英語は多様!米軍基地の街に育ち、世界12カ国100都市以上を旅した文筆家の牧村朝子さんが、「アメリカ英語こそ正しい『ネイティブ』な英語」という思い込みを、世界中のいろいろな人たちのEnglishesに触れることでほぐしていく過程を描く連載。各地独特な英語表現も紹介。今回(最終回)は 「ジャパングリッシュ、横浜ピジン語、クレオール」 。
明治初期に日本にやって来たアメリカ人
「きちんと英語で話しなさい!」
鎖国が終わり、明治時代。世界へと開かれた 横浜の港 に、海を越え、ある人物がやって来た。
その名は、ユリウス・ヘルム。北ドイツの農場に生まれ、夢を見てアメリカに飛び出し、さらなる成功を手にするために、今度は中国を目指した。けれどもちょっぴり遅刻して、中国に行く船を逃した。仕方ないな、次にアジアへ行く船に乗ろう・・・そうしてたどり着いたのが、明治2年の横浜だった *1 。
ユリウスは小宮ひろという日本人女性と結ばれた。授かった子どもたちの一人が、ユリウス・ジュニア。愛称、ジュリー。やがてジュリーも大人になって、自分のジュニアを授かった。
あるときジュリーは、わが子が自宅に友達を呼んで日本語で騒いでいるのを見て、「英語で話しなさい!」と体罰を加えたという。
ジュリーは自分の息子が“ジャパングリッシュ”を話すような人間になってほしくなかったのだ。混血の子供たちのほとんどは、日本語と英語をごた混ぜにしたような言葉を話していた。人は英語を正しく話す かどうか によって階級が決定する。ジュリーはなんとしても子供達を上流社会で通用するよう育てるつもりでいた。ユリウス・ヘルムのひ孫にあたるジャーナリスト、レスリー・ヘルムによる著作『横浜ヤンキー』には上記のように書かれている(pp. 175-176)。「混血」という表現には賛否あると思うが、この言葉で嫌な経験をなさった方にはおわびし、著作から当時の空気感も含めて正確に引用するためにここで使ったということを申し添えておく。
そう。「混血」という言葉で人を傷つける人がいる。つまりそういう人は、「混ざっていないもの」があると信じているということだ。人間の血潮に。人間の言葉に。
言葉を・・・例えば、英語を学び続ければ、「英語とは何か」という問いに当たる。英語を話す世界各地の人々とのエピソードを基に、英語という言葉がそれぞれの土地の言語や話し手の人生と混じり合う様子を描いたこの連載「Englishes!多様な英語」。今回は、横浜の港が世界に開かれた頃のことを振り返ってみよう。
「異なる言語をごっちゃにするな」
あなたには、「○○語を話すな!」「○○語を混ぜるな!」と言われたことがあっただろうか?
私には・・・1987年神奈川生まれの私には、あった。
「小さい子どもに英語なんか教えたら日本語と混ざって、ちゃんと話せなくなるぞ!」
「小さい子どものうちから英語を教えないと、ネイティブみたいにちゃんと話せる子にはならないじゃないか!」
子どもだった私を取り囲んでモメている大人たちを横目に、私は「くまのパディントン」や「ピーターラビットのぼうけん」などの絵本を読みながら育った。
「おしりにヌガーがくっついた!」 *2
「ウサギのパイにされちゃった!」 *3
「ヌガー」の味を知らないし、ウサギの「パイ」も見たことない。
私の世代だと、義務教育で英語が始まるのは中学1年生からだった。
× nougat/○ ぬがー
× pie/○ ぱい
英語っぽい発音をしてみようとしたが、クラスではカタカナ英語で話さないと、「ちょづいてる(調子に乗ってる)」と笑われた。笑われるのが嫌だから日本語っぽい発音の中に縮こまっている自分が、そのまま、ちっちゃい地元に縮こまっているやつだと思えてつまらなかった。
海が見たい。
私は、横浜の高校を目指すことにした。「片道1時間半もかかる高校に3年間通いきれるの?」「うちの中学からそこに進む人はほぼいないよ?」などと言われたけれども合格をもぎ取った。さすがは港町ヨコハマの高校、帰国子女や外国人留学生がたくさんいて、校内を歩くと中国語もモンゴル語もフランス語もスペイン語も聞こえてきた。超ワクワクした。
「超ドメじゃん」
「中学では英語を英語っぽく読もうとしただけで笑われてたんだよ」
そう訴えると、
「超ドメじゃん」
新しいクラスメート、アメリカ帰りのリサは短く言い捨てた。ピアスが揺れていた。この高校には制服も服装規則もない。
「ドメ?」
「Domesticってこと」
「ドメスティックって?」
「あれよ、domestic flightとかのdomestic」
日本語に英語が混ざる。なんかのラッパーとか、ラブ・サイケデリコとかみたい。
「domesticってなんだっけ?『教義的』・・・?」
頭の中の単語カードをめくる。
「それは dogmatic じゃん?」
