時代を経て読み継がれる文学の名作には、「今」を生きるためのヒントやテーマが潜んでいます。この連載「現代的な視点で読み解く アクチュアルな英語文学」では、英文学と医学史がご専門の上智大学教授である小川公代さんが、主に18世紀以降のイギリス文学から今日的な課題を探ります。第2回は、 ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』 です。 ヒロインが恋する男性ダーシーがフェロモンの名前「ダーシン」になった ことから、 小説とドラマ化作品での登場人物の姿の違い を 分析 。
小説のダーシーからはフェロモンが感じられない?
ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』(原題:Pride and Prejudice 、1813年)のヒロインが恋に落ちる相手、フィッツウィリアム・ダーシーにちなんで名付けられた「ダーシン(darcin)」というフェロモンのニュースが今年紙面をにぎわせた。
多くの昆虫や動物の雌は、同種の雄の接近を誘発したりするためのフェロモンを分泌するが――少なくとも筆者のような科学者でない人間にとっての「フェロモン」のイメージはそうである――今年 Nature に公表された論文によれば、なんと雄のマウスに存在する尿タンパク質が雌の接近を誘発していることがわかった(Demir et al)。
フェロモンを感受する嗅覚(鋤鼻器[じょびき])は人にはなく、進化の過程で動物にだけ備わったらしい。 ただし 、人間界でも女性の性的魅力に例えるメタファーとしてならフェロモンは頻繁に用いられている。
もちろん、そういう幾分、時代錯誤的なイメージにも、少しずつ批判の目が向けられてきている。女性が性的対象になってきたハリウッド映画を例に取り、視線の主導権を握る男性の物語を鋭く批評したのはローラ・マルヴィーであるが、人文社会系の学問領域でもこのような問題はすでに多角的な見地から問い直されている。科学界における「ダーシン」の発見は、おそらく 今後の ジェンダー研究にも大きな 影響 を及ぼすだろう。
「ダーシン」という物質を発見したコロンビア大学の研究チームのE・デミールによれば、雌のマウスがこのフェロモンを感受すると内側扁桃体が活発になる( 画像 で見るとピンクの領域)。しかし小説を読む限りでは、ヒロインの意中の人ダーシーがこういう類いのフェロモンを発しているとは到底思えない。なぜこのフェロモンに「ダーシン」という名前が付けられたのか、アダプテーションの変容を交えて検討してみたい。
1. なぜ「ダーシン」で、「ウィッカムン」ではないのか?
『高慢と偏見』の主人公エリザベス・ベネットの家庭には彼女を含めて未婚の女性が5人もいるため、理想的な結婚相手としての男たち、あるいは彼らの資産が「匂い」や「フェロモン」の寓意だと思う かもしれない 。
しかし、小説を読み始めると、必ずしも「雄の固体」が「雌の固体」を引き付けるような「個」の話でないことが少しずつわかってくる。現代とは違い、19世紀初頭の結婚はまだまだ家族同士の問題であったからだ。まず冒頭部分の一節から見てみよう。
It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune, must be in want of a wife.Jane Austen, p. 3/中野、p. 7However little known the feelings or views of such a man may be on his first entering a neighbourhood, this truth is so well fixed in the minds of the surrounding families, that he is considered the rightful property of some one or other of their daughters.
金持ちの独身男性はみんな花嫁募集中にちがいない。これは世間一般に認められた真理である。
この真理はどこの家庭にもしっかり浸透しているから、金持ちの独身男性が近所に引っ越してくると、どこの家庭でも彼の気持ちや考えはさておいて、とにかくうちの娘にぴったりなお婿さんだと、取らぬタヌキの皮算用をすることになる。
ここでは、男のフェロモンに誘発される女の物語というより、「親」が自分の娘の結婚相手として金持ちの男に誘発される物語であることが示唆されている。しかも、「世間一般に認められた真理」と書かれてはいるが、金持ちの独身男性ならきっと結婚相手を探しているだろう――あるいは探していてほしい――というヒロインの母親、ベネット夫人の 希望 的観測が映し出されている。
小説の最初の場面で、情報の早いベネット夫人は、ずっと空き家だったネザーフィールドの屋敷に借り手がついて、それがビングリー氏という北イングランドの大金持ちだと知り、そのことを夫のベネット氏に伝える。しかも、ベネット家が出席する舞踏会に、ビングリーと一緒に現れたダーシーは桁違いの大富豪なのだという。
