文芸翻訳家は辞書に載っていない英語をどう訳すのか?小説“Flash and Dazzle”【越前敏弥】

推し海外小説

文芸翻訳家の越前敏弥さんが、毎回1冊、英語で読めるおすすめの本を紹介する連載「推し海外小説」。今回は、男同士の友情を描き、読みやすい英語で、語りに引き込まれる“Flash and Dazzle”です。辞書には載っていない言葉遊びを翻訳する際の留意点とは?

最も思い入れの深い翻訳作品

前々回の“Frozen II: Forest of Shadows”は「アナ雪」シリーズにしてはどす黒い話だったし、前回の“Gone Girl”は人間の醜い部分を徹底的にさらけ出す話だった。

そこで、今回は口直しに、男同士の清らかな友情を真正面から描いた作品を紹介しよう。タイトルは“Flash and Dazzle”。日本語版の訳書は出ていない。

これまで翻訳した全作品の中で最も思い入れの深いものはどれですか、と質問されたことが何度かある。いろいろなジャンルを手掛けてきたし、翻訳作業で何カ月も付き合ううちにどの作品にも強い愛着が芽生えるものだから、選ぶのは容易ではない。

それでも1つだけと言われたら、『父さんが言いたかったこと』(ロナルド・アンソニー、新潮社、原題:The Forever Year)という小説を挙げることにしている。2004年、『ダ・ヴィンチ・コード』の直前に日本で刊行された作品だ。

恋人がいながらなかなか結婚に踏みきれない30代の独身男を主人公とし、そこに彼の父親の若き日の恋物語が差し挟まれていくという構成で、シンプルでこの上なく地味な物語なのに、読み進めるうちに、まるで自分自身のことが語られているような気分になり、いつの間にか主人公と一体化していく。

作者はこの作品を「男性のためのロマンス小説」と評していて、これは言い得て妙だが、もちろん女性にもぜひ読んでもらいたい。家族とは何か、愛とは何か、そして生と死とは何かを、さりげなく、それでいて力強く教えてくれる作品だ。

30歳前後の男性が友情や恋愛や仕事に悩み成長する物語

その『父さんが言いたかったこと』の作者、ロナルド・アンソニー(Ronald Anthony)が次に書いたのが、今回紹介する“Flash and Dazzle”。前作の主人公とほぼ同世代のRichが、死んだ親友Dazと過ごした日々を振り返っていく話だ。

Richはコピーライター、Dazはイラストレーターとして、大学時代からコンビで仕事を引き受けてどんどん人気を得ていくが、ある日、急にDazが倒れ、脳腫瘍で余命わずかだと知らされる。

Richはやりきれない思いを抱えながらも、仕事でのステップアップや、Dazの妹Lindaとの交際など、30歳前後の男性の多くが体験するであろういくつかの問題にも真摯(しんし)に向き合い、それでいてユーモアを忘れることなく前向きに過ごし、やがてDazの死を経て大きく成長していく。

と、話のすべてを明かしてしまったが、それを知って読んだらこの作品の魅力が損なわれるかというと、まったくそんなことはない。むしろ、ほぼ予想どおりに話が展開していく中で、読者は語り手のRichにあっという間に感情移入して、一緒に仕事に悩み、恋に迷い、親友を失う悲しみを心の底から共有する。

それは何より、主人公の語りに圧倒的な魅力があるからだ。驚くほど大胆で、正攻法で、直球勝負で、だからこそページを繰る手が止まらない、不思議な作品だ。

辞書にない、言葉遊びのinebriatorをどう翻訳する?

最初の章では、RichとDazが大学で出会った日のことが描かれる。新入生のオリエンテーション合宿があって、見知らぬ4人でグループを組むことになり、RichとDazは同じグループに入れられる。

次の文章は、グループの残る2人の一方について、Richがユーモラスに説明している箇所だ。

I can’t remember the other guy’s name, but we nicknamed him “The Inebriator” because of his seemingly monomaniacal desire to get as drunk as possible. I’m definitely not a teetotaler, but it was actually a little frightening to watch this guy go at it.

