翻訳と短歌の不思議ですてきな関係:翻訳家はなぜ歌人になるのか?

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。第5回は、「翻訳家であり歌人でもある」ことがテーマです。

翻訳と短歌

EJOをお読みのみなさん、こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人と申します。

蒸し暑くも肌寒いという梅雨のお手本のような鬱陶(うっとう)しさが続く今日このごろ、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

季語にも「梅雨寒」という言葉があるくらいですし、これもまた雅趣なり、と鷹揚(おうよう)に構えてやり過ごすのがいちばんとは知りつつも、1年の半分は夏でもいいと思っている私のような人間にはやはり試練の季節です(もっとも、本稿が掲載されるころにはすでに獰猛[どうもう]な夏の太陽がウイルスに負けじと幅を利かせているかもしれませんね)。

ところで、季語といえば俳句でおなじみですが、実はわたくし、趣味で短歌の方をやっております。「の方」と言っても決して「お釣りの方が83円になります」式のいわゆるバイト敬語的婉曲(えんきょく)表現ではなく、「2つある短詩型文学のうちの俳句ではない方」という意味での歴とした「の方」であり、ついでに言うと幾分、自虐的な含意もこもっています。

なにしろ俳句と短歌では知名度の差が歴然。フランスやイタリアのアーティストと話していても「Haiku」を聞いたことがないという人は 少ない けれど、「Tanka」を知っていた人は寡聞にして知りません。それどころか日本国内ですら、「短歌やってるんですか?一句ひねってみてくださいよ~」などと抜かす不逞(ふてい)の輩(やから)が後を絶たぬ始末。それ、俳句ですから!短歌は「一首」!そう、「句」じゃなくて「首」なのです。他人をからかうならせめてそれくらいは知っておいていただきたい。さもないといっそ句じゃなくておまえの首をひね・・・なんでもないです。

冗談はさておき、思えば歌人 *1 には翻訳をなさる方も少なくありません。私自身は自他共に認めるへっぽこ歌人なので勘定には入れないとして、井辻朱美さん(英語)や佐藤弓生さん(英語)、千種創一さん(アラビア語)、永田永さん(フランス語)、穂村弘さん(英語)、松村由利子さん(英語)、柳谷あゆみさん(アラビア語)などなど、ほかにもたくさんいらっしゃいます。

言うまでもなく翻訳と短歌は共に「言葉を駆使する営み」ですから、 そもそも 親和性の高い分野であり、双方を能(よ)くする人が多いこと自体にはなんの不思議もありませんが、いつ、どんな きっかけ で出会い、やがて深く親しむようになっていったのか、そこにはきっとそれぞれの物語があるはずです。

そこで、今回は「翻訳と短歌(と私)」の関係について、つらつらと考えてみようと思います。

短歌との出会い

私と短歌との出会いは、忘れもしない小学校の国語の教科書でした。確か5年生のときだったと思います。「短歌」と題された新単元のページに、こんな歌が並んでいたのです。

 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ  若山牧水

 恋し潮の遠鳴りかぞえては少女となりし父母の家  与謝野晶子

 くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春の降る  正岡子規

 草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり  原白秋

 白き虚空とどまり白き原子雲そのまぼろしにつづく死の町  近藤芳美

最後に挙げた近藤芳美の一首を除き、これらはどれもいわゆる「近代短歌」に分類される作品です。きっとほかにも石川啄木や斎藤茂吉をはじめさまざまな歌人の作品が載っていたのではないかとは思うのですが、それまで百人一首にすら何の興味も示さなかった私の脳裏に五首までも焼き付いているのですから、いかに大きな衝撃を受けたかは推して知るべしといったところでしょう。とりわけ若山牧水の歌には、(たった一行でこの世界の寂しさをぜんぶ言える人がいるんだ・・・!)とびっくりしたのをよく覚えています。

中学時代は『国語便覧』に載っている詩歌の数々を眺めるのが好きでした。さすがに中学の副読本ともなると小学校の教科書とは比べものにならないほど充実していて、別に覚えようとしたわけでもないのに「君死にたまふこと勿れ」(与謝野晶子)や「レモン哀歌」「安達太良山」(高村光太郎)などは今でも暗唱できます。成績の方は音楽を除き国語を含めすべて1と2でしたが。

かろうじて高校に上がると『病床六尺』(正岡子規)や『子規 百首・百句』(今西幹一・室岡和子編著)をはじめ、つらく苦しく痛ましい本の数々を傍らに、腰を据えて世を儚(はかな)み出します。世の中には「部活に打ち込む」とか「恋愛に夢中になる」とか「荒れる」とかさまざまな思春期の形があるのに、なぜか「世を儚む」という選択肢に転んでしまう健康優良児が一定数いるわけですが、あれはいったいなぜなのでしょう。おとなしく「前髪が決まんない!死ぬ!!今日は学校行けない!!!」とか言って騒いでいればいいものを、みすみす「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」(島崎藤村)とか誦(そらん)じて憂えたりして、とんだ前髪違いです。

