ダメ出し文化の日本人がホメ出し文化のフランス人に褒められ続けたらどうなる?

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。第7回は、演劇など舞台芸術の世界でも顕著な「日本のダメ出し文化とラテン系のホメ出し文化」です。

日本では舞台芸術界も「叱る文化」

EJOをお読みのみなさん、こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人と申します。

当初は短期集中を予定していた本連載も今回で7回目。これもひとえにみなさんがSNSを中心に好意的なご感想を広めてくださっているおかげです。「日本でいちばん褒められたい翻訳家・通訳者」である私にとってこんなにうれしいことはありません。

私がいつも褒められたがっている理由が「フランス語を始めるまでの20年間で一生分叱られたから」だという点については 第5回 でもすこし触れましたが、人間というものは程度の差こそあれ褒められたい生きものだと思います。あんまり褒められるのはかえって落ち着かなくて苦手、という人でも、自分の努力やその成果に見合った肯定的な評価がまったく得られず落ち度ばかり叱責されるような環境では、仕事であれ勉強であれ前向きに 取り組み 続けるのが難しくなってしまうはずです。

しかし、残念ながら日本では学校でも職場でも(あるいは家庭でも?)まだまだ「叱ってくれる人はありがたいと思え」「人間は叩(たた)かれて叩かれて強くなる」式の「叱る文化」が優勢な気がします。

褒めてくれる人も叱ってくれる人と同じくらいありがたいはずだし、叩かれて強くなる部分があるとしても無闇(むやみ)に叩く人の個体数は減らしておくに越したことはないと思うのですが、そういう発想を口にすると特に中高年世代から「今の若い子は甘えてる」とか「そんなことじゃ実社会でやっていけない」みたいな怨念・・・違った(違わないけど)「指導」の餌食になりがちです。

「今の若い子」ってアンタもほんの数十年前は「若い子」だったでしょうが。オレたちどんなに短く見積もってもざっと何千年も前から人類やってんのにそんな数十年 単位 で劇的に人間の質が変わるとか劣るとか本気で思ってるんすか?と言い返したいところをぐっとこらえてやり過ごさなければいけないのが大人のつらいところですがむしろ全力で言い返す系の大人なので気づいたらフリーの語学屋になっていましたはっはっは。

さて、意外に思う人もいるかもしれませんが、そんな「叱る文化」は、舞台芸術の世界にも存在します。それどころか演劇などその権化とすら言えるかもしれません。キーワードは「ダメ出し」です。

そもそも 「ダメ出し」ってなんだ?"> そもそも 「ダメ出し」ってなんだ?

だめだし【駄目出し】

他人の行為や仕事などに対して、批判を行なったり、 改善 を促したりすること。[元来は演劇・芸能の分野で、演出者が演技や台本などの悪い点について注意すること]

『大辞林』第三版(三省堂)

「ダメ出し」という言葉がこれほど広く人口に膾炙(かいしゃ)し日常的な場面でも聞かれるようになったのは、おそらく1990年代から2000年代にかけて、テレビが番組の演出意図や芸人同士の交友関係といったそれまでは秘匿されていた「裏側」までもネタとして積極的に消費する手法が定着し、多くの視聴者の心に小さなナンシー関 *1 が住むようになったころからでしょう。しかし、辞書にも記されているとおりこれは本来は演劇、芸能分野における作品づくりの現場で日々使われる用語でした。

具体的に は誰が誰に「ダメ」を出すのかというと、基本的には「演出家 *2 →俳優(スタッフ)」と決まっています。

とりわけ俳優同士は演技者として対等であり、どんなにキャリアや知名度の差があっても同じ座組み 3 内で俳優が俳優に「ダメ出し」をするべきではありません(と私は思っています) 4 。一緒に仕事をしていても大切にしている価値観は俳優ごとに違って当たり前ですし、ベテランの考えがいつも正しいわけでもなければ若者の発想が常に柔軟であるとも限らないわけで、全体を見渡しながら演出意図に沿って適切なダメを出す権利はあくまでも演出家に一任されているのです。

