『満月をさがして』の英訳秘話!マンガ翻訳の基本とは?

マンガ翻訳の世界

連載「マンガ翻訳の世界」では、翻訳学校フェロー・アカデミーで「マンガ英訳」の講座を担当されている翻訳家の木村智子さんが、日本のマンガを英訳する難しさと奥深さを紹介します。今回は、木村さんがデビューするきっかけとなったマンガ『満月をさがして』の翻訳秘話です!

マンガ翻訳家としてデビューしたきっかけ

マンガ翻訳家の木村智子と申します。2004年にマンガ翻訳家としてデビューして以来、16年間翻訳に携わってきました。これから全4回の連載で、実際の作品を基にマンガ翻訳についてご紹介していきたいと思います。

私がマンガ翻訳家になったきっかけは、英訳マンガを多数出版するアメリカの出版社VIZ Mediaに勤める知人から、「VIZ Mediaが少女マンガの翻訳者を探している。そのトライアルを受けてみないか」と話をもらったことです。翻訳のトライアルは、「自分の好きな少女マンガの冒頭約10ページを出版社のガイドラインに沿って訳す」というものでした。

私が選んだ作品は、月刊少女マンガ雑誌『りぼん』(集英社)で連載されていた、種村有菜さん作の『満月(フルムーン)をさがして』。

後日、私の訳をチェックした編集者から連絡があり、この作品はVIZ Mediaが翻訳出版権を取得済みで英語版の出版が決まっていること、そしてまさにその編集者が英語版を担当する予定であることを話してくれました。

その編集者が私の訳のノリが気に入ったとのことで、幸運なことにそのままオファーを受け、マンガ翻訳デビューすることになりました

Full Moon, Vol. 1 (1)

Full Moon, Vol. 1 (1)

  • 作者:Tanemura, Arina
  • 発売日: 2005/07/05
  • メディア: ペーパーバック
 

マンガ翻訳の特性とは

せりふの英訳で大事なのは、作品の世界観に合っていて、かつキャラクターの個性が生きる表現を用いて訳すことです。

せりふをしゃべっているキャラクターの性格、性別や年齢、それに加えて誰と、どういう状況で会話しているのかなどをすべて考慮しながら、キャラクターに合う英語表現を選んでいます。

また、せりふ回しはジャンルによって異なるので、同じようなせりふでも、作品のジャンルに合うように言い回しや表現を使い分ける必要があります

吹き出しの大きさはデジタル処理で多少変えられるため、映画字幕のような字数制限はありませんが、なるべく簡潔な表現になるよう心掛けています。複数の吹き出しをまたぐせりふは、せりふの流れを壊さないように配慮しつつ、センテンスをバランスよく分割することで、吹き出しにうまく収まるようにしています。

また、マンガは文字と絵がセットでストーリーが展開します。

絵にはせりふでは表現されていない情報が含まれているので、キャラクターの表情や仕草が表す本音を踏まえてせりふを訳しています

時にはまったく別の表現を用いることも

初めてマンガ作品を訳して得たいちばん大きな気付きは、英語ネイティブスピーカーの読者が違和感を持たないせりふに仕上げるには、字面をそのまま訳すのではなく、まったく別の表現を用いてせりふの「意味」を訳す必要もあるということです。

例えば下記のコマは、ある死神が、主人公の女の子にはできるだけ長く生きてほしい、でもそう願うことは魂を刈る自分の役目と矛盾している、とつぶやくシーンです。

「きりがないもの」というせりふは、「長く生きてほしいと願っても人間はいつか必ず死んでしまう」という意味なので、字面のまま訳すのではなく、“People die.”と訳しました。

満月をさがして

満月をさがして

画像:FULLMOON-WO SAGASHITE © 2001 by Arina Tanemura/SHUEISHA Inc. 以下同。

もう一つの気付きは、英訳に「ちょい足し」することで、せりふがより自然に仕上がる場合があること

『満月をさがして』の主人公である女の子が好きな男の子は飛行機事故で亡くなっていますが、彼女の彼に対する気持ちは変わっていません。下記のコマのモノローグ、「死ぬのはけして怖くない あなたが待っていてくれるから」は、自分の死後、「自分の行く先で」彼が自分を待っている、というニュアンスがより伝わるように、 “since you’ll be there, waiting for me.” と訳しました。

満月をさがして

満月をさがして

「ぽんっ」はどう訳す?擬音の英訳

「ざぁざぁ」「がちゃん」など、音を表す擬音語はマンガに欠かせない表現方法です。擬音の英訳については、出版社独自の訳し方があったり、同じ出版社であっても担当する編集者によって違ったりします。

ただ、ちょっと変わった擬音が登場する作品では、すでにある擬音の訳をアレンジしたり、一から考えて新しい訳を作り出しています。

このコマの英語擬音は、どちらも出版社独自の訳し方です。私の場合、最初の頃は編集者と相談しながら擬音の訳し方を覚えていきました。

満月をさがして

満月をさがして

日本語と英語の表記の違い

『満月をさがして』に登場する死神は元人間で、生前の名前は漢字表記、死神になってからの名前はカタカナとひらがな表記、というように使い分けられています。例えば、ある死神の生前の名前は「吉良托人」、死神になってからの名前は「タクト・キラ」です。

ところが、英語の表記ではどちらも “Takuto Kira” になります。“Kila”と“Kira”というように、それぞれスペルを変える案を編集者と話し合ったのですが、読者には単純なスペルミスと解釈される可能性があるため、英語表記はどちらも“Kira Takuto”としました。

満月をさがして

満月をさがして

満月をさがして

満月をさがして

英語版の読者が日本文化に詳しいとは限らない

英訳マンガを読んでいる英語ネイティブの読者が、日本文化全般に詳しいとは限りません。そのため、せりふの英訳に補足説明を追加したり、注釈を入れたりする場合があります。

例えば、舞茸(まいたけ)を“maitake mushroom”と訳すことで、読者が舞茸を見たことがなくても、「マッシュルームに似た野菜なんだな」となんとなく想像がつきます。

私が目指しているマンガ英訳は、英語版を読んだ英語ネイティブの読者が、原作を読んだ日本語ネイティブの読者と同様の読書体験を得られること。さらに、日本の歴史や文化に詳しくなくても作品を読み進められる、読みやすい英訳を心掛けています。

今回は、私のデビューのきっかけとなった『満月をさがして』を基に、マンガ翻訳の基本をご紹介しました。

次回は、これも私が翻訳を担当している、枢(とぼそ)やなさん作の『黒執事』(スクウェア・エニックス)の翻訳について解説していきます。

木村智子

木村智子(きむら ともこ)2004年に『Full Moon o Sagashite(満月をさがして)』(VIZ Media)で翻訳家デビュー。フリーのマンガ翻訳家(日→英)として16年のキャリアを持ち、これまでに出版された英訳書は250冊を超える。2016年より翻訳学校フェロー・アカデミーで「マンガ英訳」の講座を担当。
Official Website:https://tkimura.net/