ともあれそんなわけで、のめり込むほどではないにせよ付かず離れず詩歌に接していた私でしたが、高校をギリギリで卒業し、まだ働きたくないという一心でなんとか大学へ入りうっかりフランス語を始めると、これがなぜだかするするできるようになるもので、うれしくて楽しくて詩歌のことはすっかり忘れ、しばらくは寝ても覚めてもフランス語に明け暮れて過ごすことになります。

翻訳と他者

詩歌に再び熱心に触れるようになったのは、すでに翻訳家ならびに舞台芸術専門通訳として活動し始めてしばらく経(た)ったころでした。理由を有り体(ありてい)に言ってしまえば、翻訳(と通訳)に疲れていたからです。

その頃の私はありがたいことに映像字幕、出版翻訳、上演台本の翻訳に劇場での通訳と、絶えず多くの仕事を抱えていました。フランス語が英語に比べて圧倒的に需要の 少ない 言語であることを考えれば、これは望外の幸運というべきでしょう。

しかし、翻訳というのは非常に負荷の高い仕事です。なんといっても難しい。とても難しい。なぜ難しいかというと、 そもそも 外国語というものが極めて難しいものだからです。

こう書くと、なにを当たり前のことばかり言っているんだ、と思われてしまいそうですが、この至極当然の事実を本当の意味で理解している人は意外に 少ない と私は感じています。「私はこうやって〇〇語をマスターしました」と自負する人や「○カ月で〇〇語脳になる方法」のような語学ビジネスの類いが、ネットに、書店に、これほど跋扈(ばっこ)しているのがその証拠ではないでしょうか。

私にとって、母語ではない言語とは、やってもやっても近づけない、それどころかやればやるほど遠ざかってすらゆくような、ひたすらに遥(はる)かなものです。どれほど粉骨砕身しようと「マスター」などと口にできるようなお手軽な技術では断じてありません。このことは、とりわけプロとして仕事を始め、多種多様なテクストや発話主体を相手に仕事をするようになるといっそう痛感します。「優秀な学生」だったころの自分に漲(みなぎ)っていた万能感が眩(まぶ)しく感じられるほどです。

しかもよりによって、その「遠くて知り得ないもの」を使って他者が書いたものを訳すのが翻訳です。「他者」なんてただでさえこの世で最もわかり得ない存在なのに、そのうえ母語からして違うのです。母語が違うということは言語に連なる文化的背景も畢竟(ひっきょう)、異なります。他者の言葉は自己の解釈をどこまでも逃れ去ってゆくと知っていながら、冠詞の 有無 や時制のずれ、表記の種別(大文字、小文字、傍点、イタリックetc.)といった細部のひとつひとつに至るまで、その真意に限界まで迫らんとして、訳者は狂ったようにぐるぐると近傍を回り続けるのです。

やがてどこかで意を決してひとつの訳語を選び取るたび、ほかのあらゆる 可能性 を捨象する。そうしてありえた かもしれない 表現の息の根を止めたことに慄きながら、しかも正しさの確証は手に入らない。他者の知覚は永遠に把持できない。こんなことをしながら暮らしていて、心身が疲弊しないわけがあるでしょうか。

もちろん、それもこれも楽しさやうれしさと表裏ではあります。他者の世界を垣間見て知らなかったことを知れば知的好奇心がおおいに刺激されますし、我ながら会心と言える訳語に行き着いたときは筆舌に尽くし難い達成感もあります。なにより、優れた作品が新たな読者や観客と出会う媒介になれるのは頗(すこぶ)る光栄なことです。

なにより私の場合、いちばんうれしいのはやはり、褒められたときです。

ものすごくどうでもいい情報で恐縮ですが、私は小学校から大学に上がるくらいまで万年劣等生で勉強も運動もまったくできないうえに素行不良の問題児だったので、ほとんど褒められた記憶がありません。大学でフランス語を学び始めて、生まれて初めてすごく褒められるという経験をして、それがあんまりうれしくて楽しいものだから褒められたい一心で続けてきたのです(その辺りの詳細に万一ご興味がおありの方は 別記事 をどうぞ)。

