英語は多様!米軍基地の街に育ち、世界12カ国100都市以上を旅した文筆家の牧村朝子さんが、「アメリカ英語こそ正しい『ネイティブ』な英語」という思い込みを、世界中いろいろな人たちのEnglishesに触れることでほぐしていく過程を描く連載。各地独特な英語表現も紹介。今回は「ピジン英語とChinglish」。
どこかに行きたい?それとも・・・
言葉を学び、異国を目指す。
いつかどこかに行くことを夢見て、英語の勉強を毎日していらっしゃるという方々は、きっとENGLISH JOURNAL ONLINEには特に多いと思う。
もしもあなたがそうならば、伺いたいことがある。その気持ちはどちらかというと、「行きたい」だろうか?それとも、「出て行きたい」だろうか?
「憧れのあの場所に行きたい」
「こんな場所なんか出て行きたい」
言葉で、「行く」か、「出て行く」か。今回は、空と海の港を擁する、世界の旅人の交差点、上海の情景から、このことを考えてみよう。
上海で夢をかなえた友達
2018年5月12日、「母の日」の前日。私は希望に胸を膨らませ、上海へ飛ぶ飛行機に乗った。友達に会いに。
大好きな友達だ。学生時代から勉強熱心、今やバキバキに出世して上海支社配属になり、英語、日本語、中国語を操って活躍、コンシェルジュ付きタワーマンションで輝く夜景をバックに暮らしている。夢をかなえたのだ。
「母になれ」という声には応じなかった。友達も、私も。
母の日だ。少女の頃を思い出す。おばあちゃんに連れられて行った地元の量販店にある1階の化粧品コーナーで、「内緒だよ」と買ってもらった、初めての真っ赤なマニキュア。「シャンハイ・レッド」と名が付いていた。
今はもう生産中止の、あのマニキュア。私は母にはならないだろう。女を愛する女、を生きる。
生産中止のシャンハイ・レッド。私に流れるおばあちゃんの血は、私の血だ。継がれてはゆかない。そのことについて、おばあちゃんと話したことはない。
「朝子ちゃん!」
スッとタクシーを乗り付けて、友達は出迎えてくれた。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに、土日しか遊べないからさあ」
友達は「休む」と言わず、「遊ぶ」と言う。中国語で運転手さんに何か言い、かかってきた電話に英語で答える。私と話すときは日本語。どの言語が母語かわからないくらい、すべて真っすぐ、迷いも気負いもない、張りのあるいい声でしゃべる。車の外を高層ビルが流れていく。
「この人は現地生活が長い日本人駐在員。この人はアメリカから来て上海で起業した人。あと、このWeChatコミュニティーで情報収集するといいよ。招待送るね」
てきぱきといろいろな人につなげてくれる。
「なんかあったら連絡してね」
友達はひととおり案内してくれた後、私をホテルに送り届けて忙しそうに出かけて行った。なんか、私が来たせいで余計に忙しくさせちゃったかなあ。と、思う気持ちを振り払う。楽しませようとしてくれているんだもん、楽しもう。
キリスト教会で「Are you a mother?」と聞かれた
翌日、友達が教えてくれたWeChatというアプリでイベント情報を探して、上海のキリスト教会での国際交流パーティーに出掛けることにした。私はキリスト教徒じゃないけど、誰でもOKらしいし、無料だったので。それに、英語でOKというところもポイントだ。中国語よりは英語の方がまだできるので、一人ぽっちにならなくて済むんじゃないかなという気がした。
木漏れ日。レンガ造りの教会。
「Hi!」「Hello!」「Welcome!」
周りの人たちが言っていることの意味がわかる安心感。教会前にはすでに100人くらいの人たちが集まっていて、頭の中にディズニーの「小さな世界(It’s a Small World))」が流れた。世界各国の民族衣装。人それぞれの肌の色。みんなが同じ名札をもらい、そこに、呼ばれたい名前と出身国名を書くことになっていた。
ASAKO/JAPAN
マジックで書いていると、
「Hi!」
陽気に声を掛けられた。うれしくなって振り向いた。
「Hi!」
「Hi」は中国語でも「嗨(ハイ)」と言う。口に海と書いて「ハイ」。海の向こうで出会った人と、異国の言葉で話す喜び。私に話し掛けてくれたのは女性で、花をいっぱい抱えていた。そして、私にこう言ったのだ。
「Are you a mother?」
え?
「Well ... wait ... what do you mean?」
戸惑って聞き返した私に、花を抱えて彼女はほほ笑む。
「I mean, do you have any children?」
子どもはいるかって?初対面で「Hi」の直後になんでそんなこと聞くの?