加えて「ダメ出し」には対義語がありません。「ホメ出し」という言葉も存在しないわけではないのですが、これは極めて限定的な状況下で、いわゆるかっこ付きで用いられる表現にとどまっています 5 。また類義語もこれといって存在しないため、「ダメ出し」という響きのネガティブさを嫌って避けている演劇人(一定数存在する)には、より中立的な表現として「ノーツ/notes( 指摘 、留意点)」 6 と言う人が多いようです。発想自体がなければそれを形容する語彙も生まれようがないので英語で代用するしかない。なんとも象徴的な話ですが、ともあれ多くの演劇創作の現場では今日も、失敗すればダメを出され、成功すればスルーされる(ダメを出されない≒うまくいっている証拠)光景が繰り広げられているのでした。

褒められたい星人と演劇通訳

ところでみなさん、そんな徹頭徹尾ダメ出しだらけの業界で、褒められたい星から来た私のような生きものがよくめげずに働けていると思いませんか?実はこれには(芸術が好きとか楽しいとかいう 前提 条件とは別に)2つの大きな理由があります。

理由その1:通訳さんとはお礼を言ってもらえる生きものである

第一に、通訳という仕事が演劇の現場で担っているポジションの独自性があります。

例えばフランス人チームと日本人チームが共同で作品をつくる場合、各セクション(演出家、俳優、美術家、舞台機構、照明、音響、衣装、制作等々)の人々が日々、横断的に綿密なやりとりを重ねながら 作業 を進めるわけですが、これに対して通訳者は(よほど大きな会場での公演でもなければ 7 )基本的にひとりしかいないので、広い劇場内を走り回って全方向にフル回転で対応しなければ間に合いません。仕込み 8 のときなどあちこちから「ぴらのさーん」「ちょっとお願いしまーす」と呼ばれっぱなしの引っ張りだこです。私生活でもこんなにモテる人生を送りたかったです。なんでもないです。泣いてないです。

他方、通訳さんに対してはみなさんやはりどこか「他所(よそ)から来て助けてくれている人」という感覚があるようで、いつもとても丁寧に「すみません、ちょっと通訳お願いします」と頼んでくれて、最後は「ありがとうございました」とお礼まで言ってくれるのです。

思えばこれは素敵(すてき)に奇妙な話です。演出家から1年目の新人スタッフまでみんな仕事でそこにいるのに、つまり労働者として対等に身を置いているはずなのに、通訳さんはお礼を言ってもらえる機会がほかのセクションと比べて明らかに多い。そして人間は自分のしたことにお礼を言ってもらえると素直にうれしいし、それだけで報われた、幸せな気持ちになるもの。自(おの)ずと自分もお礼とおわびはマメに口にするようにしようという気持ちになれます。仕事ですから大変なことはたくさんありますが、現場で失礼な扱いを受けて気分を害した経験はあまり記憶にないので、やっぱり劇場には心優しい人が多いんじゃないかなあ。みんなありがとう。

理由その2:ラテンは褒める

2つ目の理由は、私が主にフランス人(たまーにイタリア人)アーティストに付いて通訳しているということです。

そう、奴(やつ)らは、褒める。褒めまくる。俳優の演技であれスタッフワークであれ、感心したり感動したりすると言葉をはじめ身振り手振りを尽くして褒めることに惜しみない情熱を注ぐ人が圧倒的に多いのです。ただでさえ日本人に比べると感情表現 *9 のずっと豊かな人たちですから、それが創作現場のアーティストとなれば推して知るべし、でしょう。

日ごろ褒められたい褒められたいと騒いでばかりの私(こうして 改めて 書いてみるとさすがに自分でもちょっとどうかと思う)ですが、他人が褒められているのを見るというのもたいへん気持ちがいいものです。いかに私のような主観にまみれた通訳(これはすごくどうかと思うけど反省はしない)でもいちおう通訳をする以上は憑座(よりまし)として自己の一部を明け渡す側面はあるわけで、ポジティブな言葉をたくさん訳していると自分の気持ちまで明るくなってくるんですね。自分の口から出る言葉が、たとえ他人に向けられたものであってもいかに自分自身の精神衛生を左右しているのか、こういうときに実感します。

もちろん、情熱の嵐はダメを出すときにも同じ温度で襲い掛かってきます。シーンの最中でも大きな声を上げて割って入ったり(びっくりするぞ)、演出家席にじっとしていられずいちいち舞台へ降りて行ったり(めんどくさいぞ)、代わりに自分でやってみせたり(イラっとするぞ)と、いつのまにか稽古場で演出家のワンマンショーが開催されることも珍しくありません。静かにダメを出す演出家も中にはいますが、一見するとトーンが変わらないようでも語彙や一文の長さや息遣いといった統語全体にみられるグルーヴの変化で興奮が伝わってきます。そうした微細な変化をどこまで読み取り、訳に反映させるか(あるいは、させないか)も通訳の腕の見せ所といっていいでしょう。

