仕事ができる人は「共感能力」を持つ。ファクトフルネスとマインドフルネスの相乗効果

茂木健一郎さんの連載「言葉とコミュニケーション」第15回。ファクトフルネス+マインドフルネスとは?「伝わるコミュニケーション」の鍵となる言葉についてお話しいただきます。

ファクトフルネスとは?

「ファクトフルネス」をテーマにした本が流行っている。

人々は世界が悪くなっているとか、問題がまだまだあると悲観的になりがちだけれども、客観的なデータ、統計という事実(ファクト)に基づいて考えれば、世界はそんなに悪くなく、むしろ徐々に 改善 している。

つまり、そのような事実(ファクト)を十分に受け止めるファクトフルネスが必要であるというのである。

タイトルを見た瞬間、この本の企画は凄い、これは売れると思うような良書だ。

ファクトフルネスは、言うまでもなく「マインドフルネス」という言葉の転用である。マインドフルネスが自分の周辺に起こっていることを意識の感覚を通して捉えることに焦点を当てているとすれば、ファクトフルネスは客観的な、大きなスケールの数値に注目する。

この本の中で主張されていることは、たとえばハーバード大学教授のスティーヴン・ピンカーさんが、この数年講演や著書で指摘してきたことと符合する。

民主主義の体制の下に生活している人の割合や、教育を受ける人の数、さらには乳幼児死亡率などのデータという「事実」から見れば、世界はどんどん良くなっている。だから、もっと楽観的に見た方がよいというのがピンカーさんの主張である。

確かに、楽観な方が脳の前頭葉を中心にいろいろな回路がよく働いてくれるから、事実をもっと受け止めて、ファクトフルネスを通して楽観的になることができたら、それに越したことはないだろう。

ファクトフルネスを、を楽観的にするための特効薬として処方するのである。

ファクトフルネス vs. 感情の動物

ここで考えて置かなくてはならないのは、人間は感情の動物だということだ。

事実は大切だけれども、事実がそうだからと言って、人間の感情にはどうすることもできない部分がある。

例えば、劣等感にとらわれている人に、君はそんなに悪くない、ほら、このデータを見てごらん、それに、そもそも人と比較しても仕方がないじゃないか――などと説得したとしても、それでも「自分はダメだ」と思い込んでいる本人にはなかなか伝わらなかったりする。

世界がどんどん良くなっていると言っても、格差や偏見はまだあるから、そんな中でネガティブな感情を持ったり、前向きな気持になれない人も当然出てくる。

その意味で、事実を押さえるというファクトフルネスはもちろん大切だけれども、それに加えて周囲の人がどのように感じるのか、感じ得るのかというマインドフルネスは依然として大切だと考えられる。

マインドフルネスを実践できなければ、効果的な仕掛けをすることができない。

コミュニケーションにおいてもマインドフルネスは大切である。特に、自分や他人の感情がどのように動くかを、リアルタイムで把握し、またその変化を予測することはコミュニケーションを行う上で最も鍵になるスキルの一つとなる。

例えば、これはしばしば見られることだけれども、何か良い知らせがあって、友人や恋人、家族とお祝いをしているときに、そこにいる誰かが不機嫌になるという事象がある。

もちろん、良いことがあってうれしいに決まっているのだけれども、話しているうちに、微妙な感情のもつれが出てくるのだ。

それは嫉妬だったり、自分が取り残されてしまうという寂しさだったり、いろいろとややっこしい気持ちになってしまうのである。

うれしいことがあったのだから、みんながハッピーになればいいようなものの、実際にはそうならない。

このあたりが、人間の感情というものの厄介なところで、またそれがとても面白く、だからこそコミュニケーションはやりがいがあるとも言えるのではないだろうか。

マインドフルネスがある人は、そのような状況が生まれる可能性を考慮した上で発言したり、相手の話を聞くことができるから、結果として良いやり取りをすることができる。

仕事ができる人が持つ「共感能力」

身近な人の気持ちだけでなく、ある事象に対して世の中の人がどのように感じて、それが人によってどんな風に違うかということを認識することも大切である。

人々が、それぞれ心の中でどのように感じているかということを、まるで地図を見ているように俯瞰(ふかん)できるマインドフルネスを持っている人はコミュニケーションの達人になれるのだ。

たとえば、ある商品やサービスを投入したときに、それに引き付けられる人はこういう人たちで、関心がないのはこのような人たち、反発したり否定したりするのはこのような人たち……というように見渡すことができて、それぞれの人たちが社会のどんなところにいるかが分かると素晴らしい

そのようなマインドフルネスの認知地図があれば、それに基づいて計画を立てたり、行動したり、予想したりできる。

結果として、仕事ができる人になる。

もちろん、世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな感じ方をするということ自体も「データ」化することができる。そのようなデータを事実として押さえるということも大切である。

しかし、どれほど事実を把握したとしても、それは必ずしも「共感能力」にはつながらない。事実を押さえるだけでは、人の心までつかむことはできないのだ。

事実と共感は車の両輪である

事実に基づく「啓蒙」というスタンスには限界もある。例えば、血液型で性格を判断したり、星座で運命を占うことが非科学的なことは、おそらくたいていの人は分かっている。それでも、そのような情報を欲してしまう人たちはいる。その人たちの気持ちが科学的に見た事実に反しているからといって、そのような感情があること自体を否定することはできない。

差別や偏見の問題へのアプローチとして、事実に基づく議論が行われることはもちろん大切である。しかし、差別や偏見といった感情が、時に生まれてしまうこともまた事実であって、そのような気持ちがあることをまずは受け止めた上で、そこからどうするかを考えるのが、マインドフルネスを生かす立場であると言えるだろう。

結局、世の中に関する事実を客観的に押さえるファクトフルネスは十分に発揮して、その上で、マインドフルネスが生かせる人が理想的だということになる。

ファクトフルネスとマインドフルネスは、いわば二つの車輪であって、そのどちらも生かすことで、ますます複雑になっていく現代社会の中で自由闊達(かったつ)に行動することができるのである。

実は説得力を持つ。一方、それを相手の心に届けるためには、共感の力が必要である。

事実に訴えかけるファクトフルネスと、心に働きかけるマインドフルネスの両方を生かすことで、私たちは次第に「人間」そのものに近づくことができるようになるのである。

おすすめの本

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茂木健一郎(もぎ けんいちろう)
茂木健一郎(もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕

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