「Uh ... no.」
「Oh, OK.」
お花の彼女はさっと離れて、
「Someday you’ll be a mother! Happy mother’s day!」
「いつかあなたもママになるわよ!母の日おめでとう!」と言った。
は?と思った。ポカンと花を見ている私に、
「Oh, sorry. These flowers are only for mothers.」
慈愛。って感じで私にほほ笑みかけて、お花の彼女はどっかに行った。
何、いまの。
なんでそんなに、女はみんなママになりたがってるもんだと決め付けるの。無料配布のケーキを食らう。
ウクライナ、ジンバブエ、本当にみんないろいろな場所から来ていた。婚活中の男性が、「僕はチェスがすごく強い」という話を一生懸命していた。
みんな、いろいろなところから出てきて、それぞれ家族になって、この上海で生きていこうとしているんだなって思った。同じ信仰を持って支え合いながら。でもなんだか気疲れしちゃって、帰った。
上海のレズビアンバー
次の日、スマホに最悪のニュースが飛び込んできた。
「女性が2人、北京で警察に殴られた」
彼女たちは北京の広場で、母の日のお祝いに、「人の親になる同性愛者もいます。子育てしている同性愛者とランチ会をして、広場でフリーハグしましょう」というイベントに参加していたらしい。子育て中の同性愛者の会、「同性恋亲友会」のイベントだ。
そこに警察がやって来た。イベントを中止するように言い、女性2人を殴った。
自分が殴られたみたいに心が痛い。耐えきれなくて、ニュースを閉じる。そして、上海のレズビアンが集まるネット上のコミュニティーにアクセスする。悲しみのコメントがあふれている。悲しいのは、自分だけじゃないんだ。
上海のレズビアンバーに行こう、と思った。
あんまり言葉が通じないかも。ってか、むしろ警察が殴り込んできたらどうしよう。空港で借りたレンタルWiFiの注意書きが頭をよぎる。「中国政府批判は違法行為に当たり、現地で逮捕されるリスクがあります」。
もし、「警察の暴力が許せない」と書き込んだ子がレズビアンバーに来ていたら?それを警察が把握していたら・・・?
自分の拳をじっと見る。震えている。手を開く。それでもまだ、震えていた。
レズビアンバーは真っ暗だった。壁の張り紙が辛うじて見える。「NO CRYING」。歌詞のないダンスミュージックがかかっている。
メニューは全部英語。「The Warmest Color」という名の青いカクテル。壁際にスーツケースが山積み。本棚には、中国語、韓国語、日本語、英語、ドイツ語、世界中の言語での、愛し合う女性たちについて書かれた本。
「Hi.」
バーテンダーが気を回して、さりげなく、ほかのお客さんの輪に加えてくれる。
震えていた手が、つながっていく。
The Warmest Color。あの青いカクテルが、喉の奥で、胸の内で、温かい。
わかり合うためのピジン・イングリッシュ
「pidgin」(ピジン)という言葉がある。
英語の「business」が中国語風になまり、「pidgin」となったものだ。近代、海を越えてビジネスをした異国の人々が、互いの言葉を理解できなくてもなんとかわかり合おうと、互いの言葉をごちゃ混ぜにして生み出した混合言語のことを言う。
特に、1910年頃の上海では、「business」を「pidgin」と発音するような英語が、中国語母語話者だけでなく英語母語話者にも話されていたという。
「正しいbusiness英語」ではなく、「通じるpidgin英語」。わかり合うために、互いに歩み寄る必要があったのだ。人と人とが交わる場所、海や運河といった水辺の言葉であったことから、これを「洋涇浜英語(yang Jing Bang English)」とも呼んだ。
青い海。人と人とが交わる上海。
レズビアンバーで会った女性の言葉、英語の言葉を思い出す。
「My mother forced me to marry a Chinese man.」
「My mother doesn’t speak English.」
・・・あれは、母の日のことだった。
今回のEnglishes:上海のpidgin EnglishとChinglish
1900年代初頭までの上海では、中国語と英語その他の混合言語であるpidgin(ピジン)が話されていた。pidginという英単語は、現在ではこのような混合言語全般を示す言語学用語としても使われる。
2000年代の現代、中国語めいた英語はChinglishと呼ばれることもある。Chinglishを誤った英語として恥じたり、ばかにしたりする人もいる一方、街中でその文字を見つけて喜んで写真に収める観光客もいる。
文・写真(トップ・プロフィール写真以外):牧村朝子(まきむら あさこ)
文筆家。著書『百合のリアル』(星海社新書、小学館より増補版、時報出版より台湾版刊行)、出演『ハートネットTV』(NHK-Eテレ)ほか。2012年渡仏、フランスやアメリカで取材を重ねる。2017年独立、現在は日本を拠点とし、執筆、メディア出演、講演を続けている。夢は「幸せそうな女の子カップルに『レズビアンって何?』って言われること」。
Twitter:@makimuuuuuu(まきむぅ)
トップ写真:【撮影】田中舞/【ヘアメイク】堀江知代/【スタイリング、着物】渡部あや
編集:ENGLISH JOURNAL ONLINE編集部