通訳者が恐れること【通訳の現場から】

通訳者が恐れること【通訳の現場から】

イラスト:Alessandro Bioletti

プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!

フリーランス通訳者は移動が多いです。電車移動はもちろん、国内・国外ともに飛行機移動もしばしば。スマホや乗換案内アプリが一般的になる前は通訳会社に現場の地図を提供してもらったり、わかりにくい場所であれば下見をしたりもしましたが、今は当然そのような必要はありませんし、通訳会社も「住所を送るので、あとは自力でルート検索してたどり着いてください」というアプローチを採用しているところが多い印象です。

私が沖縄から東京に活動拠点を移したときにいちばん心配だったのが、公共交通機関が何らかの事情でストップし、予定時間までに現場に到着できなかったらどうなるのだろう、ということでした。沖縄は冬でも雪は降りませんし、私は基本的にタクシー移動でしたので、それまでは心配する必要がなかったのです。現場には早めに着くように心掛けていますが、東京は広いので、移動手段が確保できない限り、多少早めに家を出ても意味がありません。

ところが東京で本格的に活動を始めると、公共交通機関の遅延などよりも私のうっかりミスによる乗り間違いの方が頻発することに気付きました。初めの頃は品川から新大阪に向かうはずが、逆方向に乗って東京に着くという、新幹線初心者でもあまりしないようなミスをしていました(笑)。仕事のときは早めに移動しているので遅れたことはないのですが、一度大きなミスでかなり遅れそうになったことがあります。

移動には「罠」がたくさん

午後7 時頃にその日の現場を終えた私は、翌日のいわき(福島県)での会議のため、終電に近い新幹線に乗って移動しました。事前に検索・保存しておいた移動ルートにもいわき、通訳会社からもらったホテル情報もいわき、全部いわき一色だったにもかかわらず、私は何を考えていたのでしょうか、気付いたら仙台に着いていました。それも間違いに気付いて降車したのではなく、完全に仙台での仕事だと思い込んでいたのです。その年は仙台案件が多かった、というのは単なる言い訳にすぎず、実際は牛タンのことしか頭になかったのかもしれません。改札を出てから自分のミスに気付いた私は、アプリでいわきまでの最短ルートを検索して、その夜は郡山まで戻ってさびれたビジネルホテルに一泊しました(当然自腹)。翌朝は始発のローカル線で郡山を出発し、いわき駅に着いたのは午前8 時。クライアントと駅前ホテルのフロントで待ち合わせていたのが8 時15 分だったのですが、私は「さっきチェックアウトしてきました」的な雰囲気で、何事もなかったかのように装って業務をこなしました。いま考えても、あれは本当にギリギリでした!

移動といえば、荷物の扱いも重要です。日本の航空会社では丁寧かつ適切に取り扱ってくれるのでほぼ心配ないのですが、一部の外資系航空会社は扱いが荒い上に、IT 最盛期のこのご時世でも平気で荷物を紛失したりするので私はあまり信用していません。ですから、よほど長期の出張でないかぎり、私は座席上の荷物入れに入るギリギリの寸法のキャリーバッグを愛用しています。これなら紛失リスクはゼロですし、降機後に荷物を待つ必要がありません。これは私のパートナーの話ですが、ベトナムの政府系国際会議の仕事で、預けた荷物が航空会社のミスで別の国へ送られてしまい、彼女は私服で初日の仕事をすることになってしまいました。同時通訳と逐次通訳の両方がある案件だったのですが、さすがにパリッとしたスーツに身を包んだ政治家や官僚たちに囲まれた状態で、明るい色の私服はかなり浮きますし、本人もつらいだろうなあと思いました。ちなみに私の私服はガキの頃から変わらずTシャツに短パン、スポーツサンダルが定番なので、この服装で通訳するなんてあり得ません。恥ずかし過ぎて考えたくもありません。このような恥辱プレイ(笑)を恐れているので、荷物は基本的に機内持ち込みなのです。

ドーピングした通訳者

もう一つ、通訳者が恐れることといえば、声が出なくなることでしょう。喋しゃべれない通訳者ほど役に立たない存在はないかもしれません。私は今でこそ日本会議通訳者協会などのネットワークを通じて、信頼できる通訳者仲間を得ているので、万が一の場合は穴埋めをお願いできますが、それでも喉を痛めて喋れなくなるのは通訳者にとってかなりの恐怖です。当面の収入がどうのこうのではく、クライアントや通訳会社の信用に関わる問題になるからです。

私はもともと喉があまり強くなく、中学に入るくらいまでは気管が弱いから無理をするなと親に心配されていました。中学でテニスに夢中になってからは自然と改善された気がするのですが、それでも扁桃腺が腫れやすい傾向は今になっても変わっていません。東京に移住してから数カ月後、朝起きたら扁桃腺が見事に腫れ上がっていて、まったく声が出ません。喉の奥にピンポン玉が詰まっているような感じと言ったらわかりやすいでしょうか。その日の現場は幸い夕方からだったので、近所に住む翻訳者友達にLINE で相談すると、近くにあるクリニックを紹介してくれました。医師の診断によると、引っ越しと仕事に伴うストレスが原因ではないかとのことでしたが、原因はともかく夕方の案件に間に合うように治療してくださいと頼むと、ボルタレン(非ステロイド性消炎鎮痛剤)とステロイド注射を処方されました。その際に「これ、腫れはかなり引くと思いますが、副作用で強烈な眠気がくる可能性がありますから注意してくださいね」と言われたのですが、それって注意しても避けられないよね、と心の中でツッコミを入れながら、お礼を言って帰宅しました。

昼寝して休んだ後、夕方に出勤です。かなり腫れは引いていましたが、いつもの声が戻ってきたわけではなく、むしろプロレスラーの天龍源一郎に毛が生えたような枯れ声です(ググってください!)。しかし辛うじて絞り出せるくらいには回復していたので、クライアントに不思議な顔をされながらもなんとか最後まで責任を果たすことができました。昼寝したので眠気は感じませんでしたが、ドーピング検査されたら確実にアウトだったでしょう。これでパフォーマンスが驚異的に上がっていたらステロイド漬けの毎日が始まっていたのでしょうが、残念ながら集中力も記憶力も大して上がりませんよ。経験者談。ストレスフリーな生活をして、ちゃんと食べて運動して寝ろ、というのが今回の教訓です。ありきたりですが、基本が大事ですね。

関根マイクさんの本 

同時通訳者のここだけの話

同時通訳者のここだけの話

  • 作者:関根 マイク
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2019/02/18
  • メディア: 単行本
 
通訳というおしごと

通訳というおしごと

 

文:関根マイク( せきねまいく)

フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」(http://blogger.mikesekine.com/

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2017年11月号に掲載された記事を再編集したもので す。