生成AI時代の翻訳者の生き方~翻訳者と建築家、パイロットの共通点を考える

現代の翻訳業界は、技術の急速な進化と向き合いながら新しい役割を模索しています。建築家や飛行機のパイロットといった職種が技術革新を経てどのように進化してきたかを例に、翻訳という仕事が今後どのような変革を迎え、そして翻訳者はその変革にどう適応していくべきか――翻訳者の丸山清志さんが探ります。

翻訳業界の未来;AIの台頭と人間の役割

このところ、ChatGPTをはじめとする生成的人工知能(ジェネレーティブAI)の技術の目覚ましい発達が話題に上がっていますが、それと同時に、さまざまな職業の将来を案じる声も目立つようになってきました。

私が携わっている翻訳業でも、この話題で持ち切りです。

翻訳の仕事はいずれなくなるのではないか」とか、「通訳や翻訳の仕事の担い手はいずれAIに取って代わられる」「その業界から人間は不要になる」といったささやきが、私の耳に入ってくることが多くなっています。

翻訳という仕事が人間の手を離れ、AIが全てやってくれる時代が来るのでしょうか?果たして、通訳という職業はいずれ滅びてしまうのでしょうか?

このような意見を耳にするたびに、私には気になることが一つあります。

ジェネレーティブAIを含め、自動翻訳や機械翻訳の技術はまだまだ発展途上であり、これからどんどん発達して便利になっていくのは間違いないと思います。

しかし、それだからといって、翻訳が機械一つで自動的にポンと生成されるような、夢のようなことが実現するのか?という疑問が残るのです。

「翻訳」という仕事が、十分に理解されていないような気がします。

翻訳の仕事は、多くの人々が考えているほど単純な作業ではありません。

自動翻訳や機械翻訳の将来を見通す上で、「翻訳」という仕事がどのようなものなのかを正しく理解しておくことが大事です。

そこで今回は、翻訳という作業がどのようなプロセスなのか、多くの人々が考えている「翻訳」プロセスとどう違うのかを、他の職業と比べながら考えてみたいと思います。

「家を建てる」仕事に通ずるものがある翻訳の仕事

翻訳と言えば、原稿を(優秀な)翻訳者に渡せば、まるでその原稿を機械でスキャンするかのように、別の言語に訳された文面が出来上がってくると考えている人も少なくないのではないでしょうか。

そのせいか、機械に翻訳機能を搭載すれば、人間の手を介さずに自動的に翻訳を生成できるのではないかと考えられがちです。

しかし、実際の翻訳作業はもう少し複雑で、それほど簡単ではありません。

翻訳がなぜそのように簡単にいかないのかは、翻訳のプロセスをもっと深く理解することで分かっていただけると思います。

そして、これが翻訳業の将来を見通す上で、とても重要なポイントになってきます。

私は、翻訳の仕事のプロセスを説明するとき、家を建てる行程を引き合いに出すことがあります。

最適な家を建てるためにすべきこと

家を建てるという仕事を想像するとき、建材を切り出し、組み立て、塗装をするといった、表面的な部分だけに目が向けられがちです。

しかし、この作業は「家を建てる」という仕事のほんの一部であり、実際にはもっと多くの行程が含まれます。

家族の要望を踏まえて間取りや機能を考えて設計し、環境やさまざまな事情を加味して建材を選択して実際に建屋を組み立てて、さらには法令の遵守状況を管理したり、日当たりや方角などのアドバイスをしたりすることもあるでしょう。

素人である発注者が気付かないことや分からないことも含めて総合的に考え、最適な家を建てるために、その全行程を管理することまで「家を建てる」という仕事には含まれます

注文通りにただ形を作ればよいわけではありません。

「家を建てる」という仕事は、ただ単にクライアントの求める形状が完成すればよいという話ではないということは、ご納得いただけると思います。

の仕事も、これに似ています。

翻訳の仕事は「言語の置き換え」ではない

翻訳は、どうしても文書を別の言語に置き換える作業に目が向けられがちですが、実はそれは翻訳の仕事のほんの一部です。

クライアントがどんな文章を求めているのか、その文章が外国語の文化では通用するのかといったことを踏まえて設計を行い、実際に翻訳を組み立てて、不適切なところがないか、十分に原文の目的が達成できるかを確認した上で、訳文をクライアントにお渡しするのです。

欠陥だらけの翻訳や、相手にうまく伝わらない翻訳では、訳した意味がありません。

そのためには、翻訳者自身に膨大な知識や経験が必要になりますし、クライアントとのすり合わせも欠かせません。

クライアント自身は、翻訳する言語のことや文化的背景のことなどを分かっていないことが多いのです。

翻訳者の仕事は、ここまで幅広い範囲を網羅しています。

言語を置き換える作業だけであれば、それは、家の建築で言えば、建材を切り出したり組み立てたりする作業だけしか見えていないのと同じことになります。

機械翻訳やAIの導入で翻訳者の仕事がなくなると言っている人は、この「言語の置き換え」の作業だけに着目していて、翻訳の仕事の全体像が見えていない可能性が高いです。

最先端の技術を使いこなすパイロットとの共通点

技術の発達で、翻訳が自動化される部分は確かに多くなると思います。

自動化されて久しい部分では、スペリング・誤字脱字チェック、用語統一などがありますが、すでにワープロソフトに備わっていて、使わない人はまずいないでしょう。

さらに、翻訳支援ツール(CATツール)には、翻訳メモリ(過去の訳文のデータベース)から自動的に訳文を呼び起こして、翻訳者が一から翻訳する手間を省いたり、過去の訳文と統一感を持たせたりする機能があり、その精度や使いやすさは近年どんどん向上しています。

