寄席で圧倒的人気を誇り、ラジオやテレビ、雑誌といったメディアにも引っ張りだこの講談師・6代目神田伯山さん。『ENGLISH JOURNAL』50周年を記念して、一時は絶滅を危惧されるまでに衰退した講談に再びブームを起こした「講談界の風雲児」に、古典演目を編集・構成し、観客に魅力的に 提示する テクニックを聞いた。
「6代目神田伯山」が面白いのはなぜ?
人間の恐ろしい情念がうずまく怪談、写実的かつ当時の現代劇である世話物 *1 、忠義のために本心を隠し通す武士の姿に涙する義士伝――。
取りつかれたように言葉を紡ぐ講談師の姿にあっという間に引き込まれ、一席終わった頃には 「講談ってこんなに面白かったの?」 という衝撃が残る。
初めて伯山さんの高座を聞いたときに、このような経験をした人は多いのではないだろうか。事実、伯山さんの芸は古典芸能になじみのなかった多くの観客をも引き付け、衰退していた講談にブームをもたらした。
古典というテキストを師匠から受け継ぎ、自らの解釈・編集を加え、お客様の前で魅力的に 提示する 、という「トランスレーション」の 作業 は、どこか通訳ガイドなどの英語を使った仕事にも通じる。
伯山さんを通すと、現代とは言葉も感覚も違うはずの古典の演目も、予備知識なしに「現代のエンターテインメント」として純粋に楽しめてしまう のは、いったいなぜなのだろうか?
インタビュー前編では、その妙技と、人を引き付ける話し方のこつを聞いた。
お客様の「聞く態勢」づくりを徹底する
心理的なハードルを取り除く
伯山さんは、講談師でありながら落語芸術協会の寄席で前座修行 *2 を行った。
落語を聞きに来たお客様の前に、前座として講談師が登場する *3 ――。講談が今ほど知られていなかった当時、まさに「アウェー」の空気だったと言う。
さらに状況を難しくしたのは、基本的に落語が笑いの多い芸であるのに対し、講談が主に扱うのは軍記物や歴史物、という性質の違い。多くの講談師が最初に習う「三方ヶ原(みかたがはら)軍記」も、初めて講談を聞くお客様には非常に難解で、笑いがメインの寄席の空気を壊しかねない。
そんな状況の中、どうやって自分の講談に耳を傾けてもらうか。苦心した伯山(当時松之丞)さんが行き着いたのが、本来前座は話すべきでないとされる「まくら *4 」だった。
お客様の「講談ってなんだ?」「こいつは何者なのか?」という疑念に対して、 まず自分はどういう人間でどういう立ち位置なのか、といった背景を説明する だけで、お客様の聞き方が相当変わりましたよね。
講談の雑学と私の立ち位置をできるだけ軽く、しかも笑いにくるんで言う。内容が堅い演目を読もうとするときほど、お客様に付いてきてもらうのが大事なので、まずは笑いからスタートして、 「この人の言うことを聞いてみよう」と思ってもらう 。「前座でまくらは振るべきではない」と言われますが、 講談が知られていない、そして自分が知られていないという前座時代こそ、まくらがいちばん必要だった んです。
そうそう、生意気ですが、当時は一部のお客様に何を言われても、完全に無視していました。今もそうですが(笑)。 「どう考えても今この状況だったらこれが必要だ」と思ったことをやる 。それを貫く意志は当時ありましたね。 前座だろうが、それがプロだと思います。
もっとも、芸が洗練されていれば、まくらがなくてもお客様を振り向かせることができます。ただ、前座のうちはそれもない。芸を成長させることはもちろん大事ですが、それと 同時に 今目の前にいるお客様をなんとか引っ張りたいというとき、今、自分の出来る精一杯で聞いてもらう態勢を整えることも大事だ と考えていました。
昔よりは、講談に対する自信も付いてきて、本編だけでも十分わかりやすく聞いてもらえるだろうと思えるようになったということもあるのかもしれません。
先日開催されたあるイベントで、コロナ感染防止対策の 影響 で観客の入場に予定以上の時間がかかり、開演時間が遅れてしまった。ようやく幕が開き舞台に登場した伯山さんは開口一番、「全部主催者の責任です」という、冗談交じりの愚痴を口にした。
最初に「主催者どうしようもないですね」と言ってわかりやすく悪者をつくり、「開演時間が遅れたことで講談の時間が短くなってしまうのでは」と不安を感じているであろうお客様に対し、「時間は変わりません」と明言しました。
