ここ数年、日本で人気のあるアフタヌーンティーを楽しむ活動、「ヌン活」。実際に、イギリスのアフタヌーンティーはどのようなものなのか、アフタヌーンティー研究家の藤枝理子さんに本場イギリスのアフタヌーンティーについて、詳しくお話しいただきます。第3回は、日本で「ヌン活ブーム」が誕生した背景を、日本の紅茶史と共にひもといていきます。
ヌン活ブームが生まれた背景
皆さま「ヌン活」していますか。
「ヌン活って、いったい何?」と思われた方もいらっしゃるかと思います。ヌン活とは「アフタヌーンティーを愉しむ活動」のこと。2022年、新語・流行語大賞にもノミネートされたZ世代を中心としたトレンドの一つです。
アフタヌーンティーといえば、優雅なマダムのたしなみというイメージだったはず。どのようにして「ヌン活ブーム」なるものが誕生したのでしょうか。その背景を日本の紅茶史と共にひもといてみたいと思います。
大英帝国からやってきた紅茶
英国文化の象徴ともいえる紅茶が日本に上陸したのは明治時代のこと。緑茶の伝来が平安時代ですので、そこからなんと約1000年の時を経て、紅茶がお目見えしたことになります。実はイギリスにお茶が渡った17世紀、まだ紅茶は誕生しておらず、英国人が初めて飲んだお茶は緑茶でした。それから100年以上の時を経て、試行錯誤を繰り返し誕生した紅茶が日本にやってきた・・・というわけです。
日本の紅茶史が始まるのは文明開化の頃。明治20年(1887年)にイギリスから紅茶100kgが輸入されたという記録があります。恐らくイギリス経由でインド紅茶が入ってきたものと推測されていますが、正式な記載がないため断定はできません。「舶来品のハイカラ飲料」として東京の鹿鳴館(ろくめいかん)や京都の長楽館(ちょうらくかん)などを中心として、紳士・淑女の間で少しずつ広がりを見せます。
有産階級(財産があって生活が豊かな階級)のたしなみだった紅茶の存在を知らしめたのは「明治屋」さんです。明治39年(1906年)、リプトン紅茶・イエローラベルの輸入をスタートしました。明治期の実業家、磯野 計(いそのはかる)氏は、英国留学の経験を生かし、明治18年、横浜に明治屋を創業。食文化のパイオニアとして、日本に海外の珍しい商品を紹介しました。その一つが紅茶でした。
リプトン・イエローラベルといえば、日本人がイメージする紅茶の代表。皆さんもぱっと思い浮かぶのではないでしょうか。紅茶王と呼ばれたトーマス・ジョンストン・リプトンが生涯をかけて掲げた夢、「Direct from the tea garden to the teapot(茶園から直接ティーポットへ)」。紅茶を世界中に広めるために、1890年、セイロン島(現在のスリランカ)での茶園経営に乗り出し、世界マーケットを相手に「茶園と消費者をダイレクトに結ぶ商取引」を成功させます。その結果、日本にもリプトン紅茶が上陸したのです。貧しい労働者階級の家庭に生まれ、スラム街で育ち、英国紅茶の普及に人生を賭けたリプトン。その功績が認められ、貴族の称号を得ました。
明治42年(1909年)、民間企業としていち早く紅茶マーケットに目をつけた三井グループが、三井農林株式会社の前身となる三井合名会社を設立。昭和2年(1927年)、日本初となる国産ブランド紅茶「三井紅茶」を発売、イギリスやアメリカなど海外市場に向けて輸出を開始します。
第二次世界大戦では、日本と英国は敵対関係になり、紅茶の輸入は停止。戦後、在日外国人のためにホテル用輸入枠が認められたものの、「紅茶はリプトンのみ」、「輸入業者は明治屋のみ」などの縛りがあったため、日本にも密輸品が入ってきたり、闇ルートのようなものも存在したりしたといいます。紅茶の味が忘れられないと米軍基地の中のショップに買いに行った話や、船乗りの親戚を通じて紅茶を手に入れたなんていう話も耳にするほどです。
そんな日本の紅茶史が転換期を迎えたのは、昭和46年(1971年)の「紅茶輸入自由化」です。高度経済成長とともにライフスタイルも変化し、朝食はダイニングテーブルを囲んで「紅茶とトースト」という西洋化が進んでいきます。20世紀初頭、一人のアメリカ人茶商の”serendipity”セレンディピティ[別のものを探しているときに、偶然に素晴らしい幸運に巡り合ったり、素晴らしいものを発見したりすることのできる、その人の持つ才能]から生まれたティーバッグは日本の食卓にも登場し、リプトンや日東紅茶などの黄色いラベルに赤いロゴのティーバッグが並ぶようになります。日本式のお紅茶は「ミルクを入れるイギリス式」と「レモンを入れるアメリカ式」が混在。いまだに紅茶をオーダーすると「ミルクになさいますか、それともレモンになさいますか?」と聞かれるのは、この時代から始まっていました。どちらにしても、当時は紅茶に角砂糖を添え、甘くして飲むのが主流でした。