ただし 、興奮タイプにも抑制タイプにも共通してみられる特徴があります。それは、たとえ「ダメ」を出すときでも、多くの場合「ホメ」から入るということ。「今のはここがよかった。AをBしてCにつなげたいという意図は伝わったし、それ自体は極めて適切だ。ただ、問題は・・・」とか「全体はよかったんだけど最後のやりとりだけまだうまくいっていないね」という具合に、いったん(多少無理にでも)褒めてから 改善 すべき点を伝える人がとても多いのです。また、必ずしも律儀に「ホメ→ダメ」の順ではなくとも、 厳しい ダメをガンガン出しまくりつつ同じくらいの熱量でホメも発揮して帳尻を合わせるタイプの人もいます。

日本人相手に仕事をする場合は相手が外国人で勝手が違うので気を遣ってたくさん褒める、というところもゼロではないとは思いますが、総じてフランス人の演出家が褒めるという行為を大切にしているのは間違いありません。やはり「内心で良いと思っていても言葉にしなければ伝わらないし、伝わらなければ思っていないも同然」というメンタリティーの産物なのでしょう。

余談(という概念がいまさらこのエッセイにおいて成立するのか?)ですが、以前、当時コメディ・フランセーズに 所属 していたフランス人女優と酒席を共にした折、日本でのダメ出し風景の話をすると目を丸くして驚き、「私はいつでも褒めてほしいな。だって褒めてもらえないと・・・悲しくなるもん。こんなに大変な仕事をしてるのに」と言っていました。おお同志よ・・・!

この人は無垢で少女のような少年のような、一緒にいても一緒にいないような、並んで歩いていても彼女だけすこし浮いているような、それでいて舞台上では怒髪天を突く修羅と見まごう表情もみせる、まさにアーティストの結晶と呼ぶべき生命体なので、極めてストイックな仕事ぶりで知られる傑物 *10 であるからこそ他人に褒められていないとバランスがとれないの かもしれない な、とふと思ったのを覚えています。そうです、平野だっていつもおちゃらけているけれど実はストイックでデリケートでガラスのハートをもつアーティスティックなトランスレーターだからエブリバディーはハートウォーミングなコミュニケーションをプリーズよ(突然どうした)。

あれ?成り行きでルー大柴化(どんな成り行きだ)したら片仮名でゲシュタルト崩壊してなんの話だかわからなくなったぞ。あ、そうだ、ラテンはダメ出しするにもホメ出しから入る、という話でしたね。よかった思い出して。そういうわけで、同じ演劇でも日本とフランスではダメ出し(フランス語でもnotesと言います)の風景がぜんぜん違うのでした。

もしも日本人俳優がフランス人演出家に褒められ続けたら

さて、ここまで日本人とフランス人のダメ出し風景を比較してきましたが、ここでひとつみなさんにクイズです。

ダメ出し文化の日本人俳優がホメ出し文化のフランス人演出家と仕事をして毎日のように褒められ続けたら、いったいどういう反応になると思いますか?次の3つの中から選んでください。

1番:「褒めてくれるのサイコー!(歓喜)」

2番:「なんでこんなに褒めてくれるんだろう・・・?(疑心暗鬼)」

3番:「フランス人ていちいちリアクション大きいよねー(不惑)」

さあ、どれでしょうか。

正解は・・・

4番:「そういうのいいからさっさとダメ出してくんない?(イラッ)」です!!

