劇場の「リモート稽古」とは?「舞台芸術」の「リアル」の意味【オンライン通訳】

舞台芸術翻訳・通訳の世界

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。今回は、海外とつながって行う劇場の「リモート稽古」の現場から、オンライン通訳や本番の様子をリポート。

4カ国の舞台関係者が集うオンライン通訳を完遂

EJOをお読みのみなさん、こんにちは。翻訳家(で、通訳者)で疲労困憊(こんぱい)の平野暁人です。

前回の記事では「オンライン通訳の今」について、最前線で戦う実務家ならではの視点に基づき詳細にお伝えするつもりが自らの実力不足を棚に上げて最初から最後まで逆ギレに終始するというたいへん態度の悪い内容になってしまいましたが(もちろん反省はしていない)、なんと去る10月21日にはまたまたオンライン生配信での通訳を務めてまいりました。あのですね、公共のメディアを私的に流用してまで嫌だ嫌だやりたくないってわめいてる平野に懲りずにオンライン仕事をくれるそこのあなた!どうもありがとう!(素直)

しかも今回は日仏の2カ国をつなぐようなシンプルなものではなく、シンガポール、イギリス、チュニジア、そして日本の4カ国でそれぞれ国際フェスティバルを指揮しているディレクターたちがオンライン上で結集。まずは各自プレゼンと質疑の時間をとったあと、改めて合同ディスカッションまで行うという、通訳チームにとっては「チャレンジング」なる外来語で自らを欺いておかなければ泣きながら駆け出して二度と帰ってこられなくなりそうな企画。日仏英で交わされるやりとりを誰が誰にどう通訳するのか、こっちは逐次であっちは同時、そっちは同時テクスト入力で、とまあ完全に大道芸みたいな現場でしたが、なんとか全員そろって生還しました。

シンポジウムの内容自体も極めて刺激的で、通訳しながら感激したり興奮したりと忙しかったのですが、加えて英日/日英通訳を担当された田村かのこさんの圧巻のお仕事ぶりに瞠目(どうもく)しました。田村さんは「日本通訳翻訳フォーラム」にも登壇されていたので、英語方面ではご存じの方も多いかもしれませんが、あれほどレベルの高い若手通訳者がいてくれるのは(なにかと手弁当で運営されがちな)アートの世界にとって非常に幸運なことだと思います。田村さんが代表を務めるATC(Art Translators Collective)にはほかにも相磯展子さんや樅山智子さんなど優秀な方がそろっていますし、今後の活躍と展開が楽しみです!

ちなみに「知らない人の通訳ができない通訳」ぴらの氏はチュニジア人ダンサーのソフィヤーン・ウィーシーさんの担当だったのですが、今回は知らない人どころかフランスのアーティストですらなく*1、シンポジウム冒頭で流されるビデオメッセージの字幕翻訳をしてみたら抽象言語がサクレツしまくっていて震え上がってしまい、矢も盾もたまらずソフィヤーンさんにメールを送りつけ「はじめまして。今度あなたの通訳をする者です。ぜひ個人的にお話を聞かせてください」と申し出て光の速さで勝手にアポを取り付けました。そうです、「仲良くなっちゃえ作戦・ONLINE編」を本格的に決行したのです。フェスティバル事務局は通していませんがそんなもん知っ・・・そのような形式主義に拘泥している場合ではありません。とにかく生きるか死ぬかなんだ!オレが!!(錯乱)

幸いソフィヤーンさんはすぐにお返事をくださり、「ご連絡どうもありがとう。ぜひお話ししましょう。〇日の7時でいかがですか?」と好感触。

ありがとう!

つまり日本時間の3時だね!!

朝の!!!

さすがに3時からとなると仮眠をとってもその後の1日を棒に振ってしまうのでなんとか4時開始にしてもらいましたが、これがなんか知らんがすっかり意気投合してしまい大盛り上がり。1時間以上も話し込んで、「いいか、とにかくゆっくりしゃべれ。わかりやすく、こまめに切って。常にオレのことだけ考えるんだ。客はどうでもいい。オレがうまくやれることがすなわち客のためなんだから、すなわちおまえが考えるべきはオレのことだけなんだよ。な?わかるだろ?」と言い含めました。

