文芸翻訳家の越前敏弥さんが、毎回1冊、英語で読めるおすすめの本を紹介する連載「推し海外小説」。今回は、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの小説『A Pale View of Hills/遠い山なみの光』です。タイトルの意味や、英語で表現された日本的なものの翻訳の仕方とは?
カズオ・イシグロが書く小説の英語はシンプル
5回目となった今回は、2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)の作品を紹介しよう。
日系イギリス人のイシグロは、1964年に長崎で日本人の両親のもとに生まれ、5歳のときに父の仕事の関係で渡英して、そのまま永住した。
作家活動を始めたのは20代の後半で、今回紹介する“A Pale View of Hills”(邦題:遠い山なみの光)は長編第1作。
この連載でイシグロの作品を扱おうと考えたのは、もちろん日系人で親しみやすいという理由もあるが、もう一つ、使われている英語がかなりシンプルで易しいからだ。
とはいえ、内容はむしろ難解なものが多く、一見ごく普通のリアリズム作品のようでありながら、不条理な 展開 や暗示的な描写に戸惑うことがしばしばある。それでいて、読了時には不思議に心地よい余韻がどっしりと残る、ひと筋縄ではいかない作家だ。
SFやミステリーとしても一級の“Never Let Me Go”もおすすめ
イシグロの作品で最初に読むとよいのは、おそらく“Never Let Me Go”(邦題:わたしを離さないで)だろう。
この小説は映画化され、日本でドラマにもなったから、話を知っている人も多いはずだ。近未来のイギリスを舞台とする(と思われる)作品で、のどかな田舎の全寮制学校で過ごす10代の若者3人が主役である。
この学校の生徒たちは、ごく普通の学生生活を送っているようにも見えるが、作品全体にどことなく暗く不穏な空気が満ちている。不自然な形で管理された生徒たちは、何やら絶望めいた未来を暗黙のうちに自覚し、受け入れてもいるらしい。
やがて、3人はこの学校を卒業するが、それぞれを待ち受ける運命はあまりにも悲しく・・・と、純文学のジャンルでありながら、ディストピアSFの堂々たる傑作であり、さらにはミステリーとしても一級品である(『このミステリーがすごい!』2007年版で海外編の10位に選ばれている)。
プロットの面白さは、イシグロの作品の中で間違いなく、いちばんで、難解な箇所も 少ない 。
View of Hills”:記憶の中の日本と、残された謎">“A Pale View of Hills”:記憶の中の日本と、残された謎
“Never Let Me Go”と並んでおすすめしたいのが、デビュー長編の“A Pale View of Hills”。
これはイシグロが28歳のときの作品で、登場人物のほとんどは日本人だ。舞台はイギリスだが、回想の場面で長崎が多く登場する。自伝的作品というわけではないものの、日本人として生まれながらイギリス人として育った自身の心の揺らぎのようなものがところどころで垣間見える。
著者は後年、この作品を評し、年月を経て日本の記憶が薄らいでいく中で、自分の中のかけがえのない日本を書き残したかったという旨のことを語っている。
物語は、1970年代頃のイギリスの田舎で始まる。主人公(語り手でもある)の悦子は二度の結婚を経験していて、最初の夫(日本人)との間に景子、2番目の夫(イギリス人)との間にニキという娘がいたが、景子は少し前に自殺した。
ロンドンに住むニキが 久しぶり に訪ねてきて、昔話をするうちに、悦子は戦後間もない頃の故郷、長崎のことを思い出す。その頃、景子を身ごもっていた悦子は、近所に引っ越してきた少し変わり者の佐知子という女と知り合う。佐知子には万里子という10歳ぐらいの娘がいて、万里子はよく不思議な女の幻影のことを口にしていた。
その後、悦子が佐知子らとともに戦後の復興期を過ごしたいきさつや、イギリスでの現在に至るまでが、何度も時間が前後する形で語られていくが、悦子は何もかもを説明するわけでなく、多くの謎が残ったままになる。
景子はなぜ自殺したのか。悦子はなぜ最初の夫と別れ、イギリスで再婚することになったのか。万里子の幻想らしきものにたびたび現れる女は何者なのか。そして、ひょっとしたら、佐知子や万里子は悦子が作り出した空想上の人物ではないのか。 そもそも 、悦子は本当のことを語っているのだろうか。
普通、解き明かされない謎がこれだけ多いとフラストレーションがたまるものだが、イシグロの作品では、それがむしろ読む側の想像力をかき立て、極めて豊かな作品世界が醸成される。
“A Pale View of Hills”というタイトルは、記憶の曖昧さゆえに、おぼろげな残像がいくつも折り重なっていくさまを象徴しているのだろう(作中で丘や山並みが描かれるわけではない)。
英語で表現された日本的なものをどう翻訳するか
長崎の回想場面で、悦子が佐知子に、藤原さんという人が営むうどん店の仕事を紹介する箇所がある。
とても自然な訳文なので読み飛ばしてしまいそうだが、例えば、「 noodle shop→うどん屋」「busy sidestreet→繁華街の横丁」「forecourt→三和土」「extended roof→差し掛け屋根」といった訳語は、簡単に思い付くものではない。
一方で、「コンクリートの三和土」に「木のテーブルとベンチ」が置かれている光景になんとなく違和感を覚えるが、これは翻訳の問題ではなく、悦子の記憶、さらには著者の記憶の曖昧さが反映されているのではないかと思う。
イシグロの初期の作品を読んでいると、台詞(せりふ)なども含めて、例えば小津安二郎の映画を西洋人が見事にリメイクしたような趣を感じることがしばしばある(訳書で登場人物の名前をどの漢字にするかについては、作者側からの要望をある程度、反映したらしい)。
このような現象は、各地で異文化がぶつかり合い、溶け合いつつある世界の文学作品ではよく見られることで、それ自体が海外の作品を読む魅力の一つだと言っていいだろう。ぜひ、言語や習慣の違いを乗り越えて、共通点や相違点を楽しんでもらいたい。
イシグロの初期作品は、日本人が海外文学に親しんでいく足掛かりとしても、原書をあまり読んだことのない人の入門書としても、適切だと思う。非常にわかりやすい英語で書かれている上に、描かれているものをイメージしやすいからだ。
今回の小説
■“A Pale View of Hills” (Kazuo Ishiguro, Faber and Faber, 1982)
越前敏弥さんのイベント
■講座「だから翻訳は面白い 英文法だって面白い」(『ヘミングウェイで学ぶ英文法』の著者である倉林秀男さんとの対談)
2020年8月1日(土)15:30~17:00、朝日カルチャーセンター新宿教室
www.asahiculture.jp文:越前敏弥(えちぜん としや)
文芸翻訳家。1961年生まれ。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『おやすみの歌が消えて』『大統領失踪』『世界文学大図鑑』『解錠師』『Yの悲劇』など。著書『翻訳百景』『文芸翻訳教室』『この英語、訳せない!』『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』など。Twitter: @t_echizen