英会話の達人、カン・アンドリュー・ハシモトさんが今回取り上げるのは、日本語や英語の歌詞のこと。英語の歌詞によく出てくる、She don’tという文法的に間違っている英語が好まれる理由も興味深いです。
『飛んでイスタンブール』の謎
僕はミュージシャンとして生活をしていたころがあるので、歌のコード進行などかなり古い楽曲についても結構詳しいのですが、ある時期、日本のヒット曲の英訳詞を書く仕事をたくさん頂けたことがあって、歌詞についても割とよく知っているのです(自慢させてください)。
そんな中、詞を何度読み返しても僕にはどうしても意味が分からなかったり(主に僕の頭が悪いことが理由です)、その日本語が持つ美意識を英語で表現するのは僕には無理だと思ったりする歌詞にいくつも出合いました。
「飛んでイスタンブール」という歌をご存知ですか?1970年代の日本の曲で、庄野真代さんが歌って大ヒットしました。『飛んでイスタンブール』。これはタイトルでもあり、サビ頭の歌詞でもあります。みなさんはこのタイトルを見てどう感じますか。
僕は「飛んで」は「動詞( verb )の変化形」だと習いました。この場合、それは副詞( adverb )に似た働きをします。副詞は動詞を修飾しますが、名詞( noun )を修飾する言葉ではありません。
つまり、「飛んでイスタンブールに着いたわ」とか「飛んでイスタンブールに行きたいの」などの日本語は正しいですが、『飛んでイスタンブール』という日本語は間違っているはずです。「飛んで」のあとに名詞が続き、それで文が終わることはあり得ないからです。
でも、日本語が母語である作詞家が、わざとこの表現でこの詞を書いている以上、どういう気持ちがそうさせているのか、僕は理解したいと思いました。
「この部分、♪Fly me to Istanbul♪にするとかわいいな。いやいや、それじゃ訳詞にならないじゃないか。それなら♪I’m flying to Istanbul♪ならどうだろう。音符にははまるけど、その英語にすると、わざと不思議な表現を使っている作詞家の思いを無視してることにならないか?」
「そもそも、主人公は今どこにいるんだろう?『光る砂漠でロール』って言ってるんだから、すでにIstanbulにいるはずだ。じゃ♪I took a plane to Istanbul♪の方がいいかな。でも待てよ、『砂漠でロール』ってどういう意味だろう?砂漠でロール・・・この人は一体、砂漠で何をしているんだろうか。Istanbulとrollじゃ、英語では韻にはならないけど、それはどうしようか・・・」
こんなことを考えていると、気が狂いそうになってきます。訳詞は自分のオリジナリティーだけを出していいものではないので、僕は本当は苦手でした。
当時のプロデューサーに、「この詞を英語にするのは僕には無理だから辞めたい」と、(この歌だけでなくさまざまな歌詞について)何度も泣き言を言いました。でも聞き入れてもらえませんでした。
「お前はいつも考え過ぎなんだよ、Kan。こういうのはな、イキフンでいいんだよ、イキフン。分かる?」
芸能界と呼ばれる、日本のショービジネスで長く生きてきた年配の人たちの言葉遣いで、「イキフン」とは「雰囲気」の意味です。「分かる?」と言われてもさっぱり分からないまま、僕はそのころ、朝目覚めてから深夜酔いつぶれるまで、毎日毎日、日本の歌謡曲と格闘していました。
日本語の美意識を英訳するのは難しい
僕も散々歌を作ってきたので、理解はしているつもりです。歌詞は文法をわざと間違えて使うことで生まれる違和感や、間違っているからこそ生まれるニュアンスを利用して「スリルを創り出す」、そこにも大きな意味があります。「飛んでイスタンブール」というタイトルにも、「自然な文法でないからこそカッコいい」という美意識があるはずです。しかし僕にはどうしてもそれを感じることができませんでした。
「何も言えなくて・・・夏」(THE JAYWALKの1991年のヒット曲)という歌のタイトルも同様です。「何も言えないまま夏が来た」のか「何も言えないまま夏が過ぎた」のか、それとも「何も言えないままだったために、夏が楽しい時間でなくなってしまった」のか・・・。
「夏がどうなったのか」を確認するために詞を読み返しても、その答えはありません。“Can’t say anything but summer”とか “ No words but summer”と言ってみても、ただ意味が分からない英語になっているだけで、このタイトルが持つ美意識を伝えているとは思えません。
「壊れかけのRadio」(1990年にリリースされた德永英明さんの曲)には、「何も聞こえない、何も聞かせてくれない」ラジオが出てきます。でも、そのラジオは本当に「壊れかけ」なのでしょうか。
美しいメロディーだと思いますが、「壊れかけのRadio」をhalf-brokenとか on its last legsと言っていいのだろうか。だって、「何も聞こえない」なら「壊れかけ」じゃなくて「完全に壊れている」(completely broken)と思うけど、どう思う?と、僕は当時、僕と一緒にお酒を飲んでくれたほぼ全ての日本人に尋ねた気がします。
さて、今回取り上げるのはその逆です。英語の歌詞やタイトルで、英語の文法としては本当は間違っているものを取り上げ、それが英語を母語とする人間にはどう聞こえるのかをお伝えしたいと思います。
I Can’t Get No Satisfactionの「二重否定」
まずは世界一偉大なロックバンドの一つ、The Rolling Stonesの最初の大ヒット曲『(I Can’t Get) No Satisfaction』。
英語に詳しい人たちは すぐにお分かりでしょう。正しい表現はもちろん“I can’t get any satisfaction.” 意味は「全然満足できないぜ」ということです。単語レベルで訳すと「満足がない状態( no satisfaction)を手に入れることができない(can’t get)」つまり、「満足できるってことでしょ」と誤解されそうです。