最近の翻訳の現場は、このような自動化ツールを使わないでは成り立たなくなってきています。

また、このようなツールが発達したお陰で、大型案件を複数人で分担したり、多人数で分担することにより短期間で納品できるようになったりと、今までは翻訳の対象とならなかったような業界や分野の仕事もできるようになってきました。

しかし、ツールが発達して、翻訳の仕事が効率化し、サービスとしてより利用しやすくなってきた一方で、そのツール自体が複雑になってきており、ツールを使いこなすことがとても難しくなりつつあるというのも現実です。

私も複数のプロジェクトでそれぞれ異なる翻訳ツールを使うことがありますが、各ツールに特徴的な機能や手順があり、使いこなすにはそれなりの訓練と経験が必要だと実感しています。

もちろん、翻訳ツールのメーカーとしては、他社製品との差別化を図るために独自の機能を付けたり、より高度なことができるようにと、技術を発達させているのですが、それがかえって、翻訳ツールを素人には到底使いこなせない代物へと進化させてしまっています。

今や、ツールごとにトレーニングが組まれ、翻訳会社に登録するときにも、どのツールが使えるかを登録するような時代です。

このように、技術が発達すればするほど、その技術を使ったツールの難度が上がり、素人では使えなくなってしまうという、自動化の狙いに反する皮肉な事態が起こってしまうのです。

この状況を考えるときいつも思い浮かぶのが、飛行機のパイロットの仕事です。

最新技術に習熟し仕事の質を高める

パイロットは、どの航空機でも操縦できるわけではなく、機体の種類やメーカー別に免許があることをご存じですか?

少し前の話ですが、私の大学の先輩にパイロットになった方がいて、当時最新鋭だったボーイング777の免許を取得したときにその免許証を見せていただき、免許が機種別だったことに驚いたのを記憶しています。

飛行機は、メーカーや機材によっても搭載されている技術が違いますし、操縦の仕方も異なり、機体感覚も違うわけです。ですので、機材ごとに免許があるということでした。

機体の扱いが高度になり、特別な技能と経験が欠かせなくなってきているがゆえの措置なのでしょう。

翻訳ツールには免許こそ必要ありませんが、メーカーによって搭載している機能や操作性が違う場合もありますし、翻訳メモリの呼び出しや訳文への反映、品質チェック機能の使い方がなど、微妙に違う点も多くあります。

文書翻訳のツールと映像翻訳のツールでは、操作手順や表示の面が大きく違っている部分もあります。

ツールを正しく使って、クライアントにお渡しできるような質の高い翻訳を出すには、かなりの習熟度が必要になります。

ちなみに、最近のプロジェクトは大人数で分担することが多くなっているので、こういう翻訳ツールの使用は必須となることが多いです。

さらに、パイロットの仕事は、単に機体を操縦して、出発地から目的地へ機体を動かすことだけではありません。

飛行経過を地上に連絡したり計器類を監視したり、緊急事態に備えたり、人命救助を行ったり、飛行機全体の総責任者という立場にあります。

技術が発達して自動操縦になったからといって、パイロットの仕事がなくなるわけではありません。

「操縦」という部分は、パイロットの仕事のほんの一部であり(最も重要な部分の一つではありますが)、これは翻訳者の仕事の中の「訳文を書く」という作業に相当すると考えていただければ分かりやすいのではないでしょうか。

この点では、先ほどお話しした「家を建てる」という仕事と同様、パイロットの仕事の全体を見たときに、「操縦する」という部分はパイロットの仕事のほんの一部に過ぎないということがお分かりいただけると思います。

つまり、飛行機が完全自動操縦になっても、飛行機を運航するというパイロットの仕事がなくなることにはならないのです。

「訳文を書く」という作業は、たくさんの行程や作業のある翻訳という仕事のほんの一部なのです。そこが自動化されたからといって、翻訳者の仕事がなくなるわけではないと思うのです。

翻訳の仕事の全貌から見えてくる、生成AIとの付き合い方

以上を踏まえて、生成AIを含めた翻訳ツールが今後発達していくとして、将来的に翻訳の仕事の中でAIや自動翻訳ツールがどのような役割を果たしていくかが見えてくると思うのです。

さらに、翻訳のプロセスを正しく理解することで、私たち翻訳者が今後この機械や技術とどう付き合っていけばよいのかが見えてくると思います。

自動翻訳や生成AIの導入には、さまざまなメリットがあることは確かですし、今後開発や導入が進まないと考えるのは無理があるでしょう。

それならば、この新しい技術をどう生かして、いかにうまく付き合っていくかを考えることが大事なのではないかと思います。

次回の後半では、今後、最先端の技術を活用して翻訳者として生き残っていくには、生成AIや自動翻訳の機械とどのように付き合っていけばよいかについて、展望してみたいと思います。

丸山清志(まるやま きよし)
丸山清志(まるやま せいし)

通訳、翻訳家(日本語、英語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語)。ファイナンシャルプランナー。一橋大学法学部卒業後、カリフォルニア州立大学スタニスラス校政治学科卒業。米国現地生命保険会社に勤務後、日本の語学・留学関連会社を経て、通訳・翻訳家として独立。その後CFPの認定を受け、ファイナンシャルプランナーとして個人事務所を設立。現在、通訳・翻訳業務、個人・法人向けFP業務(ライフプラン、相続、事業承継など)、講演活動などを幅広く行う。訳書『株式投資が富への道を導く』(パンローリング)、『WHOLE がんとあらゆる生活習慣病を予防する最先端栄養学』(ユサブル)など多数。通訳担当番組『世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団』(テレビ朝日系列)他。
Twitter:https://twitter.com/marusan_jp
ブログ:https://ameblo.jp/honyaku-pro/

本文写真(2つ目):Kent Pilcher from Unsplash

丸山清志さんの連載「翻訳者のスキルアップ術」

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