“Flash and Dazzle” Kindle版

もうひとりの本名は思い出せないけれど、ひたすら早くひたすら深く酔いに落ちることを追い求めているように見えたので、ぼくらは“酒業僧(しゅぎょうそう)”と命名した。けっして禁酒主義者ではないぼくでさえ、この男の飲みっぷりを見ているのは、正直に言って少し恐ろしかった。

The Inebriatorという語がなかなか難しいので、ちょっと説明しよう。

動詞inebriateには「酔わせる、陶酔させる」という意味がある。だからinebriatorはそのまま訳せば「酔わせる人」で、「自分自身を酔わせる人」と見なせば、ただの「酔っぱらい」でもいいのかもしれないが、ここは冗談めかして言っているところだし、何しろRichは未来の売れっ子コピーライターなのだから、もう少し言葉遊びの工夫をしたい。その際、気を付けるべきことが2点ある。

(1) inebriateはdrunkなどと比べてかなり堅苦しい響きを持つ単語だ。さらに言えば、inebriatorという言葉は辞書に載っていない。

(2) inebriator(音読すると3文字目のeに強勢がある)という単語は、terminator(第1音節に強勢がある)と響きがよく似ている。小説のこの場面の舞台設定は1990年代なので、少し前に公開された大人気映画『ターミネーター』を意識して、そのパロディーとして命名された可能性が高い。そう考えると、“The Inebriator”と大文字で始まっていることも説明がつく。

この2点をゆっくり検討し、実を言うと、最初は「飲ーミネーター」という訳語を思い付いたのだが、ちょっとやり過ぎだし(スベったときが怖い、というのもある)、堅苦しい響きやターミネーターの禁欲的な部分も考え合わせた結果、「酒業僧」という訳語にした次第だ。

ここはまさに翻訳という仕事の楽しさとつらさを同時に体験できる箇所だ。頭の体操にもなる。

話がそれてしまったが、この作品は親友の死という重いテーマを扱いながらも、このようなウィットに富んだ語りを随所で楽しめる。前にも書いたとおり、話の展開そのものは容易に予想できるので、知らない単語が出てきても推測しやすい。

小説のほかビジネス書や自己啓発書も出版

今回紹介した2作の作者、Ronald Anthonyは、現在は本名のLou Aronicaのままで編集者として活躍する傍ら、ビジネス書や自己啓発書を何冊か共著の形で書いている。

“The Forever Year”と“Flash and Dazzle”は、今ではどちらもLou Aronica名義で“The Hearts of Men”というシリーズに入っていて、男性の心の機微を描いたほかのいくつかの作品とともに、新たな読者に支持されている。

詳しくは、Lou Aronicaという名前で検索し、公式サイトなどを見てもらいたい(ビジネス書は日本でも何冊か訳出され、「ルー・アロニカ」名義で訳書が出ている)。

今回の小説

■“Flash and Dazzle” (Lou Aronica, The Story Plant, 2013)

Flash and Dazzle

Flash and Dazzle

  • 作者:Aronica, Lou
  • 発売日: 2013/11/05
  • メディア: ペーパーバック
 

■参考:『父さんが言いたかったこと』(ロナルド・アンソニー著、越前敏弥 訳、新潮社、2004年[絶版])

父さんが言いたかったこと

父さんが言いたかったこと

 

越前敏弥さん翻訳の新刊

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越前敏弥

文:越前敏弥(えちぜん としや)
文芸翻訳家。1961年生まれ。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『おやすみの歌が消えて』『大統領失踪』『世界文学大図鑑』『解錠師』『Yの悲劇』など。著書『翻訳百景』『文芸翻訳教室』『この英語、訳せない!』『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』など。Twitter:@t_echizen

編集:ENGLISH JOURNAL ONLINE編集部