エリザベスはといえば、縁談や玉の輿(こし)に関心もなく、母親のうわさ好きで直情的な性質に辟易(へきえき)している。彼女はベネット家の次女であり、ビングリーを魅了する美しく控え目な姉ジェインと比べると主体性があり、自分の意見を持っている。いざというときには行動力もあり、姉のジェインがビングリー家を訪れて熱を出し寝込んでしまったときも、彼女は周りの 心配 をよそに長い泥道を歩いて訪ねていくほどである。
また、舞踏会で漏れ聞いたダーシーの批判的な言葉にすっかり気分を害してしまったエリザベスは、たとえ相手が大富豪であっても、こびずに物おじしない態度である。特に、ダーシーが、姉ジェインとビングリーの仲を引き裂いたと聞いた後は、彼に好意を寄せるどころか敵意さえ抱いていた( ただし 、後になってわかることだが、ダーシーにも理由があって、俗物的なベネット夫人の会話を耳にして親友のビングリーの相手としてジェインはふさわしくないと 判断 したのだった)。
そんなエリザベスだが、最終的には大金持ちのダーシーに魅了されるのである。そういう意味では、確かに「ダーシン」と命名されるフェロモンがあったとしても不思議ではないの かもしれない 。広義で解釈すれば、女性たち(とその母親たち)を引き付けるダーシーが持っている富や大邸宅の魅力は余すことなく描かれてはいる。
しかし、小説を読んだだけでは、ダーシー自身は誤解を生みやすい寡黙な人物で、たとえ人間的な魅力を備えていたとしても、初対面でそれが伝わることはない。少なくとも、「フェロモン」を出すようなセックス・アピールのあるキャラクターではない。
ダーシーとは対照的に、最初からエリザベスが打ち解けて話せるウィッカムは軍服が似合い、見るからに異性の魅力を備えている。彼の方がはるかに「フェロモン」の発信源としてはふさわしい。 そもそも E・デミールらの研究チームが発見した尿タンパク質というのは、性的アピールが嗅覚を通じて感じ取られるくらいの物質である。もし字義どおりの意味で理解するなら、フェロモンの名前も「ウィッカムン」となるべきではないだろうか。
エリザベスは、ウィッカムのうその話を信じ込んでしまうほど最初は彼の魅力のとりこになっていた。彼は、自分の父親がダーシーの屋敷の執事だったため、ダーシーの父親に資金を援助してもらいながら聖職者になるための準備をしたことをエリザベスに打ち明ける。ダーシーの父親が亡くなった後、その約束をほごにされたとエリザベスにうそをつき、そのせいで彼女はダーシーに対して偏見を抱いてしまう。
だから、ダーシーが満を持してプロポーズしたときも、エリザベスはその申し出を断ってしまうのだ。もちろん、ダーシーに関する誤解が解けた後では、もうダーシーワールド全開になるのだが。
エリザベスが叔父と叔母と一緒にダーシーの屋敷であるペンバリーを訪ねたときには、彼が使用人たちからも絶大なる信頼を得ている人格者であることがわかる。ダーシーが不在であると聞いていたその屋敷で、ばったり彼に出くわしたときのエリザベスは、良心の呵責(かしゃく)と居心地の悪さで身もだえ、苦しむのである。
2. フェロモンを放つ「ダーシー」の誕生
それでは、コロンビア大学の研究者たちが雌のマウスの行動を刺激する物質に「ダーシン」と名付けたのはなぜだろう。
少なくとも原作の小説から着想を得たわけではないはずだ。小説ではダーシーについては「背が高く」「ハンサムで」「高貴」という描写があるだけで、語り手はそれ以外のダーシーに関する情報は与えていない。
なぜダーシーがセックス・アイコンとなったのかは、『高慢と偏見』の映画の受容史を抜きには語れないとヘンリエット・シーリガーは言う。ダーシーが性的な魅力を持つキャラクターとして全世界で知られるようになったのは、1995年に放送されたBBCドラマの『高慢と偏見』でのワンシーンの強烈なインパクトによる。エリザベス・ベネットをジェニファー・イーリー、フィッツウィリアム・ダーシーをコリン・ファースがそれぞれ演じた。
原作の小説で言うと、エリザベスがダーシーのプロポーズを断った後、叔父と叔母を伴ってペンバリーの屋敷を訪ねていたところに、不在だと思っていたダーシーが突然目の前に現れる場面である。この時代だと、ダーシーのような上流階級の人たちは特定の職業を持っていなかったわけだが、いつも在宅というわけでもなかった。エリザベスも、気まずい思いをするくらいなら、できれば会わずに帰りたいと思っていた。
BBCドラマの第4エピソードで視聴者がくぎ付けになった「湖の場面」は、まさにこの最も重要な場面に改変が加えられた結果なのである。ドラマでは、服を着たままのダーシーがなぜかペンバリーの湖で泳いで水から上がった後、エリザベスの目の前に現れる設定に変更されている。原作では森で突然出くわすという場面なのだが、よりドラマチックに再創造されていた。
この場面を見た世界中の視聴者の反響は大きかった。多くの批評家は、この場面の魅力をファースのセックス・アピールのたまものであると評している。そして、これが、「ダーシー」という名前が『高慢と偏見』という小説を離れて独り歩きし始めた瞬間である。この小説の刊行200周年記念を祝った2013年には、ロンドンのハイドパークの池の中に期間限定で3.6メートルもある巨大な濡れシャツダーシーの像――コリン・ファースに似せて作られた像――が建設されたのも、この場面を再現するためである。