さらに、ここで私とソフィヤーンの距離を決定的に縮めてくれたものがあります。それは「アラビア語」です。

院生時代、アルジェリア独立戦争史を専門に研究していた私は、「フランス語で旧植民地の歴史を研究するのでは完全に支配者側の発想だ。これからの研究者はアラビア語を学ばなければ」と考え、ごく短期間ですがアラビア語に精を出していた時期がありました。その後大学院を離れてからも、いつかまた・・・と思い続けて今年再開し、あてもなく壁打ちするような学習を細々と着実に続けていたのですが、ソフィヤーンとの夜明けの対話があまりに心地良くて興が乗り、拙(つたな)いフレーズをぽろっと零(こぼ)してみたのです。

ソフィヤーンが答えの代わりにもらした、耳に深く滲(し)み入るような溜(ため)息は、どうやっても文字に起こすことができません。ただ、確かにあの瞬間、2人の間に橋が架かりました。自らの身体で他者の言葉を鳴らすとき、そうして自らを純然たる他者性に空け渡すとき、私たちは他者の心のいちばん優しいところに触れるのかもしれません。

「アラビア語までやってるの?」「なんのために?」「ほんと変わってるね」と失笑まじりの反応を受けることもありましたが、言語に限らず、好きなことをやるのに「なにかに役立つから」という理由づけは必要ないように思います。私も私がうつくしいと感じる他者の言葉をただ学んできました。だからこそソフィヤーンとの出会いは、好きなことを好きだからという理由だけで無目的に学ぶことの豊かさと可能性を裏づけてくれたように感じられたのでした。

その後も本番直前までWhatsApp*2で雑談し続け、本番中も隙を見て「ببطء من فضلك (もうちょっとゆっくり!)」とか「تفضل (しゃべっていいよ)」とか「شكرا (ありがとう)」とかちょいちょい挟んで隠密裡(り)に共犯関係を深めてゆき、なんとか無事に任務を果たして生還することができたのですが、いやあ、ソフィヤーンめっちゃいいやつ。1年後、もしも状況が許せばチュニスのフェスティバルに行く約束までしちゃった。行けるといいな。行けるような世界になっていてほしい。あらゆる意味で。

劇場リモート稽古ってなんだ?

さて、先日の興奮冷めやらぬまま書いていたらまたしても導入が長くなってしまいましたが、実はわたくしこの1カ月ほど静岡県舞台芸術センター(SPAC)にて、オンラインでの対談やシンポジウムなどの通訳よりもさらに進んだ、ある意味で最前線中の最前線とも呼ぶべき仕事をしておりました。それが現在絶賛公演期間中*3の『みつばち共和国』における「劇場でのリモート稽古」です!

「劇場でリモート稽古を行う」と聞いて、みなさんはどんな風景を想像するでしょうか。「劇場?なのにリモート?」とこんがらかってしまう人も少なくないのでは?

演劇界がこの半年、オンライントークイベントや映像配信、果ては「オンライン演劇(リモート演劇)」と呼ばれる新しい形態まで世に送り出してきたのは前回もお話しした通り。ですが映像配信はあくまでも「公演中止になった作品の舞台映像を配信する」ものであり、稽古に関しては平時(もしくはまだ感染の危険が極めて限定的と考えられていた時期)に、通常どおり対面で行われていたものがほとんどです。「オンライン演劇」に関しては稽古も完全リモートが基本だと思われますが、その名のとおり公演自体もオンラインで行うので三次元の劇場空間には一切足を踏み入れません。

翻って『みつばち共和国』の現場では、俳優、スタッフのほぼ全員が劇場に集合し、対面で稽古を行います。もちろん実際の公演が行われるのも同じ劇場です。

では、いったいなにがリモートなのか?

勘の良い読者の方はもうおわかりですよね。そうです、演出家がいないのです。劇場に。というか、日本に。

それもそのはず、私が関わる作品である以上はプロダクションのどこかにフランス人(たまーにイタリア人)が最低1人は含まれているわけで、そのほとんどは演出家(脚本家や美術家、振付家、音楽家だけというような場合も稀[まれ]にあります)。今回の『みつばち共和国』も例外ではなく、SPACの俳優陣をフランス人演出家のセリーヌ・シェフェールが演出し、日本語で上演するという構成になっているのですが、生憎(あいにく)とフランスは今、「第2波」の真っ只(ただ)中。去る10月17日にはパリを含む数都市で夜間外出禁止令(couvre-feu*4)が発効しました。そんな状況下で来日が叶(かな)うはずもなく、セリーヌだけがパリからリモートで、Zoomの画面上に映し出された舞台を眺めながら稽古を行う運びとなったのです。

