の魅力・短歌の魅力
短歌と出会ったのは、新海誠監督の『言の葉の庭』というアニメーション映画を通じてです。映画の中で万葉集の一首が読まれるんですが、たった31文字に凝縮された日本語の世界に心を動かされました。そんなときに、NHKの短歌番組への出演の話を頂きました。そのときは、まさか自分が歌人になるとは思いもしませんでしたが、日本の奥深さをさらに知りたいと思ったのは、短歌との出会いがあったからです。
日本語には、例えば「食べる」という表現だけを見ても、「食む(はむ)」「食う」「すする」「ほおばる」などさまざまな言い方があります。もちろん、「食べる」だけで終わらせることもできますが、繊細な表現が求められる短歌に取り組むために、そんな違いをしっかり理解できるように勉強し続けました。
初めて出演したNHKの短歌の番組(「短歌de胸キュン」に2014年から2017年まで出演)は、レギュラーになっても短歌の出来が良くないと翌月は出演できないんです。7人くらいいるうちの4人しか残らない。この番組はNHK WORLD-JAPANでも放送されていて、韓国でも見ることができました。母が見ているので絶対に落ちたくなくて頑張っていました。
角川短歌賞に応募したのは、番組に出演するようになって2年たった2016年のことです。応募した当初は受賞するとは夢にも思っていませんでした。大事だったのは結果ではなくて挑戦すること。挑戦した人にだけ見える風景がきっとあるはずで、私はそれを見てみたいと思ったのです。
インタビュー後編はこちら
私らしく生きていくための短歌。
詠むことで見つめなおす日本での暮らし。
運命のように出会った短歌が私を変えた。
私よりも私らしい本当の私が見えてくる。
――『歌集 まだまだです』帯より
韓国から日本にやってきて8年。日本人は持ち得ない、ハンナさん自身の視点で詠う、心温まる31文字の短歌の世界。
取材・写真・構成:山本高裕(GOTCHA!編集部)