「ダーシン」というフェロモンはマウスの嗅覚の刺激を通じて脳に伝わり、それによって雌雄間のコミュニケーションが成立していることがわかっている。フェロモンを「物質」として最初に同定したのは、ドイツの化学者ブーテナントである。1957年に、カイコガの雄が雌を引き付ける物質が発見された後、いくつかの昆虫の性誘因物質も発見された。1963年には、このような性質を持つ物質が「フェロモン(pheromone)」と命名されるが、これはギリシャ語の「運ぶ(pherein)」と「興奮させる(hormone)」を合体させて出来た言葉である。デミールらが「ダーシン」というフェロモンの匂いを雌のマウスに嗅がせたところ、大多数が反応し、中には尿マーキングや超音波周波で歌うという強い性的欲求を示したものもいたという(対象マウス279匹の大多数が反応した)。
「ダーシン」が「ダーシー」からヒントを得ているとすれば、明らかにコリン・ファースの存在が大きいだろう。
3. 自由間接話法から映像のインパクトへ
「ダーシン」の命名のインスピレーションとなったであろう1995年のテレビドラマ版の「水浴び場面」はどのような経緯で生まれたのだろうか。
小説にはダーシーの外見も心理描写もほとんどない。彼があまりに寡黙で表情に感情が出ないため、エリザベスは常に彼の心理を読まなくてはならない。
オースティンは「自由間接話法(free indirect speech)」という特殊な語りの手法を編み出した作家でもある。自由直接話法が完全に作中人物の発話や思考の直接的表出であるとすれば、自由間接話法は語り手の視点と作中人物の視点が入り交じった表現である。もちろん、小説にはダーシー自身の発話もあるが、エリザベスの視点から物語が語られることがほとんどであるため、ダーシーの内面はある意味でエリザベスに代弁されることになる。
ダーシーが不在であると聞いていたペンバリーで、エリザベスが彼と遭遇してしまうことの複雑な感情、つまり良心の呵責と喜びと期待が入り混じったような気持ちを、ドラマ化する際にどのように描いたらよいかというアダプテーションの工夫が、ここに新たな息吹をもたらすのである。
プロデューサーのスー・バートウィッスルと脚本のアンドリュー・デイヴィスは、小説の精神には忠実でありながらも、「昔ながらのスタジオで撮られたBBCドラマ」ではなく、もっと現実の人間を生き生きと描いた物語を作りたいと考えた。その結果、セックスと金銭を原作よりも強調することになった。
金銭の部分はペンバリーの屋敷のスケールの大きさや屋敷のインテリアや装飾品、登場人物が身に着けている時代衣装などで表すことができた。そして、セックス・アピールはというと、この「水浴び場面」が代表格とも言えようが、ダーシーの濡れそぼった姿がエリザベスの心におそらくもたらした変化が、視覚的な方法で表現されることになったのだろう。
フェロモンは「動物個体から放出され、同種他個体に『特有な反応』を 引き起こす 化学物質」とカールソンらによって定義されているが、ダーシーが湖から出てくる瞬間、エリザベスだけでなく、BBCドラマの視聴者にも「特有な反応」を 引き起こす 何かが発せられていたとも言える。
筆者自身、1995年はまだイギリスの大学に通っており、ちょうどリアルタイムで女友達と一緒にドラマを見ていた。フェロモンという言葉が似つかわしい かどうか はさておき、水浴びシーンの衝撃は今でも強烈に残っている。その後、コリン・ファースがどんな映画に出演していても、頭の片隅にはセックス・アイコンとしての彼がちらちらと顔をのぞかせるため、どれほどのインパクトであったかについては、筆者が同時代的な目撃者として証言することができる。
エリザベスとダーシーはさまざまな障害を乗り越えて、小説の結末で結ばれている。ダーシーが彼女に宛てた手紙にはウィッカムという人間の不誠実さやビングリーとジェインの関係に介入した理由が詳述されていた。その手紙を読んだ後、よくよく考えてみるとウィッカムの軽薄さは彼女自身も思い当たる節がある。エリザベスの悪い予感も的中して、ウィッカムは彼女の妹リディアと駆け落ちしてしまう。こうして、ベネット家は窮地に立たされるのだが、それもダーシーがエリザベスを救いたい一心であちこち奔走し、最後にはすべて丸く収まるという 展開 である。
結び
「金持ちの独身男性はみんな花嫁募集中にちがいない。これは世間一般に認められた真理である」という言葉で始まる『高慢と偏見』に今一度立ち戻ってみたい。
「ダーシン」という雄のマウスの尿タンパク質に雌を引き付ける要素があることが判明したわけだが、それを小説に重ねてみるとどうだろうか。金持ちの男性に釣られて結婚する女性(とその母親たち)の物語であると読めなくもないが、オースティンのアイロニーも忘れてはならない。若い娘を持つ母親の思惑という側面だけでなく、当時の英国社会において結婚の主導権を握っているのは男性側であったことを念頭に置くべきであろう(川口、77-78ページ)。