しかし以前の記事でも説明したように、演出家とは作品づくりにまつわるあらゆる要素を最終的に「決める」人。その「決める」人が現場にいないのですからこれは大変です。なにが大変かというと、

ぜんぶ。

ほんとうにぜんぶが、たいへん。すごく。

いかん。1カ月にわたる稽古をちょっと振り返っただけで一瞬走馬灯が見えたせいでつい平仮名&倒置法という安っぽい手段で露骨に抒情を狙ったあげく失敗してしまった。面目ねえづら。ともあれ何がどう「ぜんぶたいへん」なのか、もうすこし具体的にお話しすることといたしましょう。

『わかりあえないことから』

手始めに最もシンプルな問題として挙げられるのが「よく見えない」です。

あ、いまずっこけた人がいますね。気持ちはよくわかります。私だってずっこけました。というか今もちょくちょく正気に戻ってずっこけています。でもな、ときには正気から目を背けることを勇気と呼ぶのさ・・・(遠い目)。

まずカメラを客席後方に設置し、舞台の上手(客席から見て右側)から下手(客席から見て左側)までがひととおりZoomの画面に収まるよう調整するわけですが、そうすると必然的に俳優さんが遠くなって細かい表情や所作が見えにくくなってしまい、これだけでも演出家のフラストレーションはかなりのものです。必要に応じてズームアップすればいいだろうと思われるかもしれませんが、演出家がどの瞬間にどこを見ているか、次にどこが見たいかは本人にしかわからないので、下手に気を回してカメラを操作すれば却(かえ)って邪魔することになりかねません。かといって、いちいちフランス語で指示をもらい、それを訳して伝えて、なんて伝言ゲームをやっていたら稽古がさっぱり進まない。

また、遠近感をつかむのもかなり難しいらしく、例えばデハケ*5ひとつとっても、奥の通路からハケたのか、それともひとつ手前の通路からハケたのかを一瞬で判断できるようになるにはすこし時間がかかります。デハケ口*6の辺りというのはたいてい薄暗かったり黒い幕が吊(つ)られていたりして見通しづらくしてありますし、ましてセリーヌは今回公演を行う劇場に足を踏み入れたこともないのですから感覚がつかみづらくて当たり前。よく見えなかったところは「今のところ、どこからハケた?あっち?それともそっち?」といちいち確認するしかありません。

そして実はこれが、通訳者にとっても思った以上の負荷となります。

というのも、自分と似て非なるものを見ている人(=Zoom画面を見ている演出家)が伝えようとする情報を即座に理解し、第三者に伝えるのは決して容易ではないからです。

そもそも人は、同じ場所にいてもびっくりするくらい違うものを見ていたり、異なる認識に立っていたりするもの。「ちょっとそれ取って」「それって?」「その鞄(かばん)。テレビの脇の」「これ?」「違う違う、そっちの焦げ茶の方」「もしかしてこれ?この黒っぽいやつ?」「そうそう」「これ鞄ていうか手提げじゃない?」「手提げ鞄なんだから鞄じゃん!」みたいなやりとりをした経験のない人はあまりいないのではないでしょうか。

狭い部屋の中に一緒にいてさえそうやって絶えず認識のズレをすり合わせているのですから、いわんや広い劇場でZoomを介しての作業となれば結果は火を見るより明らか。「ちょっとそこ立ってみて」「そこ?」「そのパネルの前」「ここ?」「そっちじゃなくてもうひとつ手前のパネル」「こっち?」「その隣」「隣って上手側?下手側?」って、

めんどくせーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

はっっっ。

いかん。ここは平常心が肝心だ。空間把握をいかに精緻に描写して伝えるか、まさに腕の見せ所ではないか。苛(いら)立つな。耐えるんだ自分。

加えて伏兵とも呼べる敵がいわゆる「二人称(きみ、あなた、あんた、おまえ等々)」です。フランス語やイタリア語をはじめとするラテンの言語では(そしておそらく英語でもそうだと思いますがわしは英語ができないからようわからんのじゃ)、この「二人称」を非常に多用する傾向があり、とりわけ興奮して呼びかけるときなどはそれが顕著に現れます。

「そこであなたはすぐあっちへ!」

「2人の動きをもっとそろえないと!あなたももっとダイナミックに!」

「あなたさっきちょっと立ち位置間違えてなかった?」

って、

誰のことだかわかんねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

はっっっ。

いかんいかん。平常心はどこへ行った。演出の意図を念頭に置いて俳優を観察し、次にどんなダメ出しがくるか絶えず予測しておかなければ。文脈を理解して急な「あなた!」にも速やかに対応する、それこそキャリアの問われるところではないか。苛立つな。見極めるんだ自分。せっかく演出家の方も冷静に振る舞おうとあんなに懸命に努力してはいるもののあからさまに苛立っているのが時空を超えてビンビン伝わってくるというのに・・・ってダメじゃん!!