ですから仕事をするときは常に「褒められて伸びるタイプなんで!たくさん褒めてください!」と率直にお伝えするよう心がけています。平田オリザさんや宮城聰さんをはじめ、あらゆる演劇関係者や、今まで担当してくださった編集者の方にも片っ端から言ってきました( ただし フランス人には言いません。あの人たちはほっといても賛辞や 感謝 を言葉にしてくれる生き物なので)。おかげで、一介の翻訳家・通訳者としてはかなり褒めてもらえている方だと思います。とにかく褒めてもらえないと嫌。つまんない。やる気なくす(※マージナルな個人の感想です)。

ただ、みなさんがどんなにたくさん褒めてくださっても、当時の私はどうしようもなく疲れ切っていたのです。外国語と他者のあまりの遠さに。

他人の言葉を伝えようとすることにばかり心身を傾けるのは限界だ。自分の言葉を紡ぎたい。多弁を費やして読み解くのではなく、凝縮された、黙して語るような表現がしたい。

いつも行く地元の書店で『現代詩手帖』という雑誌の特集「短詩型新時代~詩はどこに向かうのか」に出会ったのは、ちょうどそのころでした。

短歌との再会と東直子との出会い

(短歌と俳句と現代詩の特集か。そういえば短歌はけっこう好きだったなあ)

なんとなく手にとってパラパラめくってみると、ふと、こんな歌が目に飛び込んできました。

 そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています  東直子

短歌にあまりしみのない方にぜひうかがいたいのですが、この歌を一読してどう思われたでしょうか。

私が最初にこれを目にしたときの感想は、次の一言に尽きます。

「なんだこれは?」

それまで「短歌=近代短歌(+寺山修司+俵万智)」だと思っていた私は、この文とも台詞(せりふ)ともつかないものが短歌として紹介されていること自体に動揺してしまいました。意味も意図もさっぱりわかりません。

そしてなにより不可思議だったのは、意味も意図もさっぱりわからないにも拘(かかわ)らず、この歌がひと目で心に刻まれたこと。それこそ小学校の教科書で短歌に出会ったとき以来の衝撃でした。

これを きっかけ に東直子という歌人と現代短歌に興味を惹(ひ)かれた私は、その後いくつかの偶然を経て、あれよあれよという間に気づけば東直子本人が指導する教室に参加できることに。そうです、「自分の言葉で語りたい」という念願を、それも短詩型というこのうえなく凝縮された表現で果たす日が来たのです。

ところが、ここから新たなる試練が始まります。

短歌って、どうつくるんだ?

どうつくっていいかわからない。

晴れて教室で短歌の実作が学べる幸運に恵まれ喜んだのも束(つか)の間、いざ自分で短歌をつくってみようとすると、それはもうびっくりするくらいどうしていいかぜんっぜんわからない。

しかも教室の事 前提 出課題は「自由詠一首 *2 」。

人生初の歌作で自由につくってみろといわれても、あれこれ浮かび過ぎてとっちらかってどこからどう手を付けていいのやら見当もつかずひとり自宅でくるくる回るばかり。そうしているあいだにも短歌の 提出 締め切りと教室初日は刻々と迫ってきます。

かくして、やむなく無理やり31音にのせた文字の羅列を 提出 して臨んだ初回の教室は、それはそれは悲惨な時間となりました。

我らが東教室では、受講生が互いの作品を批評したあとに東直子の総評と添削指導を受ける、という半ば歌会 *3 のような形式をとっているのですが、運悪く私の作品の評を割り当てられた人物(この人は数年後に大きな賞を獲[と]りました)は、気の毒なほどしどろもどろに。私の歌があまりに支離滅裂だったせいであることは想像に難くありません。なにしろ自分でもわけがわかっていなかったのですから。恥ずかしいやら心苦しいやらで、匿名とはいえ生きた心地がしませんでした。

しかしそれにも増してつらかったのは、自分が評する番になったときです。

せっかく師匠が初心者の私に配慮して穏当な口語短歌を振ってくれた(に違いない)のに、居並ぶ初対面の人たちの前で生まれて初めて短歌について批評を述べるという初めて尽くしの状況にパニックになった私は、あろうことか「・・・すみません、ぜんぜん意味がわかりません」と投げ出してしまったのです。日ごろ文物を読み解く仕事をしている人間にあるまじき不甲斐なさ。もっと能力のある人なら歌の良さを引き出した評ができただろうと思うと、作者(この人は数年後に立派な歌集を出しました)になんとお詫びしていいかわからず、今でも申し訳なく思っています。

私という他者と翻訳

「まあ初めてなら仕方ないよ」「下手だからこそ習いに行くんだもの」

心優しい読者の方々の声が聞こえてきます。そう、私だって当初はそう思っていましたとも。まさかそれから数年にもわたって「短歌暗黒時代」が続くことになるとは夢想だにしませんでした。

