クマのプーさんが世界中から愛される理由とは?【英米文学この一句】

翻訳家の柴田元幸さんが、英米現代・古典文学に登場する印象的な「一句」をピックアップ。その真意や背景、日本語訳、関連作品などに思いを巡らせます。シンプルな一言から広がる文学の世界をお楽しみください。

I am a Bear of Very Little Brain, and long words Bother me.

?A. A. Milne, Winnie-the-Pooh (1921)

Winnie-the-Pooh(クマのプーさん)は、愉快な言語的勘違いや言い違いに満ちている。“Trespassers W”と書かれた看板をめぐって、これってどういう名前だろうとみんなで首をひねったり(実は“Trespassers Will Be Persecuted”―「不法立入り者は虐げられる=立ち入り禁止」と書かれた看板が半分なくなっている)、プーが“ expedition ”(探検)という言葉を覚えられずどうしても“expotition”になってしまったり。

石井桃子訳では、前者は「トオリヌケ・キ」っていったいどういう名前だろう、とみんなが問い、Piglet(コブタ)が「トオリヌケ・キンジ」の略です、で、それは「トオリヌケ・キンジロウ」の略なんです、ともっともらしく説明し、後者はプーが「たんけん」とどうしても言えずに「てんけん」になってしまう、という形で 処理 している。さすがですね。

世の人々は『プー』のどういう言葉に反応しているんだろうと思ってウェブ上を見てみると、“People say nothing is impossible, but I do nothing every day”というプーの言葉が出てきた。これはすごい。ルイス・キャロルにも通じるような論理的・哲学的発言である。「不可能なことなどないと人は言うけど、ぼくは毎日何もしない」と普通に訳してしまっては全然意味が通らない。これはnothingを「無」というひとつの実体(反実体?)と捉えて訳さないといけない。「『無』なんてありえないと人は言うけど、ぼくは毎日『無』をやってるよ」。まさにPooh the philosopher (哲学者プー)。

こんなすごいセリフを見逃していたかと、本に当たってみたが見つからない。おかしいなあ、『プー名言集』みたいなサイトにはほぼかならず出ているのに。・・・さらによく調べたら、やはりこれ、A. A. ミルンの書いた言葉ではなく、どうやら20世紀初頭あたりから流通している箴言(しんげん)が、なぜかいつのまにかプーに帰せられてしまったらしい。

まあよく考えてみれば、プーにはこういう理屈っぽさは似合わない。上に引用したような、どうということはないもっさりしたセリフが彼にはふさわしい。ふだんは何でも自分で訳すのだが、石井桃子の名訳の向こうを張る気はさらさらないので、ここもあっさり引用させてもらうと「ぼくは頭のわるいクマでして、むずかしいことばになると、弱ってしまうんです」。

この後さらに、相手のOwl(フクロ)が issue という言葉を使うたびに、あのぉしゃべってる最中にクシャミをされちゃわかりません、とプーは抗議するが、石井訳は issue a Reward(報酬を出す)の部分を「薄謝を贈呈する」と訳して「ハクション」とつなげている。これもさすが。フクロはプーよりはよほど知識があるが、それでも“MEASLES”(はしか)とか“BUTTERED TOAST”(バタートースト)といった言葉になると“went all to pieces”(手も足も出なかった)とある。

動物たちよりはだいぶ賢いChristopher Robin少年も、the North Pole(北極)というのが何のことかわからないまま探検に行こうと言っている。誰一人真理を所有していないところが、プー・ワールドの温かさの源である。

柴田元幸さんの本

文:柴田元幸

1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2020年8号に掲載した記事を再編集したものです。

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