『不思議の国のアカリ』

だがしかし、劇場リモート稽古には「よく見えない」なんて遥(はる)かに凌駕(りょうが)する絶望的な案件が存在します。それが「照明」です。

「よく見えない」に起因する認識のズレ程度なら、稽古を重ねるに連れて演出家の言葉から「そこ」や「あっち」といった代名詞が減って具体的な名詞による指示が増え、俳優のことも二人称ではなく名前で呼ぶようになるなど、「慣れ」で大部分が解決されるようになります。

ところが照明はそう簡単にはいきません。というのも照明の場合、問題は「よく見えない」ではなく「決して見えない」だからです。

「え?照明だってZoomに映っているはずでしょ?」と思った(照明家以外の)みなさん。

うん、確かに映ってはいる。映ってはいるんだ・・・ただし舞台を照らす明かりとは明らかに違う何物かが。

あのですね、先に申し上げておくと、私はかなりの機械音痴、というか機械嫌いです。なんせ以前はPCを買いに行っても店員さんに「メールとネットのできるワープロをください」とお願いしていたほど*7。ですからここから先の技術的な話に関しては、そんな私が極めて乏しい知識とあやふやな理解を基に書いているという前提を踏まえて読んでいただきたいのですが、そもそも肉眼で見ている光景は映像では原理的に再現できません。それを承知で可能な限り近いものを再現しようとするなら、相当の機材や技術が必要になります。

だってほら、夜に屋外でちょっといい景色に出合って携帯のカメラを起動させたけど画面の中は真っ黒でなんにも写らない、とか、屋内で写真を撮ろうとして(ちょっと暗いかな?)とフラッシュをたいてみたらあからさまに異様な雰囲気になってしまった、程度のことなら誰でも身に覚えがありますよね。なにしろ「光景」という言葉の表すとおり、「景(=物事の様子、ありさま)」がどう見えるか、どう立ち上がるかはそこに当たる「光」にかかっているのです(たぶん)。まして膨大な数の灯体*8を組み合わせて作り込んだ、複雑で繊細な舞台上の明かりとなれば尚(なお)のことです。

だがしかし、

「そこ、明る過ぎるなあ」

「ここはもっと暗くていいんだよね」

「なんか全体にやたら青みがかってるんだけど!」

Zoom上に映し出される照明を見ながら執拗(しつよう)にダメを出す演出家。実は今回の『みつばち共和国』はすでにフランスで制作されアヴィニョン演劇祭でも上演されたオリジナルバージョンがあり、今回はそれを日本語版として新たに創作するという試みなので、自分の記憶に残っているフランス版の照明と目の前の日本版、いえ、Zoom版との乖離(かいり)があまりに激しくて動揺が抑えられないのです。無理もありません。

もちろんSPACのスタッフチームはそんな演出家に少しでも精度の高い映像を提供しようと、より高機能なカメラを手配したり、厳密にホワイトバランス*9を調整したりと最善を尽くしますが、そもそも劇場のアイデンティティーは「生であること」ですから、映像技術に特化した専門スタッフは残念ながら在籍していません。

そんな中で日々「もっと明るく」「やっぱりもっと暗く」「もっと青く」「やっぱりもっと赤く」といったやりとりを繰り返しながら目の前の照明とZoom上の照明とを絶えず見比べて過ごすうち、次第に不条理が苛立ちを圧倒し一同を悟りの境地へと導いてくれればよかったんだけど実際にはみんなして頭がおかしくなりそうだったぜまじで。もっとも、「決して見えない」明かりをどこまでも追いかけていたセリーヌのつらさはそれ以上だったかもしれません。

幸い、試練の時を経て最終的には「私がこのシーンで作りたいのはこういう明かりなんだけどね」「こんな味わいを出すのが大切で」と詳しいイメージを口頭で伝えてもらい、「すこし緑っぽく見えるけど、劇場で見ていてどんな感じ?」「実際に見ている皆さんが大丈夫と言うなら信じます!」と信頼関係で乗り越えうつくしい大団円に至りましたが、この話を聞いた友人のある照明家はポツリとひと言。

「Zoom越しに照明のこといろいろ言われるとか、想像するだけで凹んでしまう」

確かにオレたち全員、ベッコベコに凹んだよ!!!!

