「ダメ」な自分を見せてはいけないの?在宅ワークの翻訳家が語るうつ

舞台芸術翻訳・通訳の世界

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。今回は、時折やって来る抑うつ傾向と闘いながらの通訳、翻訳、執筆の仕事についてです。

抑うつと闘う

EJOをお読みの皆さん、こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。

本稿が公開されるころにはとっくにお正月気分も霧消していることでしょうが、これを書いている今は2021年1月4日なのでまだ幾分お正月です。読者の皆さんは勢いを増す疫禍にめげずよい年末年始を過ごされたでしょうか。むしろ災厄の渦中にあって「よい」の定義から多くの煩悩が削(そ)ぎ落とされ、「健康であること」「仕事ができること」くらいにスリム化されて以前より幸せを実感しやすくなっている人もいるかもしれませんね。

さて私はというと、ぜんぜんよい年末年始ではありませんでした。理由は年末から自宅で独り、抑うつ傾向と闘っているからです。

昨年12月に刊行された私の著作を読んでくださった方(まだの方はもしよろしかったらいますぐ買え)はご存じのとおり、私は人格形成期を種々様々な暴力に晒(さら)されて育っておりまして、また実際には本に書いたぶんのざっと8兆倍くらいハードコアな事象をギリギリでサバイブしているため、今も心にそれなりの傷が残っています。まあ本に書けちゃう程度の内容っていうのは結局大したことないんですよねー。

特に年末年始と誕生日のあたりには強烈な落ち込みがやって来がちです。呼んでもないのにねえ。律義に来やがるんだよねえ。やっぱりどこかに自分の存在を否定する気持ちがあって、節目の時期にはそれが顕在化するのでしょう。我ながらわかりやすい。ついでに言うと私がいつも褒められたがっているのはこの自己否定感情に起因していたりします。もうずいぶん苦労してがんばってきたので、残りの人生は褒められていたいんですよね。頼むよほんと。って誰に言ってんだ。

で、抑うつがきつくなると思考がまとまらず長い文章を読み書きしたり精緻な構成を練ったりすることが難しくなるのですが、とはいえ締め切り日はやって来ます。いくらEJOさんがいつも本当によくしてくださるからと言って、冨樫義博*1でもないのにこっちの都合でぽんぽん休載なんてさせていただくわけにもいかないのです。

というわけで今月はいっそのこと「フリーの語学屋と抑うつ」をテーマに書いてみようと思います。元気もまとまりもないけどよろしくねー。

とほほ。

病の手前で暮らす

思えば過去には摂食障害がサク裂して栄養失調でリアルに死にかけたりしていた私ですが(文系の大学院生って自由になる時間があり過ぎるし病みやすいんだよね)、おかげさまで現在は状態が悪いときでも「病」と呼ぶべきゾーンの手前に踏みとどまって最低限の暮らしをキープすることができています。

「最低限」というのはまず自炊*2、掃除、洗濯、入浴がきちんとこなせていること。また、睡眠が確保されていることです。特に私のように自営業かつ独居の場合、長期の稽古場通訳のような仕事は別として、翻訳や執筆など原稿仕事が中心の時期は他律的な力がほとんど作用せず、8割がた自分の気力だけで快適な生活環境を実現、維持する必要があります。それを思えば家事が達成できている時点で最低限どころかかなり立派な暮らしと言ってもいいかもしれません。やっぱりえらいんだなあオレ。うんうん。よくやってる。ほんとよくやってるよ。

食事や睡眠が健康の要であるのは言うまでもないとして、在宅で仕事をする人にとっては住居(=職場)の衛生環境も精神衛生に直結する大切なポイントです。人間は垢(あか)や埃(ほこり)では死なないので本来なら元気がないときに無理して掃除なんてしなくていいのですが、だからといって放置してあまり極端に悪化させてしまうとそのままセルフ・ネグレクト*3(自分で自分のケアをすることができなくなり社会生活に支障をきたす状態)に突入してしまう危険もあるので、日頃から自分の状態の変化に留意しておく必要があります。例えば私のような大のお風呂好きがお風呂に入れなくなったら相当やばいというサインです。・・・なんかいよいよなんの連載だかわかんなくなってきたな。

ちなみに、先ほど「8割がた」と書きましたが、残りの2割は陰に陽に力を与えてくれる友人たちに支えられています。私は常日頃から、自分ほど友人に恵まれている人間は世界中探してもいないのではないかと思っていまして、感謝してもしきれません。みんなどうもありがとー。ペコリ。

