書き出しの一文で心をつかむ、ポール・オースターの「本物」の物語【英米文学この一句】

ポール・オースターの小説世界への一歩は、間違い電話とともに始まります。翻訳家の柴田元幸さんと共に、オースターの作品冒頭の「一句」からひも解かれる、偶然の旅へと出掛けましょう。

It was a wrong number that started it, the telephone ringing three times in the dead of night, and the voice on the other end asking for someone he was not.
そもそものはじまりは間違い電話だった。真夜中にベルが三度鳴り、向こう側の声が、彼ではない誰かを求めてきたのだ。 

—Paul Auster, City of Glass (1985)

物語のはじまりから、物事はあるべきでない方へずれていく。ずれはどんどん拡大していき、何かあるごとに、筆名で探偵小説を書いて空虚ながらも自足していた男は、深い闇をさらに深く堕(お)ちていく。そのすべてが間違い電話から始まったのだ。

だから「のはじまりは間違い電話だった」という訳は少し穏やかすぎる/当たり前に響きすぎるかもしれず、「それを始めた/始動させたのは間違い電話だった」という超直訳の方が、物語の精神には合っているかもしれない。日本語としてキザであるのが難だが。

いずれにしろ、一文で―正確には一文の3分の1以下で―読み手の興味をつかむ書き出しである。ポール・オースターほど、書き出しの一文で読者の心をつかむ書き手はいない。

These are the last things, she wrote.
これらは最後の物たちです、と彼女は書いていた。

In the Country of Last Things『最後の物たちの国で』1987

For one whole year he did nothing but drive, traveling back and forth across America as he waited for the money to run out.
まる一年の間、彼はひたすら車を走らせ、アメリカじゅうを行ったり来たりしながら金がなくなるのを待った。

The Music of Chance『偶然の音楽』1990

I was twelve years old the first time I walked on water.
12のときに、俺ははじめて水の上を歩いた。

Mr. Vertigo『ミスター・ヴァーティゴ』1994

I was looking for a quiet place to die.
私は静かに死ねる場所を探していた。

The Brooklyn Follies『ブルックリン・フォリーズ』2005

For almost a year now, he has been taking photographs of abandoned things.
もうほぼ一年にわたって、彼は捨てられた物たちの写真を撮りつづけている。

—Sunset Park『サンセット・パーク』2010

「最後の物たち」とはどういうことだろう。なぜ一年の間ひたすら車を走らせたのか。「水の上を歩く」とは? なぜ静かに死ねる場所を探すのか―あたかもゾウのように? 何のために捨てられた物たちの写真を撮りつづけるのか……。

ほかの多くの作家の場合、最初の数ページはまあ「様子見」であって、物語が始まるための舞台設定・準備期間という観があるが、オースターはそうではない。たったの一文で疑問が始動し、読み手の頭の中で仮設の物語が始まる。オースターを読むことは、その仮設の物語に、作者の繰り出す「本物」の物語が上書きされる快感に浸ることである。

そしてそのすべてが、小説第1作『ガラスの街』冒頭の、一本の間違い電話から始まったのである。その時代に、ナンバー表示だのモニター機能だのがなかったことは、物語にとって大きな幸いであった。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2020年10号に掲載した記事を再編集したものです。

柴田元幸
柴田元幸

1954年、東京生まれ。アメリカ文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳する他、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌『MONKEY』の責任編集を務める。

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