『風の歌を聴くな』

さあ、照明ときたら次はもちろん音響です。照明があれだけ不思議の国だったのだから音響はさしずめ鏡の国に違いない(どうですかこの流れるような文芸ジョーク)、とワクワクしておいでのアナタにここで残念なお知らせ。結論から言うと、音響は、さほどの混乱には陥りませんでした。

無  理  過  ぎ  て。

端的に言って、音の演出までZoomで行うのはいくらなんでも不可能が過ぎたのです。

万に一つでも誤解があったら困るので付言しておくと、これは音作りの方が明かり作りより難しいとかそういう問題ではまったくありません。あくまでも「Zoomを介しての演出」という条件付きで比較した場合、劇場で味わう生の感覚に近いものを伝えるのが、音響の場合は照明以上に難しい(というか、少なくとも本作に限って言えば確実にそうだった)という意味です。

いや、Zoom上で「良い音質」にして海の向こうの演出家に聴かせる手段ならいくらでもあるんですよ。でもそれは「実際に劇場で聞こえている、お客さんが体感している音」とは縁もゆかりもない音です。なにしろ劇場で誰かがしゃべっている音も高性能なマイクを通さなければさっぱり聞こえないほど。さまざまな音楽や効果音、俳優の声などがシーンごとにどんなバランスで客席のどの辺りにどう聞こえているかというパラメーターを正確に共有するなど絶望的と言うほかありません。

その点は演出家の目にも、もとい耳にも明らかだったようで、自ら「私は音が出るところのタイミングだけ確認して、後は現場のみんなに任せるね」と申し出があり、時おり「ここは効果音Aの方がBより印象的に聞こえるようにして」「ここの語りはまろみのある、包み込むような音質に仕上げてね」「この風の音はしっかりめに」といった形で演出意図を説明するに留めてくれたので、音響に関しては恐れていたような大きな混乱は起きずに済みました*10

『存在するとは別の仕方で』

さあ、艱難(かんなん)辛苦を乗り越えていよいよ公演初日。

透明の遮蔽(しゃへい)板が設置された受付。スタッフは全員マスク着用。至る所に消毒ジェルを配置し、検温も実施。万一の場合に備えて緊急連絡先の記入にもご協力いただきます。入場時の案内は声を張り上げずに済むようマイクを使用し*11、距離を空けて整列した上ですこしずつ整理番号順にご案内*12

そんな厳戒態勢にもかかわらず、お客さまは口々に「うれしい」「やっとですね」「涙が出ちゃう」とマスク姿でもわかるほどの笑顔で喜びを伝えてくださり、その温かいまなざしと集中力にも助けられてゲネ*13とは比較にならないほど素晴らしい出来栄えで初日を飾ることができました。

終演後、「やっぱり劇場はいいね」「次が待ち遠しい」という背中を見送った後は再び劇場へ。みな疲労の内にも安堵(あんど)の表情を浮かべています。本番の様子は演出家もリアルタイムで観ていますから、あとはお疲れさまを言い合ってめでたく解散するだけです。

ところがです。ほどなくしてZoom上に現れたセリーヌの様子がどうもおかしい。いつもの弾けるような笑顔がありません。浮かない表情というよりは、なにか挙動不審なものを感じます。公演はあんなに良い出来だったのに、いったいどうしたのだろう・・・戸惑う日本チーム。ややあってから、「あのね」とセリーヌが口を開きました。

「あのね、私、今、ちょっと・・・なんて言っていいかわからない。今自分が観たものがいったいなんだったのか、よくわからない。公演は確かに行われたし、それはまぎれもなく私たちが何カ月も準備してきた作品に違いないのだろうけれど、少なくともこのZoomを通して見たものは、私の目には通し稽古となにひとつ変わらなく映った」

海の向こうで動揺しきっている演出家の言葉に静まりかえる劇場。

「私にとって作品というのは、劇場で、客席を前にして初めて生まれるもので、お客さんと同じ空気を吸いながら、舞台上と客席の間で立ち上がってゆく関係性を分かち合いながら完成するもので、でも今の私はそういう大切な感覚すべてから切り離されている。決定的な感覚を奪われている。だから、私は今日、確かに本番を観たけど、でもなにも観ていないの」