病の手前で通訳する

次に仕事について。

翻訳と通訳は実はかなり性質の異なる仕事なので、まずは通訳に関してお話しすると、そういうわけで友人たちに助けられなんとか最低限の暮らしを維持できているおかげで、幸いどんなに元気がないときでも現場に穴を開けたことはございません(みんな本当にありがとう、と何度でもお礼を言っておきたい)。劇場の通訳などという夜討ち朝駆け低賃金の三拍子そろった商売を10年以上続けていながら、病欠も早退もたぶんただの1日もないです(遅刻はある。けっこうある。しかもふつうに寝坊とか)。

えっ。

シンプルにすごくない?

まじめな話、舞台芸術の通訳者というのは実は誰よりも休めない仕事なんです(やっと連載名に沿った話になってきたぞ)。俳優は休んでもその人が出ていないシーンの稽古をするという手があるし、演出家が休んでも自主稽古くらいはできるけど、演出家も俳優も全員そろっているのに通訳者だけがいない、という場合は急遽代わりの通訳さんを探す以外にほとんど手段がない。といって芝居の稽古場に入れるフランス語の通訳さんなんてそう簡単にはみつからない。そういうプレッシャーに耐えて、雨の日も風の日も雪の日も、インフルエンザで俳優がバタバタ倒れて公演中止の危機に瀕したときも休まず働いてきました。

しかし振り返ってみると、現場に立っているときは平気でも、全日程が終了した翌日にばったり倒れて熱を出したり、起き上がれなくなったり、抑うつが襲ってきたりすることが少なくない気もします。

作品づくりの現場で通訳に立つということは、最先端のアートを生み出してゆくかけがえのない時間であり、他に類を見ない刺激と喜びに与(あずか)れる反面、人と人との気持ちの橋渡し役として、さらには緩衝材として、ときには瘴気(しょうき)にも等しい膨大な感情的負荷を一身に浴びながら身を挺(てい)して稽古場の空気を整え、チームの瓦解(がかい)を食い止める防波堤のような役回りをも務めます。現場で通訳しているときは緊張感とアドレナリンで抑圧しているものが、任を解かれた瞬間に堰(せき)を切ったように溢(あふ)れ出すのかもしれません。

私のように一切の帰属を持たない完全なフリーランスとして働く人間にとっていちばん大切なのは信頼であり安定感です。ひとたび仕事に穴を開けて依頼主からの評価が低下すれば文字どおり死活問題に直結してしまうので、どうしても無理をして献身的に働いてしまいがちなところがあります。

けれど一方で、無理が祟(たた)って自身に深刻な不調をきたしたとしても、なんの補償もありません。がんばって作品を世に送り出したのち、自宅で人知れずぺしゃんこになっていても、ただひたすら独りでまた膨らむのを待っているほかない。そして再び順調に膨らんで元どおりになる保証もない。

その代償として自由を得ているのだろうと言われればそのとおりなのですが、そう考えると長くフリーとして働ける人であるためには適度に手を抜く柔軟性も求められるのかもしれないなあ。実際、「自分はギャラその他の条件に応じて然(しか)るべく手を抜くし、それがプロの働き方だ」と主張する同業者と論争をした経験もあります。あのときは手抜きなんてどんなことがあっても許せないと思ったけど、今思えば一理あるような気もしますね。そしてその意味では私はまったくフリーに向いていないかもしれません。我ながらいつも全力だからな。困ったな。

病の手前で翻訳する

なんだか単に仕事に疲れた通訳者の愚痴みたいになってしまいましたが、それでは翻訳業務についてはどうでしょうか。翻訳には通訳のような身体の拘束はありませんし、それどころか生身の人間とやりとりする必要すらなく在宅で、完全に自分のペースで行えるので、通訳のように絶えず他人の世話を焼き続ける仕事と比べはるかに負荷が少なく弱っているときでも比較的遂行しやすいタスクですとか思ったら大間違いです。違うのかよ。違います。弱ってるわりには我ながら長いフリだなあ。すいません。

人にもよるかもしれませんが、すくなくとも私の場合は逆で、心が弱っているときは通訳よりも翻訳の方がむしろずっとしんどい。というのも「暮らす」のところですでに述べたとおり、居職(いじょく)でしかも独居の人間には他律的な力が一切働かないからです。

