遠隔同時通訳というトレンド【通訳の現場から】

遠隔同時通訳というトレンド【通訳の現場から】

イラスト:Alessandro Bioletti

プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!

同時通訳の世界は基本的にアナログです。専用機材の基本構造は30 年前からおおむね変わっていませんし、簡易同時通訳機の代表格であるパナガイド(パナソニック製)は1997 年の発売以来、今でもバリバリの現役です。通訳をする側の人間も、大差ありません。

いまだにデジタル形式ではなく紙の資料を好む人が大半で、「ドロップボックス? 何それおいしいの?」「私、まだガラケーなんですけど」というくらい、テクノロジーが苦手な方も。アナログな人間と技術で特に問題なく何十年もやってきた通訳業界ですが、近年、黒船ともいえる新たなテクノロジーが通訳者の仕事のやり方を根本的に変えようとしています。

通訳界の黒船、RSI

その黒船の名はRSI(remote simultaneous interpreting:遠隔同時通訳)。従来の方法では通訳者は現場に行って業務を行う必要がありますが、RSI はPC さえあればどこでも仕事をすることができます。例えば日本で開催される国際会議において、通訳者A はアメリカ西海岸、通訳者Bはポルトガル、通訳者Cはシンガポールから参加して業務を行うことが可能になったのです。

それって仕組み的にはビデオ会議とあまり変わらないのでは?と感じる読者もいるかもしれません。実際そのとおりで、RSI は構成要素としては従来の技術を活用したものなので、テクノロジーのブレークスルーが起きたわけではなく、これまで各構成要素をうまく一つにまとめた人(会社)がいなかっただけ、と言った方が正確かもしれません。

数年前から性能を上げながらじわじわと普及が進んでいるRSI ですが、欧米では日本より活用が進んでいるものの、通訳者の反発が強いようです。多くの通訳者は現場の空気を読み、話者の言語に加えて非言語情報(ジェスチャーや表情など)をくみ取ります。

会議が始まる前に話者と打ち合わせをすることで話者の話し方の特徴を把握し、話者その人と信頼関係を築くことがとても重要だと教育されてきたのです。私自身、会議前に短時間でも話者と話すことで打ち解けて、本番がとてもスムーズに進んだ経験が何度もあります。RSIでは通訳者は会場から離れた場所にいるため、実際の空気を読むことはできませんし、話者との事前の打ち合わせも調整が難しくなります。

コスト面ではメリット大

一見、通訳者にはメリットがなさそうなRSI ですが、なぜ普及が進んでいるのでしょうか。実は同時通訳の費用は通訳者の人件費、機材関係費用の2 点で主に構成されます。機材関係費用にはブースと同時通訳機器のレンタル料、ブースの設営・撤収費用、サウンドエンジニアの人件費などが含まれます。

極端な話、RSIは機材関係費用をほぼゼロに近づける形態です。通訳費用が半分になるのですから、会議主催者にとっては試さない理由はありません。費用以外にも、遠隔通訳が広く普及すれば、今のように事前に日時を決めて仕事を依頼する形から、もっとオンデマンドへとシフトしていくことは間違いないでしょう。

例えばアメリカで30分後に会議をすることがいきなり決まったけれど、あまりにも時間がないので通訳者の手配は不可能……だったのは従来の方法で、RSIであればアルゼンチンで対応可能な通訳者がすぐに見つかる可能性だってあるのです。

日本で通訳の仕事がいちばん多いのはダントツで東京を含む関東圏ですが、これまではそれらの案件を関東圏在住の通訳者がほぼ独占していました。RSI の普及により、この市場メカニズムが根本的に覆る可能性が出てきたのです。

課題は環境的デメリット

そうはいってもRSI はまだ発展途上であり、RSI サービスを提供する会社も、今は試行錯誤の繰り返しです。通訳者は一定のスペックを満たした通訳専用PCを用意する必要があり、指定された環境条件も厳しい。ハードウエア的な条件はまだ許せるとして、おそらくいちばん難しいのが雑音・騒音がない静かな環境の確保です。

仕事中は固定電話の線を抜き、スマホもマナーモードにできますが、いきなり宅配便がきたり、救急車が近くを走ったりしたらどうすればよいのでしょうか。BBC の生放送番組に韓国から出演していたコメンテーターが、隣の部屋から乱入してきた無邪気な子どもに現場を壊されたのはネットウォッチャーであれば記憶に新しいはずです(笑)。

予想外の出来事、管理できない音はどうしてもあるはずですが、それでも世田谷を走るパトカーのサイレン音がバルセロナの会場にいる数百人に届いてしまう事態を考えると、背筋になんとも言えない悪寒を感じます。そのうち、ユーチューバ―が使うような室内用防音ルーム(要は防音電話ボックス)を購入するのが当たり前になる時代が来るのかもしれません。

また、担当の技術者が通訳者のPC に常時アクセス可能な状態も必要です。技術的トラブルが発生した場合、通訳者のPC に直接入り込んで修正できるからです。このようなことを考えると、通訳専用PC には個人情報などを含むファイルを保存しないことが推奨されます。

ちなみにこのRSI ですが、通訳者にとって悪いことばかりではありません。専用PC には話者の様子はもちろん、設定すれば話者が使用しているスライドや資料も同じ画面に表示することができます。資料を直前に差し替えたのに通訳者に伝えてくれない話者もいるので、その意味ではとても助かります。そして専用システムを介して通訳者と技術者・会議運営者の間でチャットができるので、リアルタイムで運営上の微調整をすることが可能になります。

例えばパネル・ディスカッションのメンバーが急に変更された場合、会場にアナウンスする前に通訳者に伝えることもできますし、技術者が通訳者に対して「声が遠いからもっと口をマイクに近づけて」とチャットで指示を出すこともできるのです。

通訳者の間でもチャットができるのですが、これが地味にありがたい。これまではメモを書いて渡していましたが、なにぶん手書きなので時間がかかり、必要なときに出てこなかったり、いざ出てきても文字が読めなかったりするケースがありました。RSI は通訳者の連携を今まで以上に効果的にする可能性を秘めています。

私はといえば、RSI には大きなポテンシャルを感じますし、企業にとって大きなコスト削減が実現できる以上、この流れは止められないなと思います。ただ、まだ心の準備ができていないので本格的に始めるには至っていません。

私は現場で当事者と交わり、時には一緒に笑い、悩み、お互いのぬくもりを感じながら仕事をするのが好きですから、とりあえずもがいて、逃げ切れるところまでは逃げてみようと思っています(笑)。

関根マイクさんの本

同時通訳者のここだけの話

同時通訳者のここだけの話

  • 作者:関根 マイク
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2019/02/18
  • メディア: 単行本
 
通訳というおしごと

通訳というおしごと

 

文:関根マイク( せきね・まいく)

フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」(http://blogger.mikesekine.com/

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2019年5月号に掲載された記事を再編集したもので す。