「美術」「デザイン」「ファッション」「文学」「戯曲」「音楽」・・・。世界や日本が影響を受けたイギリス文化は数多くあります。イギリス好きなら知っておきたい文化の今昔を、詳しい専門家の方々に授業形式で解説していただきます。さらに課外授業として、イギリスに住む人しか理解できない(?)超ブリティッシュ英語フレーズもお届けします。これを読めばきっと、 “I Love the UK!” 熱にさらに拍車がかかるはず!
世界中の喜怒哀楽に浸透したシェイクスピアのせりふ
ウィリアム・シェイクスピアの作品は英語圏の文化に深く浸透しており、ハリウッド映画から日常生活まであらゆるところでその影響力を感じ取ることができる。シェイクスピアがここまで広まった理由としては、本人の文才、運、国際政治などさまざまな要素がある。シェイクスピア劇は多様な解釈が可能であり、世界中の人々がそのせりふを自らが生きる状況に引き付け、言い表しにくい感情を代弁してくれる言葉として使っている。
The works of William Shakespeare are deeplyembedded in the cultural fabric of the Englishspeaking world. You can see his influence ineverything from Hollywood blockbusters to everyday life. The ubiquitous nature of Shakespeare is due to a number of factors including luck,international politics, and his own literary genius.
We can interpret his plays in different ways andpeople across the world bring Shakespeare into their lives, using his words to help express emotions that would otherwise be difficult to articulate.
読み手が独自に解釈できる奥深さという魅力
シェイクスピア生誕450 周年にグローブ座で上演された『ハムレット』。2014 年。
この原稿を書いている8月29日、『ブラックパンサー』(2018)の主役を演じたハリウッドスター、チャドウィック・ボーズマンが大腸がんで亡くなった。まだ43 歳だったボーズマンの突然の死は大きな衝撃をもたらし、たくさんの映画人がお悔やみのコメントを出した。『ブラックパンサー』でボーズマン演じるティ・チャラの母ラモンダを演じたアンジェラ・バセットは、インスタグラムの投稿を Rest now, sweet prince.(さあお休みなさい、優しい王子様)で締めくくった。同じくボーズマンと一緒に仕事をしたことのあるヴァイオラ・デイヴィスは、ツイッターに Rest well prince. . . May flights of angels sing thee to thy heavenly rest.(王子様、よくお休みなさい……天使たちの歌声とともに天の休息に向かわれますよう」というメッセージを出した。
この2人のお悔やみはウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』第5幕第2場で、主人公ハムレットの親友ホレイシオが王子の死を悼むせりふであるGood night sweet prince; / And flights of angels sing thee to thy rest !「お休みなさい、優しい王子様。/そして天使たちの歌声とともに休息に向かわれますよう!」に基づくものだ。このせりふは非常に有名で、英語圏では慣用句のように流布している。舞台で仕事をしたことがあり、シェイクスピア劇にも出演しているバセットやデイヴィスのような経験豊富な俳優であれば当然知っているだろう。『ブラックパンサー』は亡くなった父王の復讐(ふくしゅう)を望む息子の物語であり、『ハムレット』との共通点がしばしば指摘される。ここでバセットやデイヴィスは演劇史上最も有名な王子ハムレットをボーズマンの当たり役ティ・チャラに重ね合わせ、王になるべきだった者の早過ぎる死を悼む忠実な友の役を演じるという俳優らしいやり方で悲しみに対処し、故人の業績をたたえているのだと思われる。
ロンドンのグローブ座、『お気に召すまま』の上演風景。2015 年。
このようにシェイクスピアのせりふは英語圏の文化に浸透しており、思わぬところで出会うことがある。シェイクスピアはウエストエンドやブロードウェーをはじめとする世界各地の劇場で現在まで上演されている現役の人気劇作家だ。マーベル・シネマティック・ユニバースやディズニーアニメ、かつてイギリスに支配されていたインドの大作映画『バーフバリ』二部作(2015-17)などにもその影響がみられる。
シェイクスピアが活躍していた1600 年前後のロンドンでは極めて演劇が盛んで、シェイクスピア以外にも多数の人気劇作家がいた。シェイクスピアはその中でも特に幸運だった。文才があったばかりではなく、スター俳優を抱えた人気劇団の座付き作家という比較的安定した職に就いて、事故や疫病などで夭折(ようせつ)することもなく長く仕事を続けることができた。活動当時は人気作家の一人で、18 世紀ごろになるとイギリス国内でナショナリズムの高まりとともにシェイクスピアブームが起き、国民作家と考えられるようになった。さらにその後、イギリスが帝国として覇権を握り、英語が教育を通して世界中に広がるに至って、世界で最も人気のある劇作家の一人となった。才能、運、国際政治というさまざまな要素がうまく働いたおかげで、シェイクスピア劇は世界文学になった。
シェイクスピアの肖像画。
シェイクスピア劇が広まった経緯に、イギリスの帝国主義や英語中心主義が絡んでいることを批判するのはもちろんできる。しかしながらシェイクスピア劇の特徴はその多様さにあり、そのため世界各地の人々による再解釈が可能で、新しい読み方に基づく上演が絶えず行われてきた。シェイクスピア劇は倫理的な立場があまりはっきりしない作品も多く、人生のさまざまな側面を幅広く扱っていて、登場人物も複雑なため、読む人が自らの生きる状況に引き付けて解釈することができる。ボーズマンが亡くなったときにバセットやデイヴィスが行ったように、シェイクスピア劇のせりふは世界中の人々が喜怒哀楽を表現したいときに、その言い表しにくい感情を代弁してくれるせりふとして日常生活で引用されてきた。これからもシェイクスピアはそうやって使われ続けるだろう。
特集「イギリス文化論」を全て読むならEJ12月号で!
イギリス好きなら知っておきたい文化の今昔を、専門家が授業形式で解説!
【コンテンツラインナップ】
ザ・ビートルズ/音楽
コナン・ドイル/文学
ウィリアム・モリス/デザイン
ウィリアム・シェイクスピア/戯曲
ウィリアム・ホガース/美術
ヴィヴィアン・ウェストウッド、ツイッギー/ファッション
※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2020年12号に掲載した記事を再編集したものです。
北村紗衣さんの新刊
注目のシェイクスピア研究者、北村紗衣が、海外文学や洋画、洋楽を、路地裏を散歩するように気軽に読み解きながら、楽しくてちょっと役立つ英語の世界へとご案内。英語圏の質の高いカルチャーに触れながら、高い英語運用能力を得る上で重要な文化的背景が自然と身に付きます。“路地裏”を抜けた後は、“広場”にて著者自身が作問し解説する「大学入試英語長文問題」も堪能できる、ユニークな英語カルチャーエッセイ。