昭和50年代(1970年代後半)に入ると、紅茶はおしゃれな贈答用としてもてはやされるようになります。「トワイニングの色とりどりのティーバッグ詰め合わせ」や「メルローズの陶器製ティーキャディ」「フォションのゴールドのリボンと包装紙に包まれた紅茶缶」などが流行しました。本来コーヒーを入れるカフェティエールというコーヒー抽出器具にティーサーバーという名が付けられ、喫茶店などで紅茶用として用いられたのもこの頃。紅茶の原風景として記憶の中に刻まれているという方も多いのではないでしょうか。
ちなみに私がイギリスに紅茶留学中、コーヒーを注文した際に出てきたカフェティエールを見て、「日本では、これは紅茶用なの」と言うとみんな興味津々、「どのように紅茶を入れるの?」「ジャンピング(熱対流による上下運動)はするの?」と質問攻めにあったことがあります。
アフタヌーンティー事始め
昭和60年代(1980年代後半)のバブル期にかけては、英国紅茶文化の象徴でもあるアフタヌーンティーが日本に上陸します。私が初めて日本でアフタヌーンティーを体験したのも、この頃。英国系ティールームのフォートナム・アンド・メイソンでした。初めて目にするシルバーの3段スタンド、ウエッジウッドのティーカップ&ソーサー、きゅうりのサンドイッチに心踊りました。ただ、アフタヌーンティーに欠かせないスコーンはパンのようなフワフワしたテクスチャー、しかも添えられてくるのはクロテッドクリーム(バターと生クリームの中間のようなクリーム)ではなく生クリーム、あくまでもイギリスらしい雰囲気を味わうものでした。
平成の幕が開けると外資系ホテルが次々とオープンします。その際、開業時の目玉としてアフタヌーンティーメニューを取り入れるようになります。私が夢中になったのはフォーシーズンズホテル椿山荘東京。初めて正統派の英国式アフタヌーンティーを取り入れたホテルです。中でもスコーンの味は格別。添えられていたデヴォンシャー・クリーム(クロテッドクリームの別名)の味は今でも忘れることができません。
この時期になると、バブル期に海外駐在を経験し帰国したマダムや、旅行で本場のアフタヌーンティーを体験したOL層が急増し、クオリティーが格段にアップ。人気とともに、日系ホテルも続々と後を追い、第一次アフタヌーンティーブームともいえる現象が起こりました。
令和に入ると、インスタ映えを意識したZ世代の間でアフタヌーンティーが流行。コロナ禍で海外旅行へも行けず、多くの制限がかかる中でも、プチ贅沢気分を満喫でき、SNS映えするアフタヌーンティーは、世代や性別を超えて広がりをみせます。そして、キラキラしたシルバーの3段スタンドを前にアフタヌーンティーを楽しむ投稿をアップし「#ヌン活」というトレンドワードが誕生したのです。
コロナ禍でお酒の提供が制限されたホテルや飲食業界にとっては、まさに救世主ともいえる存在。個性を競い合う中で、日本古来の茶の湯の文化とも融合し、オリジナリティーあふれる日本ならではのアフタヌーンティーへと発展し、今日に至ります。
日本は異文化を取り入れ、独自性を加えながらアレンジし、新しいカルチャーとして育てることが得意です。アフタヌーンティーも然り、和洋折衷Zen Styleのアフタヌーンティーは、世界が注目するほどに成長しています。日々、変容しながら進化を遂げる新しいカルチャー「ヌン活」は、もはやマダムや女子会の域にとどまらず、男性陣にも広まっています。
次回は、リベラルアーツ(一般教養)としてのアフタヌーンティーの世界へご案内したいと思います。
連載「英国式アフタヌーンティーの世界を通して学ぶイギリス文化」記事一覧
藤枝理子さんの本
『仕事と人生に効く 教養としての紅茶』が、 「ビジネス書グランプリ2023」 のリベラルアーツ部門にノミネートされました。(投票は締め切りました。結果発表2月16日)
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