最終的には主催者をフォローしつつも、軽く笑いを入れながらこうした内容を言うことで、お客様の気が晴れて、ライブに一体感が生まれるんです。
環境を整える
「お客様の聞く態勢をつくる」という意味においては、心理的な面に留まらず、環境の面への配慮にも余念がない。開演2時間前には会場に入り、すべての観客が講談に集中できるよう、マイクや照明といった設備を入念に調整する。特に、あらゆる席から十分に演者が見えるように高座の高さを調節するのは、いちばん大事な 作業 だ。
さらに、会場の規模にもこだわりがある。
だから、真打の披露目興行といった特別な会など例外はありますが、今独演会は基本的に800人以下のホールでなければやらない、という 基準 を設けています。 自分がお客だったとき、大きいホールに聞きに行っても満足度が低かった ので。初めて講談を聞きに来た人が、「なんだこんな感じか、もういいかな」となってしまうと元も子もないですから。
演者でも、「売れるなら入るだけお客様を入れたらいいじゃないか」と思っている人も多いと思うんですけど、私は定員をかなり意識しています。
常々、 2つの道で迷ったら、「自分がお客だったときにどちらの選択をしている芸人を見たいか」という 基準 で考える ようにすると、あまり間違いがないのかなと思っています。
お客様に合わせた演目選び
話芸において、「観客にウケる かどうか はネタ選びで8割決まる」と言われている。伯山さんは、150以上の持ちネタの一つ一つの性質を見極めて高座にかけ、それを繰り返しながら演目選びの精度をさらに上げていく。
会場を見渡して、明らかに「テレビで自分のことを知って来てくれた人かな」というお客様が多ければ、とにかくわかりやすくて楽しい話をします。それでも、自分がまるっきり成長しないというのは嫌なので、例えば3席ある独演会なら、少しだけお客様に甘えて、あまり得意ではないネタを1席入れる、というふうにしています。これは自分の成長のためです。
また、例えば愛知県西尾市は吉良上野介(きらこうずけのすけ)の地元なので、なんとなく名古屋では「赤穂義士伝」がウケづらい *8 。一方で、土地のヒーローが登場するネタは当然ウケる。そういうふうに、土地によっても喜ばれるネタが変わります。
例えば、歌舞伎の人気演目「熊谷陣屋(くまがいじんや)」は、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)という武士が忠義のためにわが子を犠牲にするという悲話で、歌舞伎では隙のない役者の芸によって物語を堪能することができるものの、現代の感覚で「主君のための子殺し」というテーマに感情移入することはなかなか難しい。
もちろん、そういう話も私は好きですし、お客様に共感されにくいからといって切り 捨てる のも違う気はしますが、なかなか難しい問題だと思います。
講談は大衆芸能なので、お客様に来て喜んでいただこうというのが大 前提 です。あまりこちらから 「講談とはこういうものだ」というのを押し付け過ぎると、お客様は離れてしまう 。講談のよさは感じていただきながらも、結果としていかに「楽しかった」「面白かった」「また来たい」と思っていただくかが勝負だと思っています。
例えば、血筋のない(歌舞伎の家の出身ではない)歌舞伎役者の苦悩を描く「中村仲蔵」という演目の場合、歌舞伎自体になじみがないお客様が多いと考えられる地方の会場と、歌舞伎の背景知識を持っている常連のお客様が多いと考えられる東京の会場では、自ずと笑いの量やシリアスさが変わってくる。
高座は「本番」であると 同時に 、トライ&エラーの場でもある。お客様の反応を見ながら、少しずつ鉋(かんな)をかけるように演目を洗練させていく。受け手はどういうものを喜ぶか、自分はどんなものをやりたいのか――そのバランスを取りながら繰り返し高座にかけていくと、ネタの輪郭が明確になっていくと言う。
提示する ことの重要性">テーマを 提示する ことの重要性
「講釈師、冬は義士、夏はお化けで飯を食い」と言われるほど講談の代表的な演目、「赤穂義士伝」。人形浄瑠璃や歌舞伎でも「仮名手本忠臣蔵」として長い間愛される物語だ。伯山さんはこの赤穂義士伝を読むとき、最初に「赤穂義士伝のテーマは忠君愛国ではない。ありとあらゆる人と人との別れがテーマだ」と説明する。
この物語は忠君愛国というより、 誰もが経験する大切な人との別れをテーマとした普遍的な物語として捉えれば、より面白いんだ というふうに、テーマ性まで説明する。いわゆる 「解説者」 ですよね。