その後の私の歌作はといえば、全体的に謎過ぎた初回作品の失敗を踏まえ、散文と同量の情報を31音に圧縮しようとしてぎゅうぎゅうに重くなってしまったり、うつくしい風景や一瞬の切なさをわかりやすく詠み込もうとして歌謡曲みたいになってしまったり、社会詠をやろうとして標語みたいになってしまったり、かと思えば良寛さんみたいに枯れた歌風 *4 を試みてアイデンティティ・クライシスの危機に瀕したりと、方向性すら定まりません。

そんなとき、師匠に相談しても「思ったこと、感じたことをそのまま、素直に詠めばいいんですよ~」とほほ笑むばかり。こうしなさい、ああしなさいと決して言わないところがうちの師匠の懐の深さであり、そうでなければ私など今頃とっくに短歌をやめていたと思いますが、とはいえ、

 好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ  東直子

こういう歌を詠む人に「そのまま」「素直に」とか言われても、そのまま素直に受け取れるわけがありません。むしろあやうく「あなたという人はどのツラさげてそんなことを・・・!」と糾弾してしまいそうになる気持ちを必死にこらえようとして失敗して糾弾したことすらあります(師匠ごめん)。

感じていることはこんなにあるのに、それがそのまま言葉にならないのはなぜだろう。かすかな心の動きを詠んでみたいのに、ふさわしい表現がみつからないのはどうしてだろう。

そんな風に自問自答を繰り返すうち、ふっと、あることに気づきました。

これ、翻と似てる。

翻訳をしているときの自分は、他者の筆致に宿る息遣いに耳を澄まし、単語ひとつひとつの含意に目を凝らし、テクスト全体に漂う匂いを嗅ぎ分けながら、なんとかして原文と地続きと思えるような表現をみつけようと必死だけれど、歌をつくることにもこれに一脈相通じる側面があるのではないだろうか。

感じた/ていること、かすかな心の動き、あるいは自分の主観を通して 把握 した風景という、それ自体まだ形をもたない原初的な想念に「言葉」を着せて「定型(31音)」という器に盛る営みは、その本質において、明らかに翻訳行為と呼ぶにふさわしいじゃないか、と。

無論、書物の翻訳が主に「他者(の主観に依拠した世界)」を対象にしているのに対して、短歌をつくる際に対象となるのは主に「自己(の主観に依拠した世界)」です。

でも、思えば自己の中に他者がいないなんて、いったい誰が決めたのでしょう。

自分の内側で起きていることだからって自分にぜんぶ 把握 できるとは限らないはずです。それどころかふとした場面で思いがけない反応を示した自分に戸惑ったり、心に正体不明のもやもやを抱えてひとり患ったりする「ままならなさ」こそが人間を人間たらしめているはず。

現に今だってこうして「翻訳と短歌」などという絶望的に大それたテーマを言語化すべく、なんとかして自分の感覚をそっくりそのまま取り出せるような表現を模索しながら、書いては消し、消しては書き、しかもなお近傍をぐるぐる回るばかりなのですから。

翻訳を通して日々、他者の世界と闘い、その遠さに絶望していた私はその一方で、自分の中の他者性をすっかり見過ごしていたのです。茫漠(ぼうばく)とした自己の辺境でひそやかに生起する、言葉を与えられる遥か以前の感覚のその圧倒的な遠さを、私は知らずにいたのです。

逆に言えばきっと東直子のような歌人には、自己にひそむ遠い遠い他者に誰よりも深く、鮮やかに、それこそ「思ったこと、感じたことをそのまま」詠んでいるという実感が得られるほどの速度と密度でアクセスできる詩の回路があるのでしょう。自己の中の他者がどんなに遠くても、その回路を自在に行き来して、存外親しく付き合っているに違いありません。

自分というのは、たぶん、自分よりずっと遠い

そんな風に考えるようになって以来、私は短歌とすこしだけ仲良くなりました。そうして翻訳という行為に横溢(おういつ)する創造性と普遍性にも自(おの)ずと目が向くようになりました。

もしかしたら私たちはみんな、自分自身の翻訳者なのかもしれません。

おまけ

今回の原稿を読んだ担当編集Sさんから、平野の短歌も掲載してはどうか、とのご提案をいただきました。本来ならば2秒で断るべき案件ですが、Sさんは「世界でいちばん褒められたい翻訳家」こと平野をいつも余すところなく褒めそやしてくださるため、日頃の恩義に報いるべく、誠に断腸の思いではありますが、近代短歌の名歌や東直子の代表作の数々を散々並べたあとに自作を披露するという罰ゲームを甘んじて敢行いたします。

 吊るされた時間がやがて痣になるように熟れてゆく無花果の  平野暁人

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