選択肢を3番まで示しておいて正解は4番でーすという昭和過ぎるボケにむしろ読者の方がイラッとしている現状を直視せずに話を進めますが(決して反省しないスタイル)、すくなくとも私が今まで一緒に仕事をしてきた俳優さんに最も顕著だったのはこの反応でした。

いえ、もちろん褒められること自体は日本の俳優さんだってうれしいに決まっています。どうしてもうまくいかず停滞していたシーンに初めて手応えを得られたときに「それ!今のよかった!」と言われれば奮い立つでしょうし、緊張の初日をどうにか無事に乗り切った直後に「いい初日だったよ!」と言われれば苦しかった試行錯誤の日々もすべて報われたような気持ちになるはず。そのうえ日本人よりも明確に伝わる言葉で表現してくれますから、実に健全なコミュニケーションが成立します。

だがしかし、問題は奴らが「褒め過ぎる」こと。

過ぎたるは及ばざるが如(ごと)し、とは誠によく言ったもので、いくら前向きで好意的な言葉でも浴び続けていると次第に俳優の中で喜びが飽和し、褒めのインフレ状態に突入します。 そもそも 日本のダメ出し文化で成長してきた俳優さんはマゾヒ・・・違った(違わない気もする)ストイックに自分を追い込む人がとても多く、「よりよくするにはどうすればいいかどんどん 指摘 してほしい(≒ダメなところを教えてほしい)」という期待が大きい。これに対して「褒める」というのは基本的には相手の現状を肯定する行為ですから、あまりそればかり続いてしまうと、気持ちや言葉自体はうれしくても「 具体的な 収穫に乏しい」「それよりもっとダメの方を出してほしい」という気持ちが強くなってゆくのです。

しかも、当然ですが褒めるにせよダメを出すにせよいちいち通訳が入ります。稽古場で演出家の言うことを逐一訳出してしまうと単純計算でも倍、日本語とフランス語のように言語系統の遠く隔たった言葉 *11 だと実際にはそれ以上の時間がかかり実質的な稽古時間がどんどん短くなってしまうため、こちらも削れるところは極力削って訳そうと努めますが、あまり削り過ぎて演出家の方の不信を買ってしまっても本末転倒なのが難しいところ。かくして、最終的には「大して喜ばれないとわかっている褒め言葉を職務として通訳する人vs.大してうれしくもない褒め言葉を職務として傾聴する人」という誰も得しない構図が発生することになります。なんてこった・・・。

しかしそれでも、全体として順調に進んでいる現場であればさして問題はありません。せいぜい俳優さんが(褒めるの長いなー。そんなに褒めてくれなくてもいいから早く 先に 進もうよー)と苦笑いしながら待つ程度です。

真に大変なのは、稽古が難航しているとき。

とりわけ新作のクリエーション(と、英語で言うことが多いです)過程では、必ずと言っていいほど停滞期が訪れます。どうやってもうまくいかない、なにをやってもどこか違う気がする、手応えが得られない、という感覚が演出家と俳優の双方に付きまとう中で無慈悲に過ぎてゆく時間。刻一刻と迫りくる初日。座組み全体に滞留する行き場のない焦燥感。

ところがそんな窮地に晒(さら)されても、ラテンの演出家が「褒め」を放棄することはまずありません。絶対量こそ減るものの、折に触れてマメに褒め称(たた)えます。一方で俳優はといえば、とにかくうまくいっていないところをどんどん繰り返し稽古したいのに隙あらば熱くて長いホメ(≒ほぼ時間の無駄)もしくは自分がいかにその作品に深く思い入れているかというポエム(=完全なる時間の無駄)を聞かされ、ますますテンポは狂うし身体は冷えるしで、(人にもよりますが)だんだんイライラし始めてしまうのです。

みなさんにわかりますか?

そんな状況下でひたすら褒め言葉を通訳する人間の気持ちが!!

フランスの演出家といえば、ただでさえ雄弁さに至上の価値を見いだしているフランス人の中でも際立ってかっこよくしゃべりたい生きものです。いついかなるときでも他人より気の利いた修辞でマウントをもぎとろうと牙を研いでいるような連中が手を替え品を替え褒めちぎる様子を、褒められている当人からの(だーかーらー!そんなに褒めなくていいからもっと 具体的な ダメを出せよ!明確なビジョンがないならとにかくどんどん稽古させろや!!)という視線をひしひしと感じながら訳し続けるカオス。向こうも懸命に辛抱しているのでしょうが、こっちが必死に褒め言葉を選んでいる目の前で柔軟体操まで始める俳優までいたりして、まさに褒めのハイパーインフレです。

そしてそんなロミオとジュリエットも真っ青のすれ違いっぷりが最高潮に達するのが、難航している時期の「通し」 *12 の後。日本では、通しの後は休憩を挟んで冒頭のシーンから順にどんどんダメを出していくのが一般的で、その流れ自体はフランスも同じなのですが、どんなに細かい「ダメ」も聞き漏らさず 改善 のヒントにしようと身構えている俳優さんたち(台本やノートにメモを取る人もたくさんいます。みんなまじめ!)に対し、