講談師はもともと、字の読めない人に向けて(本などに書かれた)話の内容を説明した職業でもあるので、「赤穂義士伝」を知らない人が増えた今、それを丁寧に解説するというのは、講談師の役割なのかなとも思います。
お客様を引き込むための話の組み立て方
すべての演目は師匠方に稽古をつけてもらって高座にかけるが、その際の演出はそれぞれの講談師に一任されている。時には、受け継いだ演目の筋自体を独自の工夫で変化させることもある。講談になじみのない観客でも楽しめるよう、編集を加えアップデートしていく 作業 だ。
粗筋はこうだ。四十七士が、吉良邸討ち入りを成功させるため、家族にも知人にも話すことなく、極秘裏に計画を進めている。討ち入り前日、四十七士の1人、大高源吾が煤竹売りに変装して明日の討ち入りを思っていた頃、両国橋で偶然旧友の俳諧師・宝井其角(きかく)に出会う。2人は句を詠み合うが、其角は、源吾らしからぬつまらない句に違和感を覚える。
源吾と別れた翌日、其角はようやくその句が吉良邸討ち入りの暗喩であったことに気付き、討ち入り直前の源吾に無礼を詫びて別れの句を詠む。
この場合、 会話から入ると効果的 で、例えば「どういう意味だ?年の瀬や 水の流れと 人の身は/明日待たるる その宝船・・・どういう意味であろう?なんでこの句を・・・」と其角のせりふを言ってから、「卍巴と降る・・・」と入った方が、初めて聞く人にも、 「この俳句の意味がこの話のテーマなんだな」ということがわかりやすい 。
さらに、この俳句の意味、つまり討ち入りに行くということを自分に知らせる句なんだ、と其角が気付いたときに、 お客様も「そういうことだったのか!」と一緒に謎が解ける 。こんなふうにちょっと変えるだけで、伝わりやすさが変わるんです。こういう工夫は、ほかの先生(講談師)方もしていると思います。
「すべてをわからせる」必要はない
演目を編集するにあたって、厳密に「この部分は変えてはいけない」という決まりはないが、師匠・松鯉さんの持ちネタ「勧進帳(かんじんちょう)」など、古くから親しまれてきた格式のある演目などは、あまり手を加えずにやる方法もある。
ある種「ブランディング」のようなもので、こうした格調のある読み物はあえてわかりやすくかみ砕くことはせず、昔からあるやり方でお客様に聞いてもらう。
一方、理解しやすいよう手を加える演目の場合も、すべてを説明していると野暮になってしまうため、お客様の「わかる」と「わからない」のバランスに配慮しながら調整していく。
この役は主人公の位にふさわしくない端役なのだが、歌舞伎の忠臣蔵を知らない人にはピンとこない。ここで伯山さんは、「仮名手本忠臣蔵」という演目が全11段に分かれていること、3・4・6・7段目と見せ場が続くこと、そして5段目というのはその間に挟まれた、いわゆる「弁当幕」(弁当を食べながら見る幕)であることを説明する。
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ec.alc.co.jp*2 :講談師や落語家には、「見習い」「前座」「二ツ目(ふたつめ)」「真打(しんうち)」という階級があり、それぞれ約1カ月、約4年、約10年の修行期間を経て真打に昇進する
*3 :寄席では、前座が最初に高座(寄席の舞台)に上がって、空気を温める
*4 :落語で、本題に入る前に行う小噺(こばなし)のこと
*5 :講談師の人数、男女比は当時のもの
*6 :興行場などのお客様の出入り口のこと
*7 :江戸末期に大坂で成立した語り物。三味線を伴奏とする。「浪花節(なにわぶし)」とも
*8 :「赤穂義士伝」は、18世紀初頭の元禄年間に実際に起きた「赤穂事件」を基にした演目。江戸城で赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介に斬りつけたとして、浅野内匠頭が即日切腹となった一方、負傷した吉良上野介には一切お咎めがなかった。これを不服とした赤穂藩国家老・大石内蔵助(くらのすけ)をはじめとする赤穂藩の旧藩士47名が、元禄15年(1703)12月14日未明に本所・吉良邸への討ち入りを果たす物語
*9 :せりふ以外の、状況を描写する文章のこと
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