疫禍で二転三転を強いられた準備期間に初めてのリモート稽古、幾多の混乱と緊張を乗り越えてようやく迎えた念願の初日。だからこそ自分の作品を自分の作品として十全に感じられなかったことが、ショックである以上にあまりにも意味不明で、すっかり混乱してしまっていたのでした。

お客さんの「やっぱり劇場はいいね」とあらゆる意味でどこまでも対照的なセリーヌの言葉。けれど、この率直で剥き出しの動揺こそ、安堵や歓喜や希望と共に、今の私たちが直視すべきものにほかならないのではないでしょうか。なぜなら彼女の反応自体に、「舞台芸術」「art vivant(生の芸術、生きたアート)」のなんたるか、その精髄が集約されていると思うからです。

『みつばち共和国』は2020年10月17日、静岡県の舞台芸術公園の観客に見守られて、間違いなく立ち上がりました。お客さまの拍手も、アンケートに書き残された感動も、すべてが真実です。そうしてその頃、もうひとつの真実として、日本から約9600キロメートル離れたパリの自宅で、ただ演出家だけがZoomを前にひとり、途方に暮れていた。

今できることをやり。

今すべきことに挑み。

今したいことを夢想し。

今しかできないことを模索しながら。

私たちは今日も劇場へ向かいます。

追記:

本稿を書くにあたり、技術的な部分に関しては『みつばち共和国』チームの照明アレンジ担当である樋口正幸さんと音響担当の澤田百希乃さんのお話を参考に、友人であり照明家の吉本有輝子さんにも助言を頂きました。この場をお借りして改めて感謝申し上げます。

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*1:チュニジアの公用語はアラビア語ですが、1881年から1956年までフランスの保護領(と書くと優しげですが植民地支配のいち形態)だったため、現在もフランス語が準公用語的な存在として広く重要な地位を占めています。とりわけ高等教育を受けた人は極めて母語に近い水準のフランス語を話しますが、特別な高学歴でない市井(しせい)の人々でもかなり話せるようです。

*2:ヨーロッパで絶大なシェアを誇るアプリ。日本のLINEみたいなものでござる。

*3:この記事が公開される頃には終了しています。残念・・・ですが、おかげさまで全日程満席でした!

*4:ニュースでこの言葉を耳にして、なんだか映画を観ているような、現実味の無さに呆然(ぼうぜん)としました。もっぱら戦時中もしくはそれに準ずるような軍事的緊張下において用いられる単語が、まさか現代のフランスで耳目に触れる日が来るとは・・・。

*5:俳優さんが劇中に舞台へ登場することを「出る」、舞台から退場することを「ハケる」と言い、この2つを複合名詞化して「デハケ(=登退場)」と言います。

*6:俳優さんがデハケに使う扉や通路のこと。

*7:今時ワープロとか言っても若い店員さんにポカンとされる気がする。ってそれわざわざ脚注で書くような話かなあ。すいません。

*8:照明機材のこと。

*9:「白い紙に晴天時の太陽があたっているとき、夕日があたっているとき、電球の灯りがあたっているときでは、それぞれの白が違います。 白いものが白く写るように色の補正をおこなう機能をホワイトバランスといいます」(オリンパス様のサイトより引用)

*10:余談ながら、演出家が早々に懸命な判断をしてくれたのは、とりわけ音響チームへの負荷がにわかに高まっている昨今の状況に鑑みて非常にありがたいことでした。というのも疫禍での公演再開にあたり防疫と舞台芸術を両立させるための模索が全世界規模で続く中、飛沫(ひまつ)対策として台詞(せりふ)の一部もしくはすべてを事前に録音する、という手法を採っている劇団や公演が少なからずあり、今回のこの『みつばち共和国』でも録音した音声を多用しています。つまり、音響さんは膨大な量の音声素材を録音、編集し、さらに本番中も絶えず操作しているのです。みんな!音響さんを(も)労(いたわ)ろうね!!

*11:こんなところにも音響さんの負担増が・・・!

*12:劇場内は席数を大幅に減らしており、観劇中もマスクの着用をお願いしています。退場時も密を避けて整理退場。小劇場では終演後に役者がロビーに出てきて観客と面会する慣習があるのですが、現在はこれも自粛されています。

*13:公演前に行う擬似本番のこと。一般的に公演初日の前日に行うことが多いですが、スケジュールの都合上本番当日に行う場合もあります。語源はドイツ語のGeneralprobe(ゲネラールプローベ)。

平野暁人

平野暁人(ひらの あきひと)翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛けるほか、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。
Twitter:@aki_traducteur