演出家「サトシ(仮名)はあそこのシーンをこうして、こうしてこうしてたでしょ?」

サトシ「うんうん」

演出家「ああするとこれこれこういう流れになるよね?」

サトシ「うんうん」

演出家「そうするとシーンの見え方がかくかくしかじかに限定されるわけだ」

サトシ「うんうん」

演出家「そこが実によかったよ!!!」

サトシ「よかったんかい(ズコー)!!!!」

という誰も意図していないオーガニックな漫才が繰り広げられます。

また、このサトシ(仮名)のようにずっこけてくれればまだいいのですが、本格的に追い詰められている俳優さんの場合、

演出家「最近ちょっと焦っているみたいだね、オリザ(仮名)」

オリザ「はい。いまいち手応えがないっていうか、自分がどう見えているのかぜんぜんわからなくて」

演出家「そうか。つらそうなのは見ていてわかる」

オリザ「そうなんです・・・どうすればいいんでしょうか?」

演出家「あのね、よく聞いて」

オリザ「はい」

演出家「君ほどプロフェッショナルな俳優はいない!ほかの誰とも違う天性の存在感がある!君らしくダイナミックにやれば大丈夫!」

オリザ「結局どうすりゃいいのかさっぱりわかんねえよ!(怒)」

のように両者の思惑が噛(か)み合わず、最悪の場合どんどんこじれてゆくことすらありえます。やりとりがあまりに長時間に及び閉塞(へいそく)してくると演出家に対する苛(いら)立ちや不信感が通訳者に転移する場合もあるので、そういうときはこちらも必死に自分の心を守りながらなんとか通訳を続けるしかないのですが、正直、うっかり演出家のことも俳優のことも嫌いになりそうな瞬間も・・・ならないけどね!こっちもプロだからね!!

ただ、最近では私もそれなりにキャリアを重ねて(ますます)ずうずうしくなってきたので、「えーと、今からしばらく褒めまーす」とか「まずホメのパートからいきますんで、ちょっと長くなりますが よろしく 」などと前置きしたうえで訳すこともあります。緊張状態に置かれている人の心はとかく想定外の刺激に弱いもの。ほんの一言添えてガス抜きしておくだけでもぐっとストレスが低減されるようです。

このように、俳優さんが演出家の発話パターンに慣れ、自分なりに集中力を調整しながら聞けるようになるための手助けをするのも、演劇という、人と人とが長期間にわたり密接かつ全人格的に関わり合う分野で働く通訳者には 有効 なスキルなのではないかと思っています。

ともあれ、「褒める」というこのうえなく肯定的な行為も文化や習慣、時と場合が変われば不信や苛立ちの種にすらなりうるという驚きの事実を身をもって体験した私は、おかげで大人の階段をまたひとつ、踏みしめるようにして上ったのでありました。

世界でいちばん褒められたい通訳が唯一苦手とする褒めとは?

ところで、常日頃から隙あらば褒められたいと騒いでいる私にも、実はたったひとつだけ苦手な「褒め」があります。

それは「通訳をしている最中に不意を突いて相手から自分の通訳を褒められたとき」です。

「えっ?そんなのいちばんうれしいんじゃないの?」「むしろ大好物でしょ?」と思ったあなた!さてはこの連載の愛読者ですね。むしろ note 時代から読んでくださってますね?実に天晴(あっぱ)れな心がけです。ぜひともその調子で平野の訳書も買い占めて衆生に配り歩いては日々の徳を積むがよい(うそです図書館でもいいです)。

しかしだな、親愛なる読者諸君。よく考えてみたまえ。緊迫した交渉や込み入った段取りを訳すのに全神経を集中している真っ最中に、突然「いやあ、それにしても素晴らしい通訳ぶりですね!語彙が豊かだし表現の幅も広いし実に洗練されたフランス語だ。そんじょそこらのフランス人より知的なフランス語ですよ。発音にも一切なまりがないし。もしかしてフランスで育ったんですか?」 *13 とか、それはもうたっぷりこってり褒めてくれるわけですよ。もちろん聞いている日本人の方はなんのことやらわかりませんから、ここぞとばかりたっぷりこってり訳出しない手はありません。こんなに頑張っているんだしむしろ5割増しくらいに景気良く粉飾通訳して凄(すご)腕ぶりを好き放題アピールして 今後の 依頼につなげたっていいはずです(※たぶんダメです)。