リサが秒で英訳する。
「『ドメ』って、インターとかでよく言うんだけど、内輪っていうか。まだ鎖国してんの?w みたいな感じの人のこと。それこそ、カタカナ英語で話さないとバカにしてくるようなバカのこと」
リサはチューインガムをぷーっと膨らませて、パンッと割った。バブリシャスのコーラ味。メジャーリーガー級の迫力。
「でもまー確かに、ドメなやつらはある意味 dogmatic だよね。正しい~。どこにでもいるんよ。自分にできないことができる人を見て、ビビってんでしょ。私、顔めっちゃ日本じゃん?なんか向こう(アメリカ)でさ、知らんクソガキどもに、“Sushi! Chow mein!”とか絡まれたことあって。うっせーバーカ、寿司(すし)はジャパニーズだけど炒麺(チャーメン、チャオミエン)はチャイニーズだ、そんなこともわからねーくせに話し掛けんなバーカバーカっつって泣かしたったことあったわ。ウケる」
「それ何語で言ったの」
「え?どっちだっけ。キレてたからわからん」
リサの頬が少し赤くなった気がした。
言葉の境界線
「てかさ、思うんだけど、寿司とラーメンは複数のときsが付く *4 じゃん?」
「sushisとかramensになるってこと?」
「そ。でもさ、chow meinはsが付かないじゃん?」
「じゃん、って言われても」
「付かないんよ。納得いかんくない?ramenもchow meinも麺じゃん。統一しろよ。筋通せよ。てかsushisってやばない?バンドかよw みたいな。The Sushis!みたいな」
Can’t buy me す~~~~~し♪す~~~~~し♪
The Beatlesの“Can’t Buy Me Love”を、即席で寿司の替え歌にしてリサが歌う。エアギターを弾いてる。なんかノリよくした方がいいかなと思って、取りあえず手拍子をする。
す~~~~~し♪す~~~~~し♪
パチパチしながら考える。歌うリサの「すし」は、英語の「sushi」なのか、日本語の「寿司」なのか。
考え出すと止まらない。sushiに複数形のsが付いた「sushis」は、まだ日本語?もはや英語?
- ラーメン:ramen:可算名詞 *5
- チャーメン:chow mein:不可算名詞
- タンタンメン:dandan noodles:まず複数形でしか使わない可算名詞
ああ・・・。
- スパゲティー(たぶんイタリア語)
- フォー(たぶんベトナム語)
- カップ麺(英語と日本語?中国語?)
- サンマーメン(広東語と日本語のミックスらしいけど、 そもそも 神奈川のご当地グルメだから、たぶん神奈川以外では通じにくい)
いくつもの言語が混じり合った「横浜ピジン語」
明治時代。ドイツ出身・アメリカ経由・中国遅刻で日本行きのユリウスさんがやって来た、開港期ヨコハマ。
港では、英語と日本語・・・だけでなく、中国語、マレー語、インドネシア語、ポルトガル語、フランス語、オランダ語などなど、各地の言葉がまさに海のように混じり合った「横浜ピジン語」が話されていた。
ginricky pshaw arimasen出典:杉本豊久「 明治維新の日英言語接触―横浜の英語系ピジン日本語(1)― 」Seijo English monographs (42), 357-381, 2010-02 成城大学。日本語書き起こしは筆者による人力 車 ありません
mar motty koy
馬 持って こい
Mar sick-sick, betto drunky drunky
馬 sick-sick 馬丁 drunky drunky
koora serampan
鞍(くら) セランパン
上の例文4行だけで、4つの言語が混ざり合っている。英語、日本語、中国語・・・「セランパン」は「壊れた」という意味だが、これはもはやマレー語由来なのかフランス語由来なのかよくわからないらしい。身元不明、海をさすらう横浜ピジン語。いや、横浜のものとも言い切れない。「セランパン」は、この連載の 第5回 で紹介した、上海のピジン英語でも使われている言葉だったから。
「ちゃんとした英語を話しなさい」と、息子を叱ったジュリーさんのことを考える。シンガポールでシングリッシュをやめて「ちゃんとした英語」にしようという運動があったこと、ドイツでも国語浄化運動があったことを思う。
横浜ピジン語の時代が過ぎて、人類は、世界大戦を二度も繰り返した。海を渡るのは、ユリウスのように夢を見た人ではなく、人を殺せという使命を負わされた兵士たちになった。偉い人は安全なところにいた。太平洋が血に染まった。英語は敵性語と言われ、洋楽も禁止された。その後の時代に、今はいるのだ。リサという名前の女の子が、大きな声で「Can’t buy me すし」と歌えるような、こんな時代に。
セランパン!
