フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。今回は、心があまり上向かないときでも、ある種の翻訳では温かい気持ちになるというお話です。
「読者がついた」のかもしれません
EJOをお読みのみなさん、こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。東京はちょうど非常事態宣言の延長が決まったところですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
前回の記事 は存外多くの方にお読みいただけたようで、SNS上では友人知人に留(とど)まらず多方面からさまざまに共感や慰労のお言葉が届き、 感謝 とともに、すこし不思議な気持ちになりました。なかでもうれしかったのは、「どんなテーマであっても、平野さんの書くものを楽しみにしています」と言ってくださった方が多くあったことです。もしかするとこれが、「読者がつく」ということでしょうか。
全6回の予定で始まった本連載も気づけば今回で16回目。いつも納得ゆくものが書けるとは思えませんが、読者のご厚意に甘えて、今月も書ける範囲で書いてみることにします。
音と心
さて、 前回の記事 から約1カ月。残念ながら 引き続き 上向かない日々が続いています。私にとって、そんなときなにより気を紛らわせてくれるのがラジオです。
テレビや動画と違い「音」だけを介して聴く人に寄り添ってくれるのがラジオのやさしさ、しなやかさ。小学生のころから大のラジオ好きで、日常生活でも聴覚情報を頼りに、裸眼で外出するのは平気でもイヤフォンをしたままだと怖くて20mも歩けない、という変わった生き物の私にとって、 そもそも ラジオの無い人生は想像もできません。
とりわけ弱った心には、ひとりしゃべりの番組ならこちらに直接語りかけてくれるような空気が救いになりますし、2人以上のトーク番組であればカフェやファミレスで楽しそうな隣人たちと空間を分かち合っているような、久しく味わっていない雰囲気を演出してくれます。
幸い毎日よく晴れるのが東京の冬の取り柄(とりえ)なので、穏やかな日差しがさんさんと降りそそぐ南向きの仕事机に頬杖(ほおづえ)をついてぼんやりラジオを聴いていると、胸のざわつきをいくらかなだめて過ごすことができるみたいです。
小説と心
そういうわけでいま我が家では常時ラジオが流れているのですが、とはいえ仕事もしないわけにはいきません。元気なときと同じペースでバリバリこなすのは到底無理でも、すこしずつ着実に進めてゆく必要があります。
目下、出版翻訳が1点と戯曲翻訳が1点、さらに映像翻訳が1点あり、請負順や締切の関係で特に優先すべきは出版と戯曲なので、この2作をうまくハンドルしたいところなのですが・・・出版の方は純文学、それもかなり重厚で修辞的な小説で、これとがっぷり四つに組むにはまだ精神力が追いつきません。覚悟を決めて訳し始めても、厭世(えんせい)的な語りに呑(の)み込まれて すぐに 意気阻喪してしまう。
とてもじゃないけど今、こんなものを訳すのは無理だ。訳すどころか読解すら叶(かな)わない。まずなにかリハビリをしなければ。でも、翻訳家にとってリハビリってなんだろう。
戯曲と心
そこでふと、戯曲の翻訳から進めた方が負担が 少ない のではないか、という考えが浮かびました。
いうまでもなく一口に翻訳と言っても分野によって大きく性質が異なるわけですが、その中でも戯曲の翻訳はかなり特殊な部類に入ると思います。「ト書き」と呼ばれるナレーション部分を除きすべてが台詞(せりふ)で構成されているばかりでなく、俳優が実際に舞台上で発語し、観客がそれを耳で聴くことを 前提 に訳出するという点で、映画やテレビの字幕のような「読む台詞」の翻訳とも根本的に異なっています *1 。自(おの)ずと、すべての台詞を俳優に成り代わって演じるように口ずさみながら訳してゆくことになります。重苦しい小説の地の文を睨(にら)みつけながら訳す 作業 に比べると、これだけでもかなり軽やかな営みと言えます。
そのうえ今回の仕事は新作の、いわゆる「書き下ろし」です。外国の劇作家が書き上げたばかりの、まだ誰も読んでいない台本に世界で初めて目を通すのです。まれに、世界的大作家が新作を全世界同時刊行、というようなケースがありますが、そういう場合でも原語の編集者やエージェントは翻訳者よりも 先に 読んでいるもの。翻って戯曲の書き下ろしの場合、ほとんどの場合は翻訳者が正真正銘最初の読者。誰よりも 先に 物語を発見する役目には得も言われぬ興奮が伴います。なんだかケチな特権意識を振り回してしまって感じが悪かったらすみません。その代わりと言ってはなんですが労働に比して実入りの極めて 少ない 業界なので見逃してください。
声と心
さらに、今回の新作戯曲のもうひとつの特色は「当て書き」が用いられていることです。「当て書き」とはどの役を誰が演じるか、予(あらかじ)めキャスティングした上で書き下ろす手法。各俳優の個性や強みを活(い)かした書き方ができるという利点がある一方、予定調和的な人物造形に留まってしまうリスクにも注意が必要です。知らんけど。
で、この「当て書き」、場合によっては翻訳にも大きな 影響 を与えます。
出演者に翻訳者のよく知っている俳優が多ければ多いほど、それぞれの役を頭の中で 具体的に イメージし、各人の発声や演技の特徴を意識した役に仕上げることができるからです。
では今回はどうかというと、これが私のよく知っている俳優さんばかり。自ずと訳しながらみなさんの声が聞こえてきます。きれいな声やかっこいい口調、やさしい語尾に深い響き。会話の人数が増えればそれだけ頭の中に鳴る声も増えてきて、気づけばおなじみのみなさんと食卓を囲んでいるような気分に・・・。
あれ?
これってなんだかちょっと、ラジオみたいだな。
劇場とも稽古場ともご無沙汰(ぶさた)で、打ち合わせもオンラインで、自分が誰と何をどこに向かってやっているのか見失いがちな日々の中で、当て書きの新作戯曲を訳すことを通じて、一人ひとりの顔を思い浮かべては、みんなと一緒にいる自分をイメージする。Aさんとともに笑い、Bさんの涙をふき、Cさんの怒りにハラハラしたりして、なんだかちょっと、忙しい。
その一方、みんなが初めて台本に目を通す瞬間を想像しながらひとり、秘密のプレゼントをしたためているような気持ちも。
みんな、喜んでくれるかなあ。
僕の中のあの人にはこうしゃべってほしいけど、あの人にはしっくりくるだろうか。
こんな台詞言えない、なんて言われたらどうしよう。
この訳語は「あえて」なんだけど、伝わるかな。
「平野さんの台詞は言いやすい!」って思われたい。
でも、言いにくかったら率直に教えてほしい。
俳優さんて、言いづらくても自分でなんとかしようとして頑張っちゃうから。
でもとにかく、はやくみんなに読んでみてほしいなあ。
そんなこんなで今日もまた、机の上で一足早い新作稽古の真っ最中。
にぎやかに、ひそやかに。
心の演劇ラジオを鳴らしながら。
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*1 :厳密には、「机に向かって読む戯曲」として訳出する戯曲翻訳に対し、原作戯曲を個別の公演に合わせて演出的意匠も勘案しつつアレンジし訳出するものは「上演台本」と呼ぶべきですが、一般の方にはあまりなじみのない言葉だと思うのでここではあえてざっくり「戯曲翻訳」としておきます。平野暁人(ひらの あきひと) 翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛けるほか、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『 隣人ヒトラー 』(岩波書店)、『 「ひとりではいられない」症候群 』(講談社)など。
Twitter: @aki_traducteur