4時間目:文学 ビクトリア朝の光と闇を描く名探偵小説【イギリス文化論】

「美術」「デザイン」「ファッション」「文学」「戯曲」「音楽」……。世界や日本が 影響 を受けたイギリス文化は数多くあります。イギリス好きなら知っておきたい文化の今昔を、詳しい専門家の方々に授業形式で解説していただきます。さらに課外授業として、イギリスに住む人しか理解できない(?)超ブリティッシュ英語フレーズもお届けします。これを読めばきっと、 “I Love the UK!” 熱にますます拍車がかかるはず!

ビクトリア朝時代の光と影を描くホームズの物語

滝つぼに落ちる直前のシャーロック・ホームズとジェームズ・モリアーティ。『最後の事件』より。ホームズ作品の挿絵画家として有名なシドニー・パジットによるもの

1891年5月4日、シャーロック・ホームズは、スイス、マイリンゲンの町にあるライヘンバッハの巨大な滝つぼに転落し、以後生死不明となった(「最後の事件」)。著者コナン・ドイル(1859-1930)は、人気絶頂のホームズをこうしていったんは葬るのだが、世界に広まるホームズ復活願望に負ける。

実は滝には落ちたと見せかけただけ・・・と、ホームズはワトスンの前に突然姿を現し(「空き家の冒険」)、その後も活躍し続けることになった。

ホームズの物語を通して私たちは、彼が活躍した一見華やかに見える上流階級の世界から悪の温床アヘン窟まで、ビクトリア朝時代の光と影を読み取ることができる。

On May 4th, 1891 in the town of Meiringen, Switzerland, Sherlock Holmes fell and
vanished into the depths of the vast Reichenbach Falls in “The Final Problem.”

This is how the author Conan Doyle (1859-1930) put Sherlock Holmes to rest at the
height of his popularity. However , Doyle eventually yielded to requests from readers
across the world to resurrect their beloved character.

As it turns out, Holmes only pretended to fall into the waterfall . He suddenly reappears in front of Watson in“The Adventure of the Empty House” and reprises his role . The Sherlock Holmes saga touches on everything from the seemingly glamorous world of upper-class society to the hotbed of evil that is the opium den . It lets us glimpse the light and shadows of Victorian society.

ホームズを殺したドイルが消し去りたかったもの

東山さんが、コミカルなところが気に入ってロンドンで購入した、John Paiceという風刺画家の作品。実際の挿絵との違いが面白い。

シャーロック・ホームズといえば名探偵、正義の象徴。ホームズのトレードマークのディアストーカーと、虫眼鏡さえ持てば、誰もがホームズだとわかるほどに世界にその名をはせている。その名探偵を生み出したのがアーサー・コナン・ドイルだ。ホームズとその相棒ワトスンが繰り広げる物語は60編(うち短編が56)。中でも特に人気が高い初期の短編12作を収めたのが『シャーロック・ホームズの冒険』(1892)である。

ところがこの人気シリーズ12 作目で、ドイルは早くもシャーロック・ホームズを亡き者にしてホームズ・シリーズを終わりにし、本命の歴史小説に没頭したいと考えた。「ホームズ殺害計画」を母メアリに相談したところ、反対され思いとどまったのが1891年11月ごろ。

ドイルは「お母さま、お母さま」とあたかも母を敬い慕っているように装い、発表前の原稿をいちいち母のところに送っては感想を求めていた。

頓挫した「殺害計画」から2 年後、妻ルイーザが当時不治の病とされていた結核を発症した。裕福になっていたドイルは、結核の療養地として全ヨーロッパに知られていたスイスのダボスで妻を療養させることを決めた。ドイルは妻を伴ってダボスへ向かう途中にマイリンゲンに立ち寄り、ライヘンバッハ滝を訪れた。そのときに「こここそがホームズを葬り去るのにふさわしい」と決意したといわれている。

24作目の短編となる「最後の事件」(1983)で、ワトスンはこの滝について「そこはまったく、恐ろしい場所だった。雪解け水で膨れ上がった急流が大きな深い淵に向かって急落突進しており・・・」と記した。

この短編で対決するモリアーティ教授についてホームズは、「彼を滅ぼすことができればこの身は滅んでもいい」とまで言いきる。モリアーティ一味の追跡をかわすためにと大仰な変装までして列車に乗り込み、ワトスンを伴いヨーロッパ大陸に渡り、紆う余よ曲折の末にマイリンゲンにたどり着く。

偽の手紙でワトスンは呼び戻され、一人となったホームズは、滝の絶壁でモリアーティと出くわし世紀の対決。GPSもない時代にモリアーティがホームズにどうやってたどり着けたのか、まったく現実味に欠けている。ホームズを葬り去るためだけに書かれた作品といってもいいだろう。

ドイルの肖像画。ホームズ作品の挿絵画家として有名なシドニー・パジットによるもの。

ところでドイルには、ホームズ以外にライヘンバッハ滝で葬り去りたかった人がいるようだ。それは誰か?

まずは病身の妻ルイーザ。ドイルが貧しい開業医だったときの入院患者の姉がルイーザだった。物静かな女性だが、有名作家となったドイルとしてはやや不満を感じていた。

「最後の事件」発表後、ルイーザの病気療養中にドイルは才気にあふれる女性ジーン・レッキーと出会う。ひそかな交際を10年間続け、ルイーザが亡くなった直後にジーンと再婚している。

さらにこの滝つぼに葬り去りたかったのは、母メアリだ。ドイルの父はアルコール依存のため精神病院に入院せざるを得なくなった。母は自宅に下宿人を置き、収入を得ていた。下宿人でエディンバラ医科大学の医師、15 歳年下のウオーラーと母メアリは、父の入院中から婚外恋愛関係であった。

ドイルは「花婿失踪事件」(1891)の依頼人メアリ・サザランドに、「実の父が亡くなった後、母が15歳近くも年下の男と再婚いたしましたときには、あまりいい気持ちはいたしませんでした」と語らせ、自らの心情を吐露している。母と同じ名前のメアリに語らせたところにドイルの複雑な心境が見えてくる(「母を憎むドイル」については拙著『裏読みシャーロック・ホームズ??ドイルの暗号』などに詳しい)。

私はここで、読書の楽しみの一つである「裏読み」を紹介した。「ホームズ物語」は120 年前のイギリス社会の表舞台の政治、経済、歴史や教育から、裏舞台の学校に通えない子や物乞いのことなど、社会の隅々を細かく描き出している。まさに「英国文化百科事典」のような存在といえよう。ホームズ・ファンは世界中で新しいテーマで研究発表し続けている。「研究に終わりはない」はホームズの名言だ。

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【コンテンツラインナップ】
ザ・ビートルズ/音楽
コナン・ドイル/文学
ウィリアム・モリス/デザイン
ウィリアム・シェイクスピア/戯曲
ウィリアム・ホガース/美術
ヴィヴィアン・ウェストウッド、ツイッギー/ファッション

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2020年12月号に掲載した記事を再編集したものです。

東山あかね(ひがしやま・あかね) 1977 年に夫の小林 司と共に日本シャーロック・ホームズ・クラブを創設。主宰者。アメリカのホームズ団体Baker Street Irregulars 会員。『シャーロック・ホームズを歩く』(青土社)のほか、「シャーロック・ホームズ全集」全9 巻(河出書房新社)訳など小林 司との共著多数。

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