しかし、実際は逆です。二重否定(double negative)と呼ばれる語法で、否定を表現する言葉を繰り返すことで「ないってことがない」という意味ではなく、「ない」状態を強調しているのです。正しい言い方でも上品な言い回しでもありませんが、口語ではよく使われる表現です。
映画『 Rocky 』に“He ain’t no boxer.”というせりふがありました。「ヤツはボクサーなんかじゃねえ」という字幕が付いていたと思います。意味もニュアンスもその通りです。ain’tはisn’tと意味は同じですが、ちょっと乱暴な印象がある口語です。
また、あるギャング映画には、“I don’t have no girl.”というせりふが出てきました。これは「恋人なんていねえ」という意味です。同じ映画に、“I ain’t going no court.”というせりふもありました。これは「(法廷で)証言する気はねえ」といったニュアンスです。
それぞれ、“He is not a boxer.” “I don’t have any girlfriend.” “I’m not going to the court.”が一般的な表現です。しかしそうではないフレーズを話者が選んだことには意味があります。正しくない文法だからこそ表現できる、「?なんかじゃねえ」「?なんていねえ」「?する気はねえ」といったニュアンスがそれです。The Rolling Stonesのタイトルもまさにそのニュアンスを求めたものだと言えます。
粗野で無教養な印象があるので、英語学習者がこれを使うのはお勧めしません。でもこの言葉遣いがどういう意味合いを含んでいるのか知っておくのは悪いことではないと思います。
数多く歌に登場する“She Don't”という表現
先日こんなメールを頂きました。
――Bon Joviの1980年代の曲に「She Don't Know Me」という曲があります。日本の中学英語では、「3単現のs」といって動詞にs/esを付けることをしつこく教わり、なおかつテストにも出るので、上の表現はテストでは×になります(笑)。では、“She doesn’t know me.”と“She don’t know me.”はどんなニュアンスの違いがあるのでしょうか?
実はこの表現は、歌の中にとても頻繁に登場します。
The Beatlesの「Ticket To Ride」(1965)の中での“She don’t care”、 Huey Lewis & The Newsのヒット曲「He Don’t Know」(1991)、Heartのシングル曲「What He Don’t Know」(1985)、Duran Duranの「Rio」(1982)という曲中で“She don’t need to understand”、Jonny Langの「Lie to Me」(1997)という曲の詞で“It don’t matter anymore”、ロンドン出身のシンガーソングライターElla Maiのシングル曲「She Don’t」(2016)、Duke Ellingtonのスタンダードナンバー「It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)」(1932)など数えきれません。
これらはすべてdoesn’tであるべき箇所がdon’tで表現されています。これらも、「若者言葉のような勢いや乱暴なニュアンスを出す」という意味では、先ほどのdouble negativeと同じです。
ただ、こと音楽の世界では別の意味合いもあります。
「間違った文法」がなぜカッコいいのか
実はshe/he/itが主語のときにdon’tを使うのは、若者言葉であると同時にアフリカ系アメリカ人の話し方でもあります(もちろん全員がそう話すわけではありません、そういう人が一定数いる、という意味です)。
rock musicは黒人労働歌やbluesから生まれたという経緯もあり、そういう人たちの言葉遣いを「カッコいい」としてrespectし、まねをする傾向があります。発音の仕方や言葉の選び方、文法などをまねるのです。
Ebonicsと呼ばれます。*1
The Rolling Stonesの曲に「Waiting on a Friend」(1981)というタイトルの美しいバラードがあります。wait forではなくwait onという言い方もEbonicsです。イギリス人であるMick Jaggerが日常生活で使う言葉遣いではありません。彼がアフリカ系アメリカ人の言い方をまねしていると考えられます。
実はdouble negativeもEbonicsの典型的な特徴の1つです。どの歌がそれだと限定をすることはできませんが、Ebonicsがカッコいいという理由でdoesn’tではなくdon’tとなっている、double negativeを使っている、そういう歌も多くあるはずです。
また歌の中では、ただただ単純にその方がメロディーに乗りやすいから、という理由も考えられます。
それぞれの言語が持つ美意識や独特のニュアンスを理解するのは、ときに難しいです。でもそんなことも乗り越えて、みんなで楽しくいろいろな歌を歌えたら素敵ですね。
今回も最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
*『飛んでイスタンブール』というタイトルについてある学者の方に意見を求めました。彼は別の解釈で僕に解説をくださいました。ですが同時に「原稿ではカンさんの文法的な解釈も残しておくと面白いと思います」と意見を頂きました。迷いましたが、残すことにしました。僕の解釈はこのタイトルを見てそのとき僕が思ったこと、として考えて頂けるとうれしいです。
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