ところがそんなとき、オレ様の口から出る言葉ときたら・・・

「いっいまね!えーと、褒められた!すごく!すごく褒められましたから!通!すごいって!」

完全に慌ててるし。

焦って日本語まで下手になって「すごい」しか言ってないし。

むしろ勢いで仕事相手にタメ口がまざってるし。

こんな悲劇を避けるために、全通訳さんを代表して言わせてもらいますとか書くと絶対にいろんな人から叱られるので果てしなく個人的なお願いを記します!フランス人であれ日本人であれせっかく褒めてくれるなら落ち着いた状況で心ゆくまで褒めてほしい!何度でも読み返せるから文書でもうれしい!あるいはSNSで惜しみなく拡散してくれたってかまわない!でもな、頼むからラジオの収録中とかオンライン対談中とか記者会見の壇上とかで突然褒め殺しにしないでほしい!それはアレだ、いわば褒めのテロリズムだ!褒め「殺し」だけに!巧(うま)い!また褒められちゃう!

というわけでよい読者のみなさん、じっくりたっぷり心ゆくまで落ち着いて読める称賛の言葉で埋め尽くされたお手紙、Eメール、ファックス、電報、暗号、矢文、狼煙(のろし)その他の 受付 はEJOの平野ファンレター担当部署まで送らないでくださいね!(ていうかそんな部署はない)

平野暁人さんの本「EJ新書」

人気連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」は、電子書籍のEJ新書『元劣等生が褒められ好きの通訳・翻訳家になって考えたこと』で読めます!書き下ろしの章「高い言語能力(日本語力)を成長過程でどう獲得したのか?」も必読です。

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  • 作者: ▼ENGLISH JOURNAL ONLIN連載は本書刊行後も継続 ej.alc.co.jp
    *1 :天才。

    *2 :演出家がどんな仕事をする人かよくご存じない方は、本連載の 第3回 をお読みくださいね!

    *3 :一緒に公演を行うチーム、グループのこと。

    *4 :「長時間正座するときはこういう風に座れば足が痺(しび)れないよ」のように純粋に技術的なアドバイスであればこの限りではありません。

    *5 :例:「今日はやたら演出家の機嫌がよくて、ダメ出しっていうよりなんか『ホメ出し』みたいな感じだったわ~」

    *6 : ただし 、中立的な語彙を使う演出家がホメとダメを半々に出すとは限りません。ていうか、だいたいダメしか出しません。矛盾してたっていいじゃないか。人間だもの。あきを。

    *7 :世界最大規模であるアヴィニョン演劇祭の石切場(1000人強)や法王庁(2000人強)クラスの会場ともなると、常時2、3人の通訳者が現場に待機していました。 ちなみに 平野は演出家である宮城聰さんの専属通訳として取材や講演などの通訳を担当しまして、そろそろお気づきかとは思いますがこの「注7」の主な目的は自慢です。えへん。

    *8 :舞台美術や照明、音響などの設置 作業

    *9 :「感情」自体が日本人より豊かなわけではなく、あくまでも「表現」の度合いの話です。 念のため

    *10 : ちなみに 彼女は数年後、フランス演劇大賞(Palmares du theatre)の最優秀女優賞(Prix de la meilleure comedienne)を受賞して、いよいよ押しも押されもせぬ大女優となりました。

    *11 :フランス語とイタリア語、あるいは日本語と韓国語のように構造の酷似した言語間であれば訳出にかかる時間も格段に短くなります。

    *12 :「通し稽古」の略。作品を冒頭部分から最後まで通して(止めずに)演じる稽古を指します。演劇の創作過程においては1回目の「通し」が最初の山場となります。なお、衣装は着るとは限りません。これに対し、衣装はもちろん開演時間や前説なども含めすべてを本番とまったく同じように行うことを「ゲネプロ」と呼びます。

    *13 :お気づきかと思いますがどさくさにまぎれてまた自慢をぶち込みました。許せ。

    平野暁人(ひらの あきひと) 翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛けるほか、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『 隣人ヒトラー 』(岩波書店)、『 「ひとりではいられない」症候群 』(講談社)など。
    Twitter: @aki_traducteur

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