俳優へ英語指導を行う際、ヒロウエノさんは「一番大事なのは英語ではない」と考えます。でも、英語を教えるというのに一体なぜ……?俳優・英語コーチのヒロウエノさんと一緒に、英語を実践的に使うために重要なポイントを考える連載第3回!セリフが出てこない瞬間も、思いがけないアクシデントも、伝えるための力に変えられる――。演技の現場から、「正しく話す」よりも大切なことをお届けします。
目次
英語が一番大事ではない理由
今回は、芝居の現場での経験を交えながらいろいろお話しさせていただきます。
「俳優への英語指導で最も重要視していることは何か」――こう聞かれると、普通は発音やイントネーション、語彙などを思い浮かべるものでしょう。でも、ちょっと逆説的なんですが、僕にとって一番大事なのは英語ではありません。映画やドラマなら、作品そのものが一番大事だと考えます。もっと細かく言えば、そのシーンで俳優さんが何を感じて、何を相手に届けようとしているのか、にあたります。
例えば、怒って英語で何かを訴えるシーンがあるとします。そこで俳優さんが「この英文を間違えずに言わなきゃ」「この発音で合っているかな?」と考えることに意識を取られて、本来あるはずの怒りが消えてしまったら、本末転倒です。だから僕は、英語のセリフを言うことが感情の邪魔になっているなら、極端に言えば日本語が出てしまってもいいと思っています。
怒っているなら、まず怒る。悲しいなら、まず悲しむ。英語をきれいに言うことよりも、その人物がその瞬間にどういう気持ちなのかを優先する。それが、僕が英語指導をするときに大切にしていることです。
これって、俳優だけに必要な考え方ではないと思うんです。僕たちが普段英語を話すときも、本来の目的は「正しい英文を発表すること」ではありませんよね。「これを伝えたい」「この人に分かってほしい」という気持ちが先にあるはずです。
英語が出てこないなら、それも使える
以前、『コットンテール』という映画でリリー・フランキーさんに英語を教えたことがあります。リリーさんの役は「英語を第二言語として話す日本人」という設定でした。つまり、ネイティブスピーカーのような完璧な英語を話す必要はない。だから、僕はリリーさんにも「セリフが出てこなかったら、それもそのまま使って大丈夫ですよ」と伝えていました。
英語を思い出せず、言葉を探す。そんなとき、当事者の中には本当の「困った」が生まれます。その葛藤まで役に使ってしまえばいいんです。日本語が口から出てきたっていい。そのまま日本語で話して、また英語に戻ってくるかもしれない。
芝居では、セリフが出てこなくて困っている瞬間に、その人の一番いい表情が出ることがあるんです。本人が計画していないからこそ、生のリアクションが出る。
英語が出てこないことを「失敗」と考えず、その瞬間に起きたことを使う。僕は英語指導でも、その自由さを大切にしています。
その他にも、芝居の世界では、予定外の出来事を「ギフト」として捉えることがあります。例えば、リハーサルでは一度も問題なかったのに、本番でお茶をこぼしてしまったとします。そこで「失敗した!」と演技を止めてしまうこともできる。でも、相手の俳優が「本当に?」みたいな顔をしてその出来事に反応したら、予定していたものよりずっと面白いシーンになるかもしれません。
だから俳優は、基本的に自分で「カット」をかけることがありません。セリフを間違えた。物を落とした。想定していなかったことが起きた……それでも続ける。なぜなら、そのアクシデントによって、リハーサルでは一度も生まれなかったものが生まれる可能性があるからです。
英語のコミュニケーションだって同じですよね。実際の会話では、相手が次に何を言うのか分かりません。自分が何を言うのかだって、完全には決まっていない。言葉に詰まるかもしれないし、聞き返すかもしれないし、思ってもいなかった話題に進むかもしれない。でも、本来コミュニケーションってそういうものではないでしょうか。予定通りに進まないからこそ、その人との唯一無二の会話になるのですから。
「先入観を持たない」という重要性
俳優が作品に取り組むときにまず最初に行う作業は台本を「読む」ことです。その際に気を付けるべきなのは、どう演技するか先入観を持ちすぎないことです。
僕自身、それは常に意識していますが、それでも無意識に先入観に引っ張られてしまうことがあります。分かりやすい一例をご紹介すると、『ばけばけ』(NHK「連続テレビ小説」。2025年9月~2026年3月に放送されたテレビドラマ)の撮影時、台本に「!」の付いた僕のセリフがあり、無意識に「ここは声を張って言うポイントだ」と感じていたんでしょう。リハーサルでも声を張って何パターンか試していたんです。しかし偶然一度、もっと抑えた言い方をしてみると……同じ言葉なのに、また違う空気が生まれたんです。
「!」が付いているから、大きな声。例えば「あんたなんか大嫌い」というセリフだから、怒鳴る。そう決めてしまうのは簡単です。でも、「こうだ」と思ったら、あえて逆を試してみると面白いことがある。例えば、「お前なんか殺してやる」という言葉も、怒鳴るより、笑顔で静かに言った方がよりゾッとすると思いませんか?