波は揺れ、風は大地を吹き抜ける。
領海、領地、領空。
人類が引いた政治的境界線のあちらからこちらへと、波が寄せる。風が吹く。波に乗り、風に乗り、言の葉が流れ続けている。昔も、今も。
今回のEnglishes:ジャパングリッシュ、ピジンとクレオール
横浜ピジン語のように、 複数の言語が混じり合って生まれた言葉を、言語学的には「ピジン/ pidgin 」 と呼ぶ。ピジン語を話す人たちの中で、ピジン語を母語とする次世代が生まれ、代々継承されていくようになると、今度は 「クレオール/ creole 」 と呼ばれるようになる。
今回登場したジュリー・ヘルム氏は、このような明治横浜のピジン語を「ジャパングリッシュ」、つまり日本語と英語の混成語であると認識していたようだ。戦時中の敵性語(英語)禁止や、同氏のように「正しい英語を」と求める声から、「ジャパングリッシュ」こと横浜ピジン語は廃れてしまった。
しかし現在、 「ジャパングリッシュ」という言葉は意外な形で復活 を遂げている。 日本語と英語は、オタク文化を介してインターネット上で混ざり合い、Japanglishというインターネットスラングになっている のだ。
事の始まりは2010年代半ば、英語圏の匿名掲示板4chanに「Nani the fuck 」から始まる文章が投稿されたこと。このフレーズは「なんてことだ」という意味の俗語what the fuck に「何」を組み込んでおり、全体は「watashi graduated top of my class in Nihongo 3」などと、英単語を日本語の単語に置き換えながら日本語能力を誇示する内容であった。この文章がヒットし、今や「Yametekudastop」など、英語と日本語が溶け合って一単語になっているようなJapanglishの新語が作られ続けている。
本連載が書籍化!書き下ろしも!
英語にコンプレックスがあった。でも英語を学んだから、世界中のいろいろな人たちに出会えた。そして、「英語は1つではない」と知った。――米軍基地の街に育ちながら「ネイティブ英語」に違和感を持っていた著者が、世界12カ国100都市以上を旅する中で多様な人々や言葉と出会っていく様子を描いたエッセイ。
シングリッシュ、マオリ英語、ピジン英語など、各地で独特な英語の歴史や表現、オランダ語やフランス語などの他言語と英語との関係も紹介。旅行気分を味わえる写真付き。
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文・記事中の写真:牧村朝子(まきむら あさこ)
文筆家。著書『百合のリアル』( 星海社新書 、 小学館より増補版 、時報出版より台湾版刊行)、出演『ハートネットTV』(NHK-Eテレ)ほか。2012年渡仏、フランスやアメリカで取材を重ねる。2017年独立、現在は日本を 拠点 とし、執筆、メディア出演、講演を続けている。夢は「幸せそうな女の子カップルに『レズビアンって何?』って言われること」。
Twitter: @makimuuuuuu (まきむぅ)
編集:ENGLISH JOURNAL ONLINE編集部
*2 :『パディントンの一周年記念』(マイケル ボンド著、ペギー・フォートナム絵、松岡享子訳、福音館書店)より筆者要約
*3 :『ピーターラビットのおはなし』(ビアトリクス・ポター著、いしいももこ訳、福音館書店)より筆者要約
*4 :sを付けない用法もある。
*5 :不可算名詞の用法もある。
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