先ほど「通訳は膨大な感情的負荷を一心に浴びる」と書きましたがその反面、家や宿舎に独りでいると摂食もままならないほど状態が悪くても、稽古場や劇場へ行き大勢の仲間と一緒に創作に打ち込んでいると一時的に元気になるような感覚が得られることもあります。単に気が紛れるだけでなく、絶えず自己の一部を他者に明け渡さざるを得ない職業柄、演出家や俳優の情熱的な言葉が自らの身体を通ってゆく過程でカンフル剤のように作用してくれるのだと思います。

翻って翻訳の仕事はどこまでも自由裁量。もちろん「締め切り日」はありますが、私が手掛けるような文芸翻訳の締め切りというのは一般にそれなりの長期で設定されているので目先の強制力がありません。そのため弱っているときはいくらでも弱れてしまう。一日中部屋を締め切って寝込んでいても誰も起こしに来ないし、食事をしなくても誰にも心配されない。人知れず廃人のようになれてしまう。このあたりの感覚は、在宅ワーク、リモートワークが飛躍的に広まった今日、共感してくださる方も増えたのではないでしょうか。

もちろん寝込んでいる間にも締め切りは刻一刻と迫ってくるわけで、先方に多少の調整はお願いできますが(EJOさんいつもありがとうございます)それも程度問題ですし、とにかく任せてもらえた仕事は無責任に投げ出すわけにはいかないので、弱った心身に鞭(むち)打ってPCに向かいます。

しかし衰弱した神経で他人の、それも外国語で書かれた言葉を理解することのなんと難しいことか。一度読んだだけではぜんぜん入ってこない。以前この連載でも書いたとおり、翻訳なんてただでさえ絶望的に難しいことをやっているのに、まして自分の思考が混濁しているさなか他人の思考の痕跡を辿(たど)るなんて完全に倒錯しています。はっきり言ってできるわけねえ。

でも、なんとかしますけどね。

一回読んで頭に入ってこないものは十回でも百回でも音読して身体に落とし込みますけどね。

プロですから。

とても大事なことなので念のため繰り返しますけど、今までどんなに弱っていても現場に穴を開けたり原稿を落としたりしたことはないですから。

病の手前で執筆する

というわけで、今もなんとか原稿を書いています。

EJOの担当Sさんは本当にいつもよくしてくださるので、今回も締め切りを大幅に調整していただきつつ、えっちらおっちら書いています。

実を言うと、休載をお願いすることも頭をかすめました。

だって、もっとずっとわくわくするような原稿を書くべく資料を読み込みながら準備していたんです。2021年1発目にふさわしい刺激的な翻訳試論を発表するつもりだったんです。だから、イメージしていたような充実した記事が書けないのなら、いっそ休んで、元気になるまで待ってもらった方がいいのかな、って。

でもさ。

それだとなんだか、元気な自分以外はダメみたいじゃないですか?

元気じゃない自分も自分なのに、それを認めてやれなかったら、ますます自分が追い詰められていくような気がしませんか?

もしも大切な友人が弱っていたら、私は必ず「いつも元気じゃなくても大丈夫だよ」って言います。「元気なあなたも、元気じゃないあなたも、どっちもあなたに変わりないよ。どっちのあなたも大切だし、大好きだよ。だから安心していていいよ」って言います。心の底から言います。嘘(うそ)偽りない気持ちとして言います。

ところが、自分で自分に同じことを言ってあげるのはとても難しい。

他人にならなんの抵抗もなく心から言えるのに、言われる側になるのはどうしても抵抗がある。

自分は元気でありたいと思ってしまう。

元気じゃなきゃだめだと思ってしまう。

期待に応えたいとか、格好良くいたいとか思ってしまう。

そうして、がんばり過ぎてしまう。

でもそういうの、そろそろやめます。

元気で楽しいところだけ見せようとせず、かといって露悪的にもならず。

弱っているときは弱っているなりに、ヨボヨボ書いてゆくことにします。

元気を装い書くことに蝕(むしば)まれるよりも、書くことを杖として立てるように。

 

次回は2021年2月10日に公開予定です。

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*2:気力がなかったら自分で作る必要なんてないですよー。幸い今は時節柄(つまり本当は幸いじゃないんだけど)テイクアウトも充実しているし、その時々の負担減を最優先に判断、活用してゆきましょー。

*3:https://www.lab.toho-u.ac.jp/nurs/community_nurs/staff/tjoimi0000001s65-att/tjoimi0000001xz4.pdf

平野暁人

平野暁人(ひらの あきひと)翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛けるほか、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。
Twitter:@aki_traducteur