それもあって、僕は英語を指導するときに、「このセリフはこういう感情で」「この言葉はこう言わなければ」と決め付けないように意識しています。
作品は誰か一人だけで作るものではありません。脚本家や監督、俳優、撮影する人たちがいて、編集する人もいる。それぞれの視点が加わりながら、最初に書かれたものから少しずつ変化していきます。そこにたった一つの「正解」があるわけではないんです。
『ドライブ・マイ・カー』で繰り返した「相手に向き合う」稽古
映画『ドライブ・マイ・カー』の現場でも同じことを大切にしていました。濱口竜介監督の演出方法として知られているものの一つに、セリフに感情を込めずに何度も読む、というやり方があります。「ここは悲しいから、こういう声にしよう」「ここでは怒っているから、強く言おう」といった感情を、あらかじめセリフに貼り付けない。何度も何度も繰り返して、セリフそのものを体に入れていく。そして本番になったら、今度はそれを全部忘れる。もうセリフは体の中に入っているのだから、相手の言葉を聞いて、その瞬間に生まれた感情のままに言えばいい、というわけです。
この考え方は、僕自身が英語について感じていることにもとても近いと言えます。勉強や練習は必要ですし、単語も文法も、ある程度は知らないと使えません。でも、実際に人と話している最中に、「ここではこの文法を使おう」「こんなときは、覚えておいたこのフレーズを使おう」と頭の中で探し続けていたら、目の前の相手が見えなくなってしまいますよね。
準備したものは、簡単には消えません。これまで練習してきたこと、積み重ねてきたものは、頭や体のどこかに残っています。だから実際に話すときは、いったんそれを手放して、相手に向き合う。相手の言葉を聞く。その人に伝えたいことを考える。その方が結果として、自分の中にある英語が出てきやすいと僕は思っています。
「うまく話そう」とするほど、未来を決めてしまう
演技で最も重要で、且つ難しいことの一つが、相手のセリフを聞くことだと言われます。台本がある以上、相手が次に何を言うか俳優はもう知ってるけれど、本番では初めて聞いたように受け止めなければいけない。つまり、「次はこうなる」と知っている未来を、いったん忘れなければならないんです。
現実のコミュニケーションは、その逆ですよね。次に何が起こるかなんて誰にも分かりません。だから、「こう言われたらこう返そう」「このフレーズを言えばうまくいく」と未来を決めすぎなくてもいい。僕は、「うまくやろう」とすることは、未来を予想しようとすることでもあると思っています。
もちろん、英語を勉強することも、発音を練習することも大切です。でも、本番のコミュニケーションでは、それより先に目の前にいる相手がいる。繰り返しになりますが、英語を話すときに大切なのは、間違えないことではありません。今、自分は何を感じているのか。そして、この人に何を届けたいのか。それを忘れないことです。
そこから始めてみると、「正しく言わなければ」という力が少し抜けて、英語がもっと自由なものに感じられるのではないでしょうか。
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