そう考えると、原作の小説にも、結婚することでしか生計を立てられなかった女性たちの姿が浮き彫りになる。緻密にテキストを読み込めば、エリザベスの父親が他界したら、彼女は年間たったの40ポンドでの生活を強いられる現実も見えてくる。当時の家庭教師でも30ポンドの収入があった時代にである。
ベネット家は決して貧しい家庭ではないどころか、どちらかといえば上流階級に属する。 にもかかわらず 、女性には相続権を与えない当時の法律は、好ましくない男性との「結婚」であっても受け入れざるを得ない状況を作り出していた。つまり、男性側に主導権があった時代、エリザベスのように自分の信条を曲げないで生きることは貧困や格下げの生活を意味していた(エリザベスはさらにコリンズという遠縁の男性のプロポーズも断っている)。
19世紀初頭に女性が主体性を持って人生の選択をすることは大きなリスクを伴ったが、小説の結末をハッピーエンドにしたことに、「女性が男性を選んでもいい」という強いメッセージが込められている。
1995年版テレビドラマの「水浴びシーン」でコリン・ファース演じるダーシーが女性視聴者にとって性的まなざしの対象となったことがどれほどのインパクトであったか容易に想像がつくだろう。これは小説にはない場面だが、奇妙にオースティンの精神とも共鳴していたの かもしれない 。これは筆者の個人的な意見ではあるが。
参考文献
■Jane Austen, Pride and Prejudice , Ed. Pat Rogers (Cambridge, Cambridge UP, 2006)
■ジェイン・オースティン『高慢と偏見』中野康司訳(筑摩書房、2003年)
▼文庫版
- 作者:高慢と偏見 下 (ちくま文庫 お 42-2)
- 作者: ジェイン オースティン
- 発売日: 2003/08/01
- メディア: 文庫
■Ebru Demir et al, “The pheromone darcin drives a circuit for innate and reinforced behaviours” Nature , Vol. 578, pp. 137-141 (2020)
https://www.nature.com/articles/s41586-020-1967-8
■ Sue Birtwistle and Susie Conklin, The Making of Pride and Prejudice (Penguin Books, 1995)
■Henriette-Juliane Seeliger, “Looking for Mr. Darcy: The Role of the Viewer in Creating a Cultural Icon” Persuasions-Online, Vol. 37, No . 1, Winter 2016
https://www.jasna.org/publications/persuasions-online/vol37no1/seeliger/
■Melissa Locker, “Finally: Colin Firth’s Mr. Darcy Immortalized as a Statue” Time, July 10, 2013
https://entertainment.time.com/2013/07/10/colin-firths-wet-mr-darcy-finally-immortalized/
■Ian Randall, “Sex pheromone named after Mr Darcy from Jane Austen’s Pride and Prejudice sends female mice crazy with lust causing them to sing at ultrasonic frequencies” Daily Mail, January 29, 2020
■P. Karlson & M. Luscher, “‘Pheromones’: a New Term for a Class of Biologically Active Substances” Nature , Vol. 183, pp.55-56. (1959)
https://www.nature.com/articles/183055a0
小川公代(おがわ きみよ) 上智大学外国語学部教授。英国ケンブリッジ大学卒業(政治社会学専攻)。英国グラスゴー大学博士号取得(英文学専攻)。専門は、イギリスを中心とする近代小説。共(編)著に『 幻想と怪奇の英文学IV 』(春風社、2020年)、『 Johnson in Japan 』(Bucknell University Press, 2020)、『 文学とアダプテーション――ヨーロッパの文化的変容 』(春風社、2017年)、『 ジェイン・オースティン研究の今 』(彩流社、2017年)、『 文学理論をひらく 』(北樹出版、2014年)、『 イギリス文学入門 』(三修社、2014年)など。
https://sites